日本バプテスト大阪教会へようこそ!

教会設立73年 都会と下町とが交差する大阪のどまん中にある天王寺のキリスト教会 ぜひお立ち寄りください!

神の用意された場所

2016-05-01 14:31:04 | メッセージ
礼拝宣教  ヨハネ黙示録12章1-18節   

今日はヨハネ黙示録12章が読まれましたが、新共同訳聖書には章や段落ごとに小見出しが親切につけられおり、ここでは「女と竜」となっております。
これを目にしたとき、北九州育ちの私はとっさに「花と竜」という火野葦平の長編小説で、実父の玉井金五郎と吉田磯吉を描いた映画のタイトルが浮かんできました。玉井金五郎役を石原裕次郎さんや高倉健さんが演じたこともあり良く知られていますが。
その玉井親分の相手方の吉田磯吉親分。彼は強きをくじき、弱きを助ける「にんきょう」の元大親分で衆議院議員にもなった方でもありますが。その息子さんであった吉田敬太郎さんがこれまた、実にユニークな人生を歩んだ方なのですね。昔大阪教会の特伝にも講師として来て下さいました。
吉田敬太郎さんもまた父磯吉のように衆議院議員になるのですが、太平洋戦争中に戦争反対を唱え投獄されます。その憎しみと復讐に燃えた獄中で聖書と出会い人生が大きく変えられるのです。
それはかつて奥様が学生時代に西南女学院で聖書と出会っておられ、戦後、吉田敬太郎さんも西南女学院のあるシオン山教会に導かれて主を信じてバプテスマを受けて共に信仰生活を始められるのです。私の大大先輩であられますが。それからは献身なさって若松教会の牧師をされながら若松市長となられるのです。その後5市が合併して誕生した北九州市の初代市長となります。大きな仕事としては若戸大橋の建設にも尽力されました。
北九州市長退任後は、天に召されるまで全国の教会を巡って奉仕なさったと聞いております。
この吉田敬太郎さんが残された自叙伝「汝復讐するなかれ」(絶版)は、戦時中における証しの書であり、同時に今日いつ戦争が起こってもおかしくないような世にあって、二度と同じ過ちを犯さないようにと警鐘をならす、そのような大変意義のある手引き書ともなるものです。
戦時中に吉田さんを迫害し、投獄していった官憲や法廷官等は、後に吉田さんの思いもよらないところで次々とその罪を世に暴露され、逮捕されて裁かるていくことになりました。吉田さんはローマ12章19節の「自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。『復讐はわたしのすること、わたしが報復する』と主は言われる」との御言葉をそのように目の当たりにされるのですね。
このヨハネの黙示録6章10節には「神の言葉と自分たちが立てた証しのために殺された人々の魂が「真実で聖なる主よ、いつまで裁きを行わず、地に住む者にわたしたちの血の復讐をなさらないのですか」と大声で叫んだとあります。それに対して主は、彼らと同じように殉ずる兄弟、仲間の僕たちの数が満ちるまでなおしばらく静かに待つように告げられます。「静かに待つ」。それは「自分で復讐しない」ということです。そして「しばらくは」というのですから、それは必ず厳粛なさばきの時が来るということです。一切が神のご計画のもとにございます。これらはすべてのキリスト者に向けた希望と励ましのメッセージであります。

そして本日の12章には、小羊の血と自分たちの証しの言葉とで竜に象徴されます力に打ち勝った「兄弟」が出てまいります。主の救いのご計画は、救い主イエス・キリストの誕生から天に昇られるその時に至って、すでに成し遂げられているのです。

さて、ここに登場する「一人の女」;12の星の冠を頭にかぶった女は真のイスラエルを象徴します。その女から一人の男の子が生まれました。それこそが旧約聖書の時代から待望されてきた救い主、御子イエス・キリストです。
又、大きな赤い「竜」はサタンや悪魔を象徴します。7つの冠を頭にかぶっていたとありますが。これは世の権力や名誉を表します。この時代における赤い大きな竜はローマのドミティアヌス皇帝の権力下におけるキリスト教会とその信徒たちへの激しい迫害を表します。後にそれは、この書が読まれるその時代その時代において形を変えて働く世の力を表します。それらサタンや悪魔の働きは、人を惑わし、信徒を告発し、教会を分裂させ、神への不信と反逆へ誘い、遂には神から引き離すものとして今も働いています。神の救いの計画を破壊しようとする強い力が大きな赤い竜の本性であります。

この赤い竜ははじめ、女が身ごもって男の子を産むなり、すぐにその子を食べてしまおうと目論みます。この救い主メシア、真の王が生まれると彼らの地位や働きが脅かされてしまうからです。イエスさまがお生まれになった時、ヘロデ王はまさにそうでした。そこで2歳以下の男の子の殺害令をユダヤ全土に発布しました。サタン、悪魔は世の権力者のうちに忍びこみ、神の救いの計画が成し遂げられないように阻止しようとするのです。しかし、その御子イエスさまは父の神の御心どおり、十字架の御業を成し遂げ、復活なさり、御神のもと、その玉座へ引き上げられるのです。赤い竜はその力によって神の御子を葬ったように見えましたが。実にその十字架の出来事こそが、神の救いの計画が成就したことを表すのです。

この赤い竜については、7節にありますように、天において神とその使いとに敗れ、天に居場所を失い、地上に投げ落とされてしまいます。
10節には、天でヨハネが聞いた大きな声が書きとめられています。
「今や、我々の神の救いと力と支配が現れた。神のメシアの権威が現れた。我々の兄弟を告発する者、昼も夜も我々の神の御前で彼らを告発する者が、投げ落とされたからである。兄弟たちは、小羊の血と自分たちの証しとで、彼に打ち勝った。彼らは死に至るまで命を惜しまなかった。」

