使徒言行録5:12-42(抜粋)
「使徒たちは、イエスの名のために辱めを受けるほどの者とされたことを喜び、最高法院から出て行き、毎日、神殿の境内や家々で絶えず教え、メシヤ(キリスト)・イエスについて福音(命の言葉)を告げ知らせていた」(41-42)とあります。使徒たちはイエスの名のために辱めを受けたことを喜んだ。牢に入れられ、ののしられ、鞭を受けたにも拘わらず、「なんで主に従っているのにこんな目にあわねばならないのか」などと言わず、それどころか主の名のために辱めを受けるにたる者とされたことを喜び、益々盛んに主イエスの救いの素晴らしさを公然と伝えていったというのです。
ルカの福音書6:22-23でイエスさまが「人の子のために人々に憎まれ、追い出され、ののしられ、汚名を着せられるとき、あなたがたは幸いである。その日には、喜び踊りなさい」とおっしゃったことが、使徒たちのうちに受肉したのです。彼らはイエスの受難と共にある喜びと、また主の復活に共に与る光栄に満ち溢れるのです。
使徒たちは最高法院や神殿という公の場でも、家々でもイエスをキリスト(救い主)と宣言し、命(救い)の言葉をあますことなく人々に伝え続けました。最高法院で「今後、イエスの名によって話しはならない」と鞭打たれ禁止命令を受けたにも拘わらず、使徒たちは公の場で「人間に従うよりも、神に従わなくてはなりません」と証言したとおり、時がよくても悪くても、あらゆる機会をとらえて「命の言葉」である福音を伝え続けたのです。
「使徒たちは、イエスの名のために辱めを受けるほどの者とされたことを喜び、最高法院から出て行き、毎日、神殿の境内や家々で絶えず教え、メシヤ(キリスト)・イエスについて福音(命の言葉)を告げ知らせていた」(41-42)とあります。使徒たちはイエスの名のために辱めを受けたことを喜んだ。牢に入れられ、ののしられ、鞭を受けたにも拘わらず、「なんで主に従っているのにこんな目にあわねばならないのか」などと言わず、それどころか主の名のために辱めを受けるにたる者とされたことを喜び、益々盛んに主イエスの救いの素晴らしさを公然と伝えていったというのです。
ルカの福音書6:22-23でイエスさまが「人の子のために人々に憎まれ、追い出され、ののしられ、汚名を着せられるとき、あなたがたは幸いである。その日には、喜び踊りなさい」とおっしゃったことが、使徒たちのうちに受肉したのです。彼らはイエスの受難と共にある喜びと、また主の復活に共に与る光栄に満ち溢れるのです。
使徒たちは最高法院や神殿という公の場でも、家々でもイエスをキリスト(救い主)と宣言し、命(救い)の言葉をあますことなく人々に伝え続けました。最高法院で「今後、イエスの名によって話しはならない」と鞭打たれ禁止命令を受けたにも拘わらず、使徒たちは公の場で「人間に従うよりも、神に従わなくてはなりません」と証言したとおり、時がよくても悪くても、あらゆる機会をとらえて「命の言葉」である福音を伝え続けたのです。