日本バプテスト大阪教会へようこそ!

教会設立73年 都会と下町とが交差する大阪のどまん中にある天王寺のキリスト教会 ぜひお立ち寄りください!

祈りの課題②

2011-03-27 09:37:02 | 巻頭言
東日本大震災(東北地方太平洋沖大地震)から二週間が経過しました。
この大震災・大津波によってお亡くなりなられた方、行方不明となられている方々が2万7千人以上にものぼることが明らかになりました。今現在も被災された方々の不安や恐れ、悲しみや悩みは尽きません。必要な援助や支援の手がまず届き、一時的にではあるかもしれませんが、避難生活を余儀なくされている方々には生活と衣食住がいき渡り、整えられていきますように祈らずにおれません。また居住地から離れて町村ごと移動を強いられ苦渋の選択をせざるを得ない多くの被災者がおられることを知らされ心が痛みます。更に原発事故による放射性物質が大気、雨を通して野菜や水道水にまで混入し、被災地をはじめ関東地方の人々にもその恐れと不安が広がっています。派遣作業員3名が原発内で1万倍の高濃度放射性物質に被ばくしたというショッキングなニュースが流れました。
これは元教会員の姉からの情報ですが、以前住んでいた宮城県石巻市はこの大震災で壊滅的な被害が出ており、被災地の方々が今緊急に現地では買う事の出来ない生活物資を必要としているというSOSが教会員の姉に入ってきたという連絡がありました。礼拝後にアピールして頂きます。被災された方々の思いは想像しがたいものがありますが、まず心を合わせて主に祈り続け、私たちにできることをなしてまいりましょう。
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祈りに覚えて

2011-03-20 07:52:49 | 巻頭言
東日本大震災(東北地方太平洋沖大地震)から10日が経過しました。
この大震災・大津波によってお亡くなりになられた方々、行方不明となられている方々が現時点で2万人に迫るということが明らかになってきています。日本人以外の滞日外国人の方々の安否情報は全く伝えられていないという事であります。今現在も多くの被災された方々が難民状態におられます。更に原発の放射能漏れ事故によるは被ばくの被害が広がり、悲しみと不安が日本列島を覆い、もどかしさが募るばかりですが。そういう中被災された方々はもとより、がれきの山と洪水状態の危険な場所において救出活動されている消防隊員、警察官、自衛隊員や医療関係の方々。危機的な原子力発電所において不眠不休、命がけで務めておられる方々、給水活動をされている自衛隊、消防隊員の方々がおられます。又、被災地において炊き出しや夜回りの支援活動がNGOや教会を中心に始まっているという知らせも届いています。
被災地東北・北関東地方の連盟諸教会伝道所の現況報告が連盟のホームページより日々更新され伝えられておりますが。今のところ教会堂が倒壊したというような大きな被害は伝えられていません。が、被災した教会でまだ教会員やそのご家族の安否確認ができていないところもありますので詳細については把握できていないのが現状です。
このような大震災が起こったにも拘わらず、被災地の殆どの教会・伝道所では13日・主の日の礼拝が守られたということであります。中には普段の三分の一の礼拝出席であったという教会もあり心配はつきませんが、震災のただ中で礼拝を守り抜かれたその姿勢に心打たれます。連盟としては災害対策本部を設置し、今後も被災地の教会に関する情報収集と発信、募金活動、支援活動、祈りの要請など行っていくこととなりました。教会としても募金封筒を作成しました。引き続きお祈りとご協力をお願いいたします。
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祈りの課題。

2011-03-16 17:37:28 | 巻頭言
3月11日に発生しました未曾有の東日本大震災、及び大津波のために犠牲となられた方々に対し、心から哀悼の意を表します。いまだ、安否のわからない多くの行方不明者がおられることに対し、誠に心が痛みます。
目下、家族を亡くされ、家を失われた被災者の方々が行く場をなくして、避難所で、又孤立した場所において、いのちを必死につないで、保たれておられる方々に対し、心よりお見舞い申し上げますと共に、一刻も速い救助と必要な支援と物資が避難されている方々の隅々にまで行き渡りますよう、お祈りいたします。

この東日本大震災、及び大津波、原子力発電所事故に伴う放射能漏れに対し、一日も早い解決の道が示されていくように、礼拝、祈祷会においてみ言葉に聞き、祈り続け、日々出来ることをなしていきたいと願います。平安