ヨハネは、主イエスが十字架で流された御血汐と、その信徒たち自身が立てた主イエスの救いの証しが、大きな赤い竜、すなわちサタンとも悪魔とも言われる勢力に打ち勝った」という大きな声を聞くのです。

それにも拘わらずヨハネの生きていた地上においてはローマ帝国による大迫害と弾圧が教会と信徒たちを襲っていました。天においては既に完全な勝利があります。しかし13節にあるように「地に投げ落とされた竜は怒りに燃え『男の子を産んだ女(教会のこと)のそのあとを追った」とあります。そのような状況下、教会の中や信徒たちも非常に厳しい状態にあったため、内部分裂や紛争のようなことが起こっていったことでしょう。実はそれこそがサタン、悪魔が一番喜ぶことで、その術中にはまることなのです。兄弟同士が互いの罪を訴えて悪口を言い、また不平不満をもって争い、結果、神への信仰を失わせ、神さまから引き離すことがサタンの大目的なのです。

主の勝利は既に実現されましたが、その一方で、地上の私たちにはなお信仰の戦いがあります。私たちの世界の状況に目を向けてみますと、イエスさまがかつておっしゃった「終末の徴」をそこに見るようです。マタイ24章のところでイエスさまは、「人に惑わされないよう気をつけなさい」「民は民に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に飢饉や地震が起こる」「多くの人がつまづき、互いに裏切り、憎しみ合うようになる」「偽預言者も大勢現れ、多くの人を惑わす」「不法がはびこるので、多くの人の愛が冷える」と言われました。
 熊本の大地震が起きて今も被災された方々は大変なんですけれども、でもそのような中、遠くから多くのボランティアの方々が何とか自分にできることはないかという思いに駆り立てられるようにして熊本入りされて、活動されているその姿が伝えられているのを知り、被災地の現状は厳しいですが、人の愛が冷えるどころか、いやいやここにも「神の用意された場所がある」と気づかされました。

さて、サタンは訴える者、分裂を起こす力として争いや不和を生じさせ、不信が増し、人々の愛が冷えることを喜んでいます。先にも申しましたようにサタン、地に落ちた竜の最大の目的は何かといいますと、神の愛を信頼する信仰を失わせてしまうことにあるのです。このサタンは、私たちが主に信頼せず、自分の思いどおりに生きる方がずっと楽だしすばらしいと、そのように誘います。
では私たちは、そのような赤い竜の働きや力からどのように自分を守ってゆけばよいのでしょう。今日の12章はそこに一つの大きなメッセージがあるのです。
それにはまず6節を見てみましょう。「12の星を冠を頭にかぶった女が荒れ野へ逃げ込んだ。そこには、この女が1260日の間養われるように、神の用意された場所があった」と記されています。又、8節には「ミカエルとその使いたちに勝てなかった大きな竜は、もはや天には彼らの居場所がなくなった」とそのように記されています。先程もふれましたように、この女というのは教会と信徒たちをさしています。又、14節には「女には大きな鷲の翼が2つ与えられた。荒れ野にある自分の場所へ飛んで行くためである」と記されていますね。その一方で、地に投げ落とされた大きな竜は逆に、もはや「天に彼らの居場所がなくなった」と記されています。自分の場所や居場所があるというのは本当にありがたいことです。ましてや「神の用意された場所」です。赤い竜が働くこの地上にあって、神さまが養ってくださる場所が私たちにも与えられているのです。しかし、それは荒れ野の中にある、と記されています。荒れ野ですから、人を楽しませるようなものは何もありません。それどころか人的な保証が与えられていないような所、それが荒れ野です。聖書は、神の用意された場所が、そのような状況の中に存在するというのですね。何もかもが整ったような中でその場所を見出す事はできないんです。

私は水曜日の祈祷会の前まで、この12章の宣教題を「神の勝利と世の苦難」としていました。けれどもそれでは天上と地上のことが分離しているように思えてきたのです。確かに私たちには未だに荒れ野ともいえる状況がそれぞれにあるわけですけれども、そこに実は神の用意された場所があることを強く思わされ、宣教題を「神の用意された場所」に変えました。

さて、「女には大きな鷲の翼が二つ与えられた。荒れ野にある自分の場所に飛んで行くためである」と、このように記されています。
それはまさに、主イエスへの信仰の翼であり、御言葉の約束への信頼の翼であるでしょう。又、その翼は神への祈りであり、賛美でもあるでしょう。
招詞でもその一部が読まれましたが、イザヤ書40章28節~31節にこうあります。
「あなたは知らないのか、聞いたことはなのか。主は、とこしえにいます神 地の果てに及ぶすべてのものの造り主。倦むことなく、疲れることなく その英知は極めがたい。疲れた者に力を与え 勢いを失っている者に大きな力を与える。若者も倦み、疲れ、勇士をもつまづき倒れようが 主に望みをおく人は新たな力を得 鷲のように翼を張って上る。走っても弱ることなく、歩いても疲れない。」
 そのように私たちにも又、鷲のように大きな翼が与えられているのです。今回の黙示録を読んでつくづく深い信仰の書であるとともに、私たちへの叱咤激励の書であること知らされています。
ヨハネは、天上における神の勝利を聞き、主の御救いとその証の言葉に最後まで立つ者のうえに神の勝利が実現する、天の勝利は地上の教会と信徒たちの勝利の先取りである、と大いなる希望と慰めを得たのではないでしょうか。
ヨハネ福音書16章33節に次のような御言葉がございます。
「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。
わたしは既に世に勝っている。」
この主の勝利を私たちも天上の聖徒らと共に高らかに賛美してまいりましょう。
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