礼拝宣教 詩編137編
「はじめに」
本日は「嘆き悲しむ民の傍らに」と題し、御言葉を聞いていきたいと思います。まずこの137編の詠まれた背景についてでありますが。それは、南ユダの国が滅び、遠く異教の地バビロニアの捕囚とされた、そのような時代に生きたユダの人々の心情を詠んだ歌であるということです。詩編全体の中にはそのような嘆きの歌が数多くありますが。実はこうして詩編としてまとめられたのは、そのずっと後の時代であり、それはユダの民が捕囚から解放されて、エルサレムに帰還が叶ったその後の事なのです。
ユダの民は遂に捕囚の身から解放され、ユダのエルサレム・魂の故郷シオンへの待望の帰還が叶った。がしかし、都エルサレムの地は見捨てられたように荒廃していたのですね。エルサレムの再建、信仰によるユダの民としての再構築が求められたのです。
そもそも南ユダの国がバビロ二ア帝国の侵攻により陥落したのは、ユダの民の荒廃ゆえであり、真の神とその教え・戒めを軽んじて罪を犯し続けていったことが崩壊につながっていったのでした。ユダの民の主だった人たちはこうしてエルサレムという魂の故郷を失い、バビロンに連行され、捕囚として異国の地での生活を余儀なくされるのです。
本日の詩は、そういった民が捕囚時代に経験した苦悩と嘆きを忘れ去ることなく、むしろそれを思い起すことで真の神に信頼し、回帰する。まさにユダの民が神の深い憐れみによって神の民としてエルサレムの都を再生していく力となるよう、詩編が編纂されていったといっても過言でないでしょう。
「バビロンの流のほとりで」
それでは詩編137編の方を読んでいきたいと思います。
まず冒頭の1節に「バビロンの流のほとりに座り シオンを思って、わたしは泣いた」と書かれています。
ユダの民はバビロンでの捕囚生活で不自由さと困難とを経験しますが、それに加えすべては神に背いた罪の結果であるという悔い改めの念とともに、異教の地であるがゆえの精神的苦痛をもその身に受けねばなりませんでした。
3節には「わたしたちを捕虜にした民が 歌をうたえと言うから わたしたちを嘲る民が 楽しもうとして『歌って聞かせよ シオンの歌を』と言うから」とありますが。それはつまり、バビロンの異教徒たちが宴会の席に捕囚の民らを呼び出し、余興として「おまえたちのシオンの歌、主なる神をほめたたえる歌を歌え」と、いわば上からの目線で絡んだということが実際あったのでしょう。
もしユダの民がそこで、バビロンの異教徒たちの命じるままに当初からいつも歌われていた「主は主権をもってすべてを統治される」(詩編103・19)などと歌ったなら、おそらく異教徒たちは「それならなぜお前たちは滅びたのだ。お前たちの神はどこにいるのか。死んだ神なのか」と嘲笑ったことでしょう。それはユダの人びとにとって自分たちばかりでなく、神が愚弄されるという決してあってはならないことであり、耐え難い屈辱であったのです。子どもにとって家族、殊に親のことを悪く言われるのは、自分が悪く言われる以上に耐え難いものでしょう。ユダの人びとにとって主なる神が侮られ屈辱を受けることは、他のどんな仕打ちより、屈辱的なことだったのです。
国が滅び、魂の故郷シオン(エルサレム)を失った悲しみにさらに追いうちをかけたのは、こうした異教の地で聖なる真の神への讃美の歌が、余興の歌とされ、聖なる神の御名と聖なる都・魂の故郷エルサレムが汚される嘆きと屈辱にあったのです。だから詩人は4節で「どうして歌うことができようか 主のための歌を、異教の地で」と言っているのですね。2節に「堅琴は、ほとりの柳の木々に掛けた」とありますが、それは彼らにできる唯一の抵抗であったのです。断じて神の名が愚弄されることがないため歌うことを拒み、竪琴をそれぞれが柳の木々に掛けた、ということであります。
