宣教 イザヤ書46章1-4節
この箇所はバビロニアの捕囚とされたユダの民が、国や家を追われ、大事な家族とも引き離され、長い間異教の地に生きていかざるを得なかった中、先行きの見えない不安や恐れを抱えていました。そういう現実の中で、その地にあふれる目に見えるバビロニアの偶像に惹かれていく者もいたのであります。
ここで、預言者イザヤはバビロニアの捕囚とされた民に向け、「バビロンの偶像」と「主なる神」とを対置させながら、主の言葉を告げます。
まず、それは「偶像により頼むことの虚しさと滅び」についてであります。
偶像はそれに従う者たちが滅びの危機にあっても何ら助けることも救い出すことができない。人が神でもない偶像の神を造って拝み、自分たちの重い荷を背負わせるんだけど、ホンマもんの神ではないので、人に危機があってもその重荷を負うことも担うこともできず、偶像と共倒れになるしかないのです。7節にも「彼らはそれを肩に担ぎ、背負って行き据え付ければそれは立つがそこから動くことができない。それに助けを求めて叫んでも答えず 悩みから救ってくれない」とございます。
人は不安や恐れから、自分の重荷や問題の解決を神ならぬ偶像を造り神のようにより頼んで求めます。そもそもそれこそ的外れなことなのであります。なぜなら、主なる神は「わたしがそのあなたたちを造った」と、預言者を通して語られるのです。
ここを読むとき、詩編139編3節以降の言葉が思い浮かんできます。
「あなたは、わたしの内蔵を造り、母の胎内にわたしを組み立ててくださった。わたしはあなたに感謝をささげる。わたしは恐ろしい力によって驚くべきものに造り上げられている。御業がどんなに驚くべきものかわたしの魂はよく知っている。秘められたところでわたしは造られ深い地の底で織りなされた。あなたには、わたしの骨も隠されてはいない。胎児であったわたしをあなたの目は見ておられた。わたしの日々はあなたの書にすべて記されている。まだその一日も造られないうちから。」
人体は神秘と言われますが。この詩編の御言葉はまさにそうです。
「胎児であったわたしをあなたの目は見ておられた」という言葉に人知を超えたお方が間近におられるという衝撃と畏れを感じるのは私だけではないでしょう。
さらに、主ご自身が人をこの神秘と言える仕方でお造りになられただけでなく、不安と恐れ、先の見えないような民に、「わたしはあなたたちの老いる日まで、白髪になるまで、背負って行こう」と、仰せになるのです。
つまり、主は不安と恐れの中にあった民を決して見捨てず、母の胎内を出、幼児期、少年少女期、青年期、壮年婦人期、年老期に老いるまで、「わたしがあなたたちを背負って行こう。わたしがあなたを造った。わたしが担い、背負い、救い出す」と、こうおっしゃっているんですね。
これはいわば、「わたしに任せて生きろ。わたしが造ったのだから、あとの責任は負う」と、そう確約なさっておられるのです。信仰というものの最後に残るのは、このことだと思うんですね。
数年前のことですが私どもの大阪教会で3日のうちに2名の方が天に召され葬儀が続いたことがありました。
お一人の方は90歳の男性でなかなか堅物の求道者でしたが、闘病が続き入院をされ、遂に昏睡状態になりますが、その後不思議に意識を戻されたのです。
そのいわば死期を前にした人に信仰の話をするのは如何なものかという考えもありますが、わたしはその信仰の判断と選択は受け取るご本人の問題だということを祈りの中で導かれ、意を決しご本人にとにかく信仰についてのお話をすることにいたしました。
その与えられた機会の中で、「Yさんあなたは主イエスをあなたの救い主として信じますか」と尋ねますと、彼は静かに「主イエスを信じることに致しました」とはっきりと答えられたのです。「はい信じます」ではなく「信じることに致しました」と言われたのが、何とも彼らしい表現であったのですが、それも、彼の確かな信仰の表明なのです。
その後、お見舞いに来られた教会員6名が見守る中、浸礼は無理でしたので、病床洗礼を受けられました。そしてを10日間ご自宅に戻られご家族と貴重な時間を過ごされて、天に召されました。主の導きをほんとに感謝しました。
二人目の方は、新会堂が建つ前に一時的に借り会堂としてビルの一室を借りて礼拝と祈祷会を守っていた頃のこと。当時まだ52才の男性で、いくつかの病気を抱えておられ独り暮しで近隣に住んでおられた方でした。
彼はプロのカメラマンでしたが、病のために家庭も仕事も財産も何もかもを失い、孤独の中で悩み心の病にもかかり、私に「死にたい」と電話をかけてこられたのです。「一度教会にいらっしゃい。お話を聞きます」と言うと、それから祈祷会に来られ、お話をされると心が落ち着かれたのです。その後礼拝にも来られるようになり、一緒に聖書を読み、祈る中で、主イエスの福音に触れ、教会の方々とも親交も深めて行く中で、主イエスを信じる決心を表されたのです。