「わたしは、こう祈ります。知る力と見抜く力を身につけて、あなたがたの愛がますます豊かになり、本当に重要なことを見分けられるように。」フィリピ1章9~10節

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今年の恵み

2010-12-29 08:40:31 | 巻頭言
 今年も様々な出来事がありました。1人の姉妹の信仰告白とバプテスマが与えられ、2人の姉妹が転入会されたことはまことに嬉しい感謝の出来事でした。今年は大阪教会にとって宣教開始60周年という記念すべき年となり、特伝、信徒研修会、リフレッシュデーが恵みのうちに行われ、60周年記念誌の作製作業が目下なされております。特にこの60周年記念誌を作っていく過程において、大阪教会の過去、現在、将来を確認していくことが出来たのですが。その中で私は、「感謝・悔い改め・希望」という3つのキーワードが与えられました。それは、これまでの歩みに感謝しつつ、悔い改める点は悔い改め、今私たちが神さまの前に如何にあるべきか、どう歩んでいくのかというみ旨をしっかりと聞きとり、希望をもってキリストの教会を築いてゆくこと。それは今私たちが主にできることを精一杯なし、次世代の人たち、その子どもや孫たちが教会を引き継いでいけるようにしていくことだと、そう確信いたしました。信仰の継承、今この時私どもは大阪教会につながっていますが、それはある意味有限な時間であります。先のことは分かりません。ですからこの二度と繰り返されることのない与えられた時を、主の前に精一杯生き、恵みに応えていく事がとても大事ではないでしょうか。後の世代に信仰のバトンとキリストのみ体なる教会という宝を手渡す事ができるようにしていきたいものであります。
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第20回BWA(バプテスト世界大会)に参加して

2010-08-30 14:15:09 | 巻頭言
                        
アロ(愛を)・ハ(息)・オエ(あなたに) 記念すべき第20回世界大会は
7月28日~8月3日米国ハワイ州ホノルル・Convention Centerに於いて
主題“Hear The Spirit”のもとでオリィベット教会渡辺牧師夫人を舞台の中央に日系二世婦人のフラの祈りによって開催されました。日本からの参加者は田口理事長以下31名でした。世界105ヵ国3500人の兄弟姉妹の祈りと讃美は、平和と和解の願いをこめて会場に響きわたり、中でもBWAの信徒総数3710万人の20%(756万人)を擁するアフリカからの多数の参加者の猛烈な熱気には圧倒されてしまいました。12年振のオリィベット教会訪問でしたが、再会したジョージ・渡辺師(1952年名古屋教会宣教師)は車でホノルルが一望できるパンチ・ボールの丘に案内してくれました。
二つの祖国、日本と米国の狭間でヨーロッパ戦線に散った若い幾千もの日系二世の墓標が並んでいるのを見て思わず涙してしまいました。太平洋戦争の発端となったパール・ハーバー先制攻撃を、戦中派の私達もリメンバー・パール・ハーバーを覚え、日本国民としての悔い改め、不戦の誓いと共に、これらのことを隠さず、後の世代に語り継いで行くことを詩編78編は私たちに求めているのです。メルボルン、バーミンガム、ホノルルのBWA大会に三回続けて参加できたことを主に感謝する者でございます。
(T・S)
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全国少年少女大会から。

2010-08-19 09:15:00 | 巻頭言
「教会観」

8月上旬の4日間、伊豆の天城山荘で開かれました全国少年少女大会に分団リーダーとして参加してまいりました。関西地方の教会からは18名の少年少女たちが参加しました。2日目夜のジョイフル・プレーズの時間では、関西連合少年少女たちも関ジョイというグループでお揃いの赤のTシャツを着て初デビュー、2曲舞台で主を讃美しました。

特に思いますのは、全国、北は北海道旭川から南は九州・沖縄までの少年少女、韓国の教会の少年少女含め166名の参加者でした。食事時に今年は使っていないテーブルが目立ちました。少年少女たちの参加が減少傾向にあるのです。まあ参加費が高いということもありますが。もう一つは、各教会の少年少女の人数が減少している現実を目の当たりにしました。

やはり、個々の教会でこども、小学生、少年少女、そして青年を育てていくという具体的な課題があるということを知らされました。又、教会の規模が小さくて1人しかいないというような教会であっても、それを連合の諸教会同士の交流や親睦をしながら、そこで知り合うことで、小さな教会にも元気な風を吹き込んでいけるような機会や出来事を作っていくことが、吸収して合同するとか消滅とか教会が言われているときに、ほんとうにそういうことが必要だと思いましたね。自分たちだけの教会がよければいいという自己完結型の教会は今はいいかもしれませんが、必ず行き詰まるときが来ます。そういう意味で、幸い関西は地方連合という協力し、支え合い、祈りあうネットワークがあります。その地方連合の場をこの大阪教会もどんどん利用して、交流や学び合い、あるいはリフレッシュなどの行事もあります。来月9月20-21日には信徒大会が神戸しあわせの村で予定されています。そういった場に出て行き、参加することで、自分自身も元気を戴きますが、教会も風通しがよくなります。