「歌いたくないのに歌を強要する」。このような事柄が日本でも起こっています。日の丸・君が代の強制もその一つです。「君が代」の歌によって戦争が美化・正当化され、それによって実に多くの人が苦しみ、命を落とさねばならなかった歴史があります。又、近隣アジア植民地とする中で、母国語の使用を禁じ、「きみがよ」を強制的に歌わせることで、民族としての尊厳を脅かし・奪っていった歴史があります。大阪府では2011年府立(公立)学校における君が代起立斉唱を義務付ける条例が成立し、その後43人もの教員が懲戒処分を受けました。
ある大阪の日本人のクリスチャンである教師は、「学校には様々な背景を持つ子どもや家族がいるので心痛む、わたしは君が代を歌う事ができないその理由がここにあります」と、その思想信条上の心の思いを表明されています。この方は業務違反ということで減給処分とされましたが。これら一連の事は「思想信条の自由を保証する」憲法の精神からも反しているということで、様々な議論を呼び長らく問題になっています。
私たちは「信教の自由を守る」立場からも、この問題に関心を持ち、注視していかねばと思います。「歌いたくないのに歌を強要される」。その悲痛なうめきは今私たちが死んでいる場所にも私たちの問題としてあるのだ、ということを覚えたいと思います。
私は何も国旗や国家を否定しているのではありません。「日の丸」と「君が代」に代わる新しい国旗と国歌ができ、心から歌える日が来ることを願っています。
さて、詩人は5節~6節で、「エルサレムよ もしも、わたしがあなたを忘れるなら わたしの右手はなえるがよい。わたしの舌の上顎ははり付くがよい もしも、あなたを思わぬときがあるなら もしも エルサレムを わたしの最大の喜びとしないなら」と歌っています。ここで言う「あなた」とは、エルサレムの都を擬人化しているわけですが。彼らにとってエルサレムは神の都であり、神の栄光とユダの民の選びそのものであったのです。
ご存じのようにこの後、ユダの民は再びエルサレムに帰還し、国を再建させました。ユダヤ教が誕生したのです。そのような事は通常では考えられないことです。如何に彼らの中に、この「エルサレムよ、もしも、わたしがあなたを忘れるなら」という5節6節の歌が何世代にも亘って繰り返し繰り返し詠まれて覚えられて来たか、歌われて来たかということを、その事実が証明しているように思います。
私どもにとってエルサレムとは何でしょうか。クリスチャンである私のエルサレム、それは救い主、イエス・キリストが十字架で贖いを成し遂げて下さった地であり、その復活の命をもって死から勝利を勝ち取って下さった地であります。もしも、主イエスとそのみ業を忘れ、恵みとしないのなら、その信仰は何なのか、ということを思わされます。
異教徒らの「祝宴の余興におまえたちの神の歌をうたって見せろ」という嘲りと屈辱。
バビロンの流れのほとりで涙に暮れる日々。バビロン捕囚という時は、かれらのにとってどれほど辛く、嘆かわしい経験であったでしょう。しかしながら、ユダの民は異教の地で受けたこれらの出来事を通して、真の神を礼拝する大きな恵みと自由の尊さを再発見、再確認をしたのです。「信仰の目覚め」「真の神に立ち帰るこの上もない恵み」を体験を通して、つまり身を持って知る事となったのです。
皆さま方お一人おひとりにもそのような経験がおありではないでしょうか。そして本当の意味でそのような信仰の目覚めを受けるのは、順風満帆でよい関りの時よりも、むしろ苦しみや悲しみの中で、その逆境を乗り越えたそのような時であることに気づかされます。「主は、嘆き悲しむ私の傍らに、ああ、あのようなかたちでいて下さったのだ。沈黙の中にも主は共におられるのだ。そのような体験を通して私たちは主の恵みの味わい深さ、奥深さを垣間見させていただくのであります。
「嘆き悲しむ民の傍らに」
最後にこの詩編137編を読む上で避けて通れない問題があります。それは憎しみという誰にでも起こり得る感情です。