そうして彼は新しく建った会堂の第1号のバプテスマ者となり、教会の奉仕は毎週の礼拝時のパソコンのパワーポイントの操作を欠かさずされ、教会を楽しんでおられました。しかし、その後も持病に苦しまれ続け、とうとう病のためにご自宅で独り急死されたのです。
実はその彼の死の知らせを聞いたのが、先の90歳で天に召された方の葬儀が終わり火葬場から帰宅したばかりのホッとしていた矢先のことだったのです。もう頭の中が真っ白になってしまったのですが。
しかし、ほんとうに不思議なことですが、神さまはこの方を通して幾つかの奇跡ともいえる出来事を見せてくださったのです。
その一つは、彼の訪問ヘルパーさんが彼の訃報を「私に知らせに来てくれたこと」でありました。もしそれがなければ全く連絡がとれないまま一体彼の身に何が起こったのか、もはや知るよしもなかったからです。
ヘルパーさんに話を伺って分かったことは、実は、生前彼から「自分はクリスチャンで大阪教会に通っている」ということを聞かされていたそうなのです。彼は日頃から、いわば、自分の信仰について自然体で話をされていたんですね。それが、彼のこと、残念ですが死についても知ることにつながったのです。
私はこのことから、生前から自分がキリスト者であることを明らかにしておくことは大事なことだと改めて知らされました。
二つ目の事は、その後、幸にも彼が救い主と出会い、主を信じて救われた教会とその兄弟姉妹の祈りと賛美に見送られながら、天国に帰ることが出来たということであります。
そこに至る経緯がまたすごかったというか不思議だったのでありますが。
その彼の亡くなった後に、私と連れ合いが、彼のお母さまと連絡がとれてご自宅を訪問した時のことです。当時お母さまは重い病気を抱えておられ、近隣のお友達がいつもお世話をしに来られていたのです。この時もお友達が側についておられました。
私たちがお部屋に通されるや、開口一番、「お話はありがたいことですけど、福祉の方にお葬儀は全部お願いしていますので、お断りします」といわれたのです。
福祉の葬儀は仏式で行うということです。その意志は固く、3度も「せっかくですがお断りします」といわれました。
実は私たちが来る前に既にお友達と二人で申し合わせて堅く決めておられたようです。それでも彼のことを思うと私たちはあきらめきれず、「お母さん。息子さんはクリスチャンとなって教会の礼拝や祈祷会に毎週欠かさずにこられて奉仕されていました。そこでいつもお母さんのご病気がいやされるようにと、教会で祈っておられましたよ。その信じるところに沿うかたちのキリスト教のお葬儀で送ってあげることを、息子さんご本人もきっと望んでおられるのではないでしょうか」と、そういう言葉が私の口から自然に出たのです。
するとお母さまの側にいたお友達の方が、静かにはっきりとお母さんに向かって、「きみちゃん、私の思いを言っていいかなあ。私だったら息子が一番願っていることをしてあげたいと思う。お話を聞いて初めて、息子さんが教会によく通い、奉仕をされているその様子が私にも分かったけど。どうかね」といわれたのですね。そうするとお母さまが、「そうやね、それならぜひ息子のお葬儀をお願いします」と私におっしゃったんですね。
私たち夫婦はこの兄弟が亡くなられてから、悶々とする中、どうか神さまあなたの御手と導きがありますようにと祈り続けていたのです。まさに、その時、私は神の手が動いたと強く感じました。主は生きてお働きになられ、私たちの祈りを聞いてくださった。その体験を身をもってすることができました。
本日は「一緒に担いゆく」という題をつけました。
この「一緒」にというのは、私たちそれぞれが困難の最中にあっても、どこまでも主が一緒に私たちの重荷や課題を抱え、歩んでくださる。そのすべてを導いてくださるという、お約束であります。
しかし、それだけではありません。それは又、「私たちが一緒に生きる喜び、悲しみをしていく」ときに、まさにこのイザヤが伝える生きて働かれる主が共にいて下さる、というお約束なんですね。このことを、私たちは日常の生活の中で体験することができる。
このことを心に留めて、「一緒に喜びも悲しみも主に合って担いゆく」者として、主の御栄を顕わす者とされてまいりましょう。今週もまたここからそれぞれの場へ遣わされてまいりましょう。
「涙と共に種を蒔く人は、喜びの歌と共に刈り入れる。
種の袋を背負い、泣きながら出て行った人は、
束ねた穂を負い、喜びの歌を歌いながら帰ってくる。」
アーメン。