もう一つは、今回私は高校3年生9人と高校2年生1人の計10人の分団リーダーをさせて戴きました。ですから、この高校3年生、そして高校2年生も全国大会が2年に1度の開催になったのでいずれも今回が最後の大会になります。進学や就職という大きな問題を抱えながら、みなそれぞれにこの大会に参加するかどうか悩みに悩んで天城に来た少年少女たちでした。
そういった中、分団を重ねる中で出たのは「私と神さまとの関係」を自分はこの大会で確認できたらいいという話になりました。3日目夜のプログラムの「メッセージの夕べ」の講演で、30代の青年伝道師がこういうことを話されました。「かつて自分はこの大会に少年少女として中学1年から高校3年まで6回フル参加し、盛り上がり、友達もよくできた。けれども、天城で知り合いになった友達の殆どがその後まったく教会に行っていないことを知り、少年少女大会が嫌いになった」と話されたんですね。彼は本当に少年少女大会が嫌になったんじゃなく、つまり逆説的に自分と神さまとの関係をしっかりとこの大会で見出してほしいと訴えられたんですね。その講演の後の分団では、みな神さまに、教会にしっかりとつながっていく決心をしました。中には、音楽を通して献身したいという男子、又、直接的に牧師のように神さまを伝えて生きる働きをしたいと献身の決心をした男子が2人与えられ、分団のみんなで一緒に祈りを合わせました。

自分と神さまとの関係をしっかり築いていく。それは何も少年少女に限った問題ではありません。成人にも言えることでしょう。例えば、教会の雰囲気とか、仲間がいるとか、交わりがあるとか、そういうこともキリストの共同体として教会生活をしていくうえで大きな面だとは思います。けれどもそれは、私と神さまとのつながりよりも優先されるものではありません。まず、私と神さまとのつながり、関係をしっかりと築くことがあって、そこからその神の愛をもって奉仕や兄弟姉妹としての交わりというものが本当の意味で与えられてゆくのです。それは逆では決してありません。それを「教会観」といいますが、そこがしっかりしていないなら、糸の切れた凧のように根無し草の信仰で終わってしまうしかないのです。関りも、み言葉に生きることも希薄な薄っぺらなものになってしまいます。とっても残念なことです。

先回も申し上げましたように、聖書の神さまは、ここに40人いるとしたら、1対40という関係で、高い所から見渡しておられるのではありません。1対1のわたしとあなたという100パーセント、マックスで向き合ってくださるお方なのです。その神さまと私の関係、つながりをしっかりと築くこと、教会観を持つことが大事だと強く思わされました。
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神学校週間

2010-07-07 07:43:46 | 巻頭言
今週は神学校週間として日本バプテスト連盟の教派神学学校である西南学院大神学部をはじめ、九州、東京の各バプテスト神学校とそこで学んでおられる献身者をおぼえて祈り、ささげる時を設けております。

私も22歳の時でしたか、この大阪教会から推薦を戴いて、4年間西南学院大神学部での学びの時を与えられました。その間奉仕神学生として久留米教会、シオン山教会、糟屋教会(当時・篠栗伝道所)の3つの教会に在籍して、実践的な現場での学びをもさせて戴きました。当時、推薦教会であった大阪教会から他の教会に出席する場合、教会籍を移すか否かという議論がありました。移すことに否定的な考え方として、推薦教会との関係が切れてしまうことへの不安、奨学金を推薦教会の名前で借り受けしているということがあったのです。しかし、大阪教会の当時の中島牧師はその行くところその行くところでの教会生活が始まったのなら、たとえ1年でもその行くところの教会にきちんと籍を移していく方がよいと押し出してくださいました。私は祈りながら、1年であってもその行くところの教会にお客さんとしてではなく、メンバーの一員として関りをもち、奉仕するため籍を移して、その教会員になることを選択しました。そうして久留米、シオン山、糟屋それぞれの教会で豊かな交わりを与えられました。
又、神学部での聖書や神学の研鑽はとても大事な時でしたが、同時に神学部の寮で同じ釜の飯を食べ、共に早朝の礼拝をささげ、祈り合い、又、時には真剣に仲間のことで激論になったり、ぶつかり合ったりした共同生活は誠に貴重な時でありました。
大阪キリスト教短大神学科での2年をあわせ6年間で得た神学校での出会い、学び、体験は、その後牧師になってから20年間の豊かな肥やしになっています。神学校と献身者を覚えて、どうぞお祈りとお支えをお願いいたします。(T・S)
                                             
