仕事始めのこの日は、もう1枚カードをゲットしました。
この城は見覚えがあります。
右上の櫓に立っているのぼりは、まぎれもなく真田の六文銭、ということは・・・
No.6 上田城!
天守閣を中心にチョイスしてきた「日本の名城」、ここに来て城門の写真です。
おそらくは某ドラマ「真田●」に影響されてのことでしょうか?
上田城は天正11年(1583年)に真田昌幸によって築城されました。
その2年後、上田城一帯に徳川家康の家臣・鳥居元忠・大久保忠世・平岩親吉らの軍勢約7,800が攻め込んできました。
昌幸と嫡男・信幸(信之)らの軍勢2,000は、地の利を活かした戦法で徳川軍を翻弄、大きな損害を与え撃退しました。(第1次上田合戦)
その15年後の関ヶ原の戦いが起こると、昌幸と次男・信繁(幸村)は西軍に、嫡男・信幸は東軍につきました。
そのため上田は、再度徳川軍の攻撃を受けます。
今度は徳川秀忠を総大将とする38,000、対する真田は3,000程度。
徳川軍は再び真田の軍略の前に大敗北を喫し、秀忠は上田城攻めを諦めることとなりました。(第2次上田合戦)
そしてこのカードの城門や櫓は、この徳川との激戦を物語るもの・・・ではないのです。
上田合戦では敗北を喫した徳川勢も、関ヶ原の戦いでは大勝。
真田昌幸・信繁父子は九度山(和歌山県)へ追放となり、信之がその所領を継承しました。
しかし徳川にとってのトラウマ・上田城は徹底的に破壊されることとなりました。
幕府が創建され、2代将軍秀忠は、信之を松代(長野県)へ移封。
その後上田に入ったのは、隣地・小諸城主の仙石忠政でした。
忠政は幕府の許可を得て上田城を築城し、これが現在に残る上田城です。
カードの城門・東虎口櫓門は現代にて再建されたものですが、右に見切れている北櫓【長野県宝】は仙石時代のものが現存しています。
そして右側の立ち看板がある辺りの石垣で、ひときわ大きい石。
これは通称「真田石」と呼ばれています。
徳川秀忠は上田合戦で惨敗を喫して以来、真田を快く思っていませんでした。
そこで秀忠は、信之を松代へと移封させました。
ゆかりある上田の地を離れることとなった信之は憤慨し、上田城の植栽やら石垣の石やらをすべで松代へ持って行ってやろうとしました。
しかしこの「真田石」だけは巨石ゆえに、松代へと運ぶことはできなかったといいます。
このような伝説がありますが、信之時代には上田城は破却されていたので、単なる伝承にすぎません。
ちなみに松代は松平一族などが領主となった要衝の地なので、秀忠は信之を評価して移転をさせたといえます。
この日は新しいカードを2枚ゲットでき、幸先の良い新年を迎えたといっていいでしょう。
じつは仕事納めの12月28日、ハイソフトを2回買って、2回ともダブリを引いたんですけどね。
だから麻雀大会の成績が悪かったのかな?
ともかく明日もおやつはハイソフトです。