日本バプテスト大阪教会へようこそ!

教会設立73年 都会と下町とが交差する大阪のどまん中にある天王寺のキリスト教会 ぜひお立ち寄りください!

巻頭言

2008-08-03 07:39:03 | メッセージ
「その時歴史が動いた」 T・S

今から63年前の昭和20年(1945年)8月15日、空襲で家を焼き出された私は、東京牛込・矢来の叔父の家に居候していました。夜遅く叔父が帰宅して、「達ちゃん、戦争は終わったよ、明日放送があるから聞くように」と言われました。叔父は軍需工場への金融が仕事でした。
 15日昼学校の屋上に集合させられ、昭和天皇の戦争終結の放送を聞きました。皆泣いていました。空襲は晴れてちぎれ雲が飛び交い、B―29が低空飛行でアメリカ人捕虜収容所に救援物資を投下していました。それを拾いに行った日本人の幾人かが下敷きとなって死亡したと報ぜられました。 戦争が終わって正直のところほっとしました。5ヶ月前から始まった東京大空襲、曳光弾を四隅に落として真昼のように明るくし、一物も残さないじゅうたん爆撃によって10万人以上もの人々が亡くなりました。私が見た亡くなられた方々は、幾百人を超え、幾千人だったでしょうか。特に乳飲み子を抱えたままの母親の姿、姿、、、に思わず涙しました。
 昨年・一昨年とT兄の案内で広島原爆記念館を見学しました。戦争の悲惨さはなかなか伝わり難いものです。臭い(焼け焦げたものと死臭)・音(落雷のような地から湧き上がり思わず伏せてしまう)・風(火事が拡がると激しい対流が起こり暑い暴風が吹き荒れてとても眼をあけて立っていられない)・恐怖心(上空からの焼夷弾、時限爆弾が何時何処で破裂するか分からない)等々の臨場感に今でもうなされることがあります。
  幾千万の人を死の戦禍に巻き込み、戦いを仕掛けた日本が残した唯一の平和憲法は何としても守らなければなりません。太平洋戦争の歴史的な検証と悔い改めが私たちにもはっきりと分かる形でなされなければなりません。8月は平和月間として心ならずも戦陣のために倒れた人々のために深い祈りを捧げる月でありたいと思っています。
コメント
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