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新年に寄せて

2010-01-06 15:00:19 | 巻頭言
元旦礼拝で、2010年の教会標語と聖書(案)を予め提示させて頂きました。昨年は「わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる」という標語と聖句を掲げてあゆんできました。
今年の標語は「新しいぶどう酒は新しい革袋に」というみ言葉が、導かれるかたちで与えられました。昨年様々なかたちで実りました主のみ業が、さらに豊かにされていくような年でありたいとの祈りの中、「新しいぶどう酒は新しい革袋に」という標語・テーマを掲げたていきたいと願っています。
2010年がスタートいたしました。今年も主のみ心を絶えず尋ね求めて進む私たちでありたいと思います。今年は特に宣教開始60周年という節目の年にあたります。主の福音伝道のために建てられたこの大阪教会の古きよきものは継承しつつも、新しいことに挑戦し、変えられる必要のあることは、恐れず大胆にチャレンジし、チェンジできるような信仰を主から戴いてまいりましょう。
イザヤ43:19a「見よ、新しいことをわたしは行う。今や、それは芽生えている」。期待と希望をもって共どもに主のみ業のために用いて戴きましょう。きっと主は私たちの祈りに応え、新しいことをわたしどもになしてくださると信じます。
最後に、今年一年のみなさまうえに、主の豊かな恵みと祝福が与えられますよう、心からお祈りいたします。
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ごあいさつ&感謝

2010-01-02 17:21:41 | 巻頭言
2010年・あけましておめでとうございます。

昨年も多くの方々に、この大阪教会のブログをご覧いただき、ありがとうございました。今年も、どうぞうよろしくお願いいたします。

まだまだ、キリスト教会の門といいますか、敷居は高いように思います。
少しでも、お時間の許す方、興味のあられる方、どなたでも、このようなブログを訪ねていただけたら嬉しく思います。

今年は私たちの教会が福音を伝えて60周年の節目を迎えます。

いろいろなインフォメーションや発信をし、少しでもお役に立てると幸いです。

それでは、みなさまにとって2010年がよき年となりますよう、お祈りいたします。

平 安



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クリスマスの星に導かれて

2009-12-16 14:49:26 | 巻頭言

先日、教会のクリスマス・ツリーの飾り付けをしていたとき10月11日に入信したばかりの9歳のT君も一緒に手伝ってくれた。そのうちに彼は大きな星を見つけて「これどこにつけるの?」と聞いてきたので、その星の由来を説明した。東方の博士たちを導いた星のことを!
すると、彼は「僕が飾りたい!」その木の天辺に飾りたい!」小さい彼にはとても無理な話であった。人の助けが必要であることは勿論である。「ぼくが」という強い意志が彼を動かした。彼を抱っこしても届かない。それが階段近くにあったので、階段の間から手を伸ばす方法を彼は思いついた。その木の先端に手の届く方向へ下にいる者が曲げてやると苦心惨憺の末ついに届いた。見事にその星は定位置に収まったのである。Tくんの顔は「やった!」という満足感でみなぎっていた。多くの方々の祈りに導かれ、でっかい星を「ぼくが」飾りたいのだと小躍りをもってしたことが遂に実現につながった。背丈が問題ではなかったのだ。T君の意欲が周辺にいる人たちを巻き込んだ。その星が他の飾りに先駆けてあるべき位置に就いたとき、彼のよろこびようは尋常ではなかった。彼は信徒になってはじめてのクリスマスを迎える準備に大役を果たしたのです。
じっとしてはおれなかったあの異国の博士たちは遠く山河をこえてエルサレムにやってきた。途上けわしい道もあったであろうが東方でその方の星を見た彼らを導かないはずはないと固く信じてひたすら進んできたと思う。博士たちの努力や熱心が、救い主を見つけたのではない。救い主の誕生とそのしるしが彼らを動かしたのだ。
信仰者があらゆる努力をして救い主を造り出すのではなく、救い主はすでに生まれているのです!その大いなる喜びの知らせに胸をときめかしつつ応え、招きたもう主なる御子のもとに赴きたい。暗闇を照らす星に導かれ天使たちの大合唱に加わり、共に讃美の声を挙げたいと祈るものです。(M.Y.)
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