祈ります。
この箇所はバビロニアの捕囚とされたユダの民が、国や家を追われ、大事な家族とも引き離され、長い間異教の地に生きていかざるを得なかった中、先行きの見えない不安や恐れを抱えていました。そういう現実の中で、その地にあふれる目に見えるバビロニアの偶像に惹かれていく者もいたのであります。
ここで、預言者イザヤはバビロニアの捕囚とされた民に向け、「バビロンの偶像」と「主なる神」とを対置させながら、主の言葉を告げます。
まず、それは「偶像により頼むことの虚しさと滅び」についてであります。
偶像はそれに従う者たちが滅びの危機にあっても何ら助けることも救い出すことができない。人が神でもない偶像の神を造って拝み、自分たちの重い荷を背負わせるんだけど、ホンマもんの神ではないので、人に危機があってもその重荷を負うことも担うこともできず、偶像と共倒れになるしかないのです。7節にも「彼らはそれを肩に担ぎ、背負って行き据え付ければそれは立つがそこから動くことができない。それに助けを求めて叫んでも答えず 悩みから救ってくれない」とございます。
人は不安や恐れから、自分の重荷や問題の解決を神ならぬ偶像を造り神のようにより頼んで求めます。そもそもそれこそ的外れなことなのであります。なぜなら、主なる神は「わたしがそのあなたたちを造った」と、預言者を通して語られるのです。
ここを読むとき、詩編139編3節以降の言葉が思い浮かんできます。
「あなたは、わたしの内蔵を造り、母の胎内にわたしを組み立ててくださった。わたしはあなたに感謝をささげる。わたしは恐ろしい力によって驚くべきものに造り上げられている。御業がどんなに驚くべきものかわたしの魂はよく知っている。秘められたところでわたしは造られ深い地の底で織りなされた。あなたには、わたしの骨も隠されてはいない。胎児であったわたしをあなたの目は見ておられた。わたしの日々はあなたの書にすべて記されている。まだその一日も造られないうちから。」
人体は神秘と言われますが。この詩編の御言葉はまさにそうです。
「胎児であったわたしをあなたの目は見ておられた」という言葉に人知を超えたお方が間近におられるという衝撃と畏れを感じるのは私だけではないでしょう。
さらに、主ご自身が人をこの神秘と言える仕方でお造りになられただけでなく、不安と恐れ、先の見えないような民に、「わたしはあなたたちの老いる日まで、白髪になるまで、背負って行こう」と、仰せになるのです。
つまり、主は不安と恐れの中にあった民を決して見捨てず、母の胎内を出、幼児期、少年少女期、青年期、壮年婦人期、年老期に老いるまで、「わたしがあなたたちを背負って行こう。わたしがあなたを造った。わたしが担い、背負い、救い出す」と、こうおっしゃっているんですね。
これはいわば、「わたしに任せて生きろ。わたしが造ったのだから、あとの責任は負う」と、そう確約なさっておられるのです。信仰というものの最後に残るのは、このことだと思うんですね。
数年前のことですが私どもの大阪教会で3日のうちに2名の方が天に召され葬儀が続いたことがありました。
お一人の方は90歳の男性でなかなか堅物の求道者でしたが、闘病が続き入院をされ、遂に昏睡状態になりますが、その後不思議に意識を戻されたのです。
そのいわば死期を前にした人に信仰の話をするのは如何なものかという考えもありますが、わたしはその信仰の判断と選択は受け取るご本人の問題だということを祈りの中で導かれ、意を決しご本人にとにかく信仰についてのお話をすることにいたしました。
その与えられた機会の中で、「Yさんあなたは主イエスをあなたの救い主として信じますか」と尋ねますと、彼は静かに「主イエスを信じることに致しました」とはっきりと答えられたのです。「はい信じます」ではなく「信じることに致しました」と言われたのが、何とも彼らしい表現であったのですが、それも、彼の確かな信仰の表明なのです。
その後、お見舞いに来られた教会員6名が見守る中、浸礼は無理でしたので、病床洗礼を受けられました。そしてを10日間ご自宅に戻られご家族と貴重な時間を過ごされて、天に召されました。主の導きをほんとに感謝しました。
二人目の方は、新会堂が建つ前に一時的に借り会堂としてビルの一室を借りて礼拝と祈祷会を守っていた頃のこと。当時まだ52才の男性で、いくつかの病気を抱えておられ独り暮しで近隣に住んでおられた方でした。
彼はプロのカメラマンでしたが、病のために家庭も仕事も財産も何もかもを失い、孤独の中で悩み心の病にもかかり、私に「死にたい」と電話をかけてこられたのです。「一度教会にいらっしゃい。お話を聞きます」と言うと、それから祈祷会に来られ、お話をされると心が落ち着かれたのです。その後礼拝にも来られるようになり、一緒に聖書を読み、祈る中で、主イエスの福音に触れ、教会の方々とも親交も深めて行く中で、主イエスを信じる決心を表されたのです。