7節以降には次のように歌われています。「主よ、覚えてください、エドムの子らを エルサレムのあの日を、彼らがこう語ったのを 『裸にせよ、裸にせよ、この都の基まで。』 娘バビロンよ、破壊者よ いかに幸いなことか お前がわたしたちにした仕打ちを お前に仕返す者 お前の幼子を捕えて岩にたたきつける者は。」
ここには、バビロンに加担してユダを滅ぼしたエドム人に復讐する者はいかに幸いかという言葉と、加えて、かつてバビロン軍の兵士がユダの子どもたちを捕え、岩にたたきつけて殺害したことに対して、同様に復讐する者はいかに幸いであるかという何とも心の凍てつくような言葉が語られています。「敵の赤ん坊を岩にたたきつける者に、祝福があるように」などと、そういった暴言が許されていいのか、と思ってしまいますが。それにしてもなぜこのような復讐心や呪いともいえるむき出しの感情を歌う詩が聖書という正典の中に収められているのでしょうか。それは、憎しみや恨みといった感情が誰の心にも起こり得るものだからではないでしょうか。人間誰しも、たとえ信仰を持っていたとしても、
何とも言い表しがたいような悲しみ、激しい怒りと憤りを経験することが時にあります。許すことができない怒りと憤り、恨みや呪いさえしてしまう。自分にもがきながらもなかなかそのどろどろとした感情から抜け出せない。そのような人を、はたして主は突き放されるでしょうか。置き去りになさるでしょうか。
いいえ、「わたしがバビロンの流れのほとりに座り、涙を流す」時、その傍らで主もまた悲しみ泣いておられます。
次の詩編138編3節には、「呼び求めるわたしに答え、あなたは魂に力を与え、解き放ってくださいました」と、歌われています。そのように主はあなたが再び力を取戻し、一切の負の感情から解き放たれることを願い導いて下さる、そのようなお方なのです。主はバビロンの川のほとりで涙するあなたに今日も寄り添って下さいます。祈りましょう。
「はじめに」
本日は「嘆き悲しむ民の傍らに」と題し、御言葉を聞いていきたいと思います。まずこの137編の詠まれた背景についてでありますが。それは、南ユダの国が滅び、遠く異教の地バビロニアの捕囚とされた、そのような時代に生きたユダの人々の心情を詠んだ歌であるということです。詩編全体の中にはそのような嘆きの歌が数多くありますが。実はこうして詩編としてまとめられたのは、そのずっと後の時代であり、それはユダの民が捕囚から解放されて、エルサレムに帰還が叶ったその後の事なのです。
ユダの民は遂に捕囚の身から解放され、ユダのエルサレム・魂の故郷シオンへの待望の帰還が叶った。がしかし、都エルサレムの地は見捨てられたように荒廃していたのですね。エルサレムの再建、信仰によるユダの民としての再構築が求められたのです。
そもそも南ユダの国がバビロ二ア帝国の侵攻により陥落したのは、ユダの民の荒廃ゆえであり、真の神とその教え・戒めを軽んじて罪を犯し続けていったことが崩壊につながっていったのでした。ユダの民の主だった人たちはこうしてエルサレムという魂の故郷を失い、バビロンに連行され、捕囚として異国の地での生活を余儀なくされるのです。
本日の詩は、そういった民が捕囚時代に経験した苦悩と嘆きを忘れ去ることなく、むしろそれを思い起すことで真の神に信頼し、回帰する。まさにユダの民が神の深い憐れみによって神の民としてエルサレムの都を再生していく力となるよう、詩編が編纂されていったといっても過言でないでしょう。
「バビロンの流のほとりで」
それでは詩編137編の方を読んでいきたいと思います。
まず冒頭の1節に「バビロンの流のほとりに座り シオンを思って、わたしは泣いた」と書かれています。
ユダの民はバビロンでの捕囚生活で不自由さと困難とを経験しますが、それに加えすべては神に背いた罪の結果であるという悔い改めの念とともに、異教の地であるがゆえの精神的苦痛をもその身に受けねばなりませんでした。
3節には「わたしたちを捕虜にした民が 歌をうたえと言うから わたしたちを嘲る民が 楽しもうとして『歌って聞かせよ シオンの歌を』と言うから」とありますが。それはつまり、バビロンの異教徒たちが宴会の席に捕囚の民らを呼び出し、余興として「おまえたちのシオンの歌、主なる神をほめたたえる歌を歌え」と、いわば上からの目線で絡んだということが実際あったのでしょう。
もしユダの民がそこで、バビロンの異教徒たちの命じるままに当初からいつも歌われていた「主は主権をもってすべてを統治される」(詩編103・19)などと歌ったなら、おそらく異教徒たちは「それならなぜお前たちは滅びたのだ。お前たちの神はどこにいるのか。死んだ神なのか」と嘲笑ったことでしょう。それはユダの人びとにとって自分たちばかりでなく、神が愚弄されるという決してあってはならないことであり、耐え難い屈辱であったのです。子どもにとって家族、殊に親のことを悪く言われるのは、自分が悪く言われる以上に耐え難いものでしょう。ユダの人びとにとって主なる神が侮られ屈辱を受けることは、他のどんな仕打ちより、屈辱的なことだったのです。
国が滅び、魂の故郷シオン(エルサレム)を失った悲しみにさらに追いうちをかけたのは、こうした異教の地で聖なる真の神への讃美の歌が、余興の歌とされ、聖なる神の御名と聖なる都・魂の故郷エルサレムが汚される嘆きと屈辱にあったのです。だから詩人は4節で「どうして歌うことができようか 主のための歌を、異教の地で」と言っているのですね。2節に「堅琴は、ほとりの柳の木々に掛けた」とありますが、それは彼らにできる唯一の抵抗であったのです。断じて神の名が愚弄されることがないため歌うことを拒み、竪琴をそれぞれが柳の木々に掛けた、ということであります。
「歌いたくないのに歌を強要する」。このような事柄が日本でも起こっています。日の丸・君が代の強制もその一つです。「君が代」の歌によって戦争が美化・正当化され、それによって実に多くの人が苦しみ、命を落とさねばならなかった歴史があります。又、近隣アジア植民地とする中で、母国語の使用を禁じ、「きみがよ」を強制的に歌わせることで、民族としての尊厳を脅かし・奪っていった歴史があります。大阪府では2011年府立(公立)学校における君が代起立斉唱を義務付ける条例が成立し、その後43人もの教員が懲戒処分を受けました。
ある大阪の日本人のクリスチャンである教師は、「学校には様々な背景を持つ子どもや家族がいるので心痛む、わたしは君が代を歌う事ができないその理由がここにあります」と、その思想信条上の心の思いを表明されています。この方は業務違反ということで減給処分とされましたが。これら一連の事は「思想信条の自由を保証する」憲法の精神からも反しているということで、様々な議論を呼び長らく問題になっています。
私たちは「信教の自由を守る」立場からも、この問題に関心を持ち、注視していかねばと思います。「歌いたくないのに歌を強要される」。その悲痛なうめきは今私たちが死んでいる場所にも私たちの問題としてあるのだ、ということを覚えたいと思います。
私は何も国旗や国家を否定しているのではありません。「日の丸」と「君が代」に代わる新しい国旗と国歌ができ、心から歌える日が来ることを願っています。
さて、詩人は5節~6節で、「エルサレムよ もしも、わたしがあなたを忘れるなら わたしの右手はなえるがよい。わたしの舌の上顎ははり付くがよい もしも、あなたを思わぬときがあるなら もしも エルサレムを わたしの最大の喜びとしないなら」と歌っています。ここで言う「あなた」とは、エルサレムの都を擬人化しているわけですが。彼らにとってエルサレムは神の都であり、神の栄光とユダの民の選びそのものであったのです。