そうして彼は新しく建った会堂の第1号のバプテスマ者となり、教会の奉仕は毎週の礼拝時のパソコンのパワーポイントの操作を欠かさずされ、教会を楽しんでおられました。しかし、その後も持病に苦しまれ続け、とうとう病のためにご自宅で独り急死されたのです。
実はその彼の死の知らせを聞いたのが、先の90歳で天に召された方の葬儀が終わり火葬場から帰宅したばかりのホッとしていた矢先のことだったのです。もう頭の中が真っ白になってしまったのですが。
しかし、ほんとうに不思議なことですが、神さまはこの方を通して幾つかの奇跡ともいえる出来事を見せてくださったのです。
その一つは、彼の訪問ヘルパーさんが彼の訃報を「私に知らせに来てくれたこと」でありました。もしそれがなければ全く連絡がとれないまま一体彼の身に何が起こったのか、もはや知るよしもなかったからです。
ヘルパーさんに話を伺って分かったことは、実は、生前彼から「自分はクリスチャンで大阪教会に通っている」ということを聞かされていたそうなのです。彼は日頃から、いわば、自分の信仰について自然体で話をされていたんですね。それが、彼のこと、残念ですが死についても知ることにつながったのです。
私はこのことから、生前から自分がキリスト者であることを明らかにしておくことは大事なことだと改めて知らされました。
二つ目の事は、その後、幸にも彼が救い主と出会い、主を信じて救われた教会とその兄弟姉妹の祈りと賛美に見送られながら、天国に帰ることが出来たということであります。
そこに至る経緯がまたすごかったというか不思議だったのでありますが。
その彼の亡くなった後に、私と連れ合いが、彼のお母さまと連絡がとれてご自宅を訪問した時のことです。当時お母さまは重い病気を抱えておられ、近隣のお友達がいつもお世話をしに来られていたのです。この時もお友達が側についておられました。
私たちがお部屋に通されるや、開口一番、「お話はありがたいことですけど、福祉の方にお葬儀は全部お願いしていますので、お断りします」といわれたのです。
福祉の葬儀は仏式で行うということです。その意志は固く、3度も「せっかくですがお断りします」といわれました。
実は私たちが来る前に既にお友達と二人で申し合わせて堅く決めておられたようです。それでも彼のことを思うと私たちはあきらめきれず、「お母さん。息子さんはクリスチャンとなって教会の礼拝や祈祷会に毎週欠かさずにこられて奉仕されていました。そこでいつもお母さんのご病気がいやされるようにと、教会で祈っておられましたよ。その信じるところに沿うかたちのキリスト教のお葬儀で送ってあげることを、息子さんご本人もきっと望んでおられるのではないでしょうか」と、そういう言葉が私の口から自然に出たのです。
するとお母さまの側にいたお友達の方が、静かにはっきりとお母さんに向かって、「きみちゃん、私の思いを言っていいかなあ。私だったら息子が一番願っていることをしてあげたいと思う。お話を聞いて初めて、息子さんが教会によく通い、奉仕をされているその様子が私にも分かったけど。どうかね」といわれたのですね。そうするとお母さまが、「そうやね、それならぜひ息子のお葬儀をお願いします」と私におっしゃったんですね。
私たち夫婦はこの兄弟が亡くなられてから、悶々とする中、どうか神さまあなたの御手と導きがありますようにと祈り続けていたのです。まさに、その時、私は神の手が動いたと強く感じました。主は生きてお働きになられ、私たちの祈りを聞いてくださった。その体験を身をもってすることができました。
本日は「一緒に担いゆく」という題をつけました。
この「一緒」にというのは、私たちそれぞれが困難の最中にあっても、どこまでも主が一緒に私たちの重荷や課題を抱え、歩んでくださる。そのすべてを導いてくださるという、お約束であります。
しかし、それだけではありません。それは又、「私たちが一緒に生きる喜び、悲しみをしていく」ときに、まさにこのイザヤが伝える生きて働かれる主が共にいて下さる、というお約束なんですね。このことを、私たちは日常の生活の中で体験することができる。
このことを心に留めて、「一緒に喜びも悲しみも主に合って担いゆく」者として、主の御栄を顕わす者とされてまいりましょう。今週もまたここからそれぞれの場へ遣わされてまいりましょう。
「涙と共に種を蒔く人は、喜びの歌と共に刈り入れる。
種の袋を背負い、泣きながら出て行った人は、
束ねた穂を負い、喜びの歌を歌いながら帰ってくる。」
アーメン。
祈ります。