ご存じのようにこの後、ユダの民は再びエルサレムに帰還し、国を再建させました。ユダヤ教が誕生したのです。そのような事は通常では考えられないことです。如何に彼らの中に、この「エルサレムよ、もしも、わたしがあなたを忘れるなら」という5節6節の歌が何世代にも亘って繰り返し繰り返し詠まれて覚えられて来たか、歌われて来たかということを、その事実が証明しているように思います。
私どもにとってエルサレムとは何でしょうか。クリスチャンである私のエルサレム、それは救い主、イエス・キリストが十字架で贖いを成し遂げて下さった地であり、その復活の命をもって死から勝利を勝ち取って下さった地であります。もしも、主イエスとそのみ業を忘れ、恵みとしないのなら、その信仰は何なのか、ということを思わされます。
異教徒らの「祝宴の余興におまえたちの神の歌をうたって見せろ」という嘲りと屈辱。
バビロンの流れのほとりで涙に暮れる日々。バビロン捕囚という時は、かれらのにとってどれほど辛く、嘆かわしい経験であったでしょう。しかしながら、ユダの民は異教の地で受けたこれらの出来事を通して、真の神を礼拝する大きな恵みと自由の尊さを再発見、再確認をしたのです。「信仰の目覚め」「真の神に立ち帰るこの上もない恵み」を体験を通して、つまり身を持って知る事となったのです。
皆さま方お一人おひとりにもそのような経験がおありではないでしょうか。そして本当の意味でそのような信仰の目覚めを受けるのは、順風満帆でよい関りの時よりも、むしろ苦しみや悲しみの中で、その逆境を乗り越えたそのような時であることに気づかされます。「主は、嘆き悲しむ私の傍らに、ああ、あのようなかたちでいて下さったのだ。沈黙の中にも主は共におられるのだ。そのような体験を通して私たちは主の恵みの味わい深さ、奥深さを垣間見させていただくのであります。
「嘆き悲しむ民の傍らに」
最後にこの詩編137編を読む上で避けて通れない問題があります。それは憎しみという誰にでも起こり得る感情です。
7節以降には次のように歌われています。「主よ、覚えてください、エドムの子らを エルサレムのあの日を、彼らがこう語ったのを 『裸にせよ、裸にせよ、この都の基まで。』 娘バビロンよ、破壊者よ いかに幸いなことか お前がわたしたちにした仕打ちを お前に仕返す者 お前の幼子を捕えて岩にたたきつける者は。」
ここには、バビロンに加担してユダを滅ぼしたエドム人に復讐する者はいかに幸いかという言葉と、加えて、かつてバビロン軍の兵士がユダの子どもたちを捕え、岩にたたきつけて殺害したことに対して、同様に復讐する者はいかに幸いであるかという何とも心の凍てつくような言葉が語られています。「敵の赤ん坊を岩にたたきつける者に、祝福があるように」などと、そういった暴言が許されていいのか、と思ってしまいますが。それにしてもなぜこのような復讐心や呪いともいえるむき出しの感情を歌う詩が聖書という正典の中に収められているのでしょうか。それは、憎しみや恨みといった感情が誰の心にも起こり得るものだからではないでしょうか。人間誰しも、たとえ信仰を持っていたとしても、
何とも言い表しがたいような悲しみ、激しい怒りと憤りを経験することが時にあります。許すことができない怒りと憤り、恨みや呪いさえしてしまう。自分にもがきながらもなかなかそのどろどろとした感情から抜け出せない。そのような人を、はたして主は突き放されるでしょうか。置き去りになさるでしょうか。
いいえ、「わたしがバビロンの流れのほとりに座り、涙を流す」時、その傍らで主もまた悲しみ泣いておられます。
次の詩編138編3節には、「呼び求めるわたしに答え、あなたは魂に力を与え、解き放ってくださいました」と、歌われています。そのように主はあなたが再び力を取戻し、一切の負の感情から解き放たれることを願い導いて下さる、そのようなお方なのです。主はバビロンの川のほとりで涙するあなたに今日も寄り添って下さいます。祈りましょう。