何回も書いてますが、子供の頃は巨人ファンでした。キッカケは「巨人の星」か「侍ジャイアンツ」かわかりませんが、物心ついたころはV9に向かっての快進撃真っ最中で、ラジオで毎日ナイターを聞くようになったのは小4の頃だったかと。
それで「そんなに好きなら」ということで、父が巨人戦観戦に連れて行ってくれることになりました。当時私は石川県にいたのですが、叔父が東京に住んでいたので父と兄と私の3人で東京見物を兼ねて野球を見に行こうということで。
私はというと、別に東京で何を見なくてもとにかく巨人戦だけ見たくてソワソワしてた記憶あり。前日東京に着いて、巨人戦当日は昼間東京見物に連れて行って貰ったと思うのですが、こちらは「早く球場に行きたい」と騒いでいたと思います。父と叔父は「まだ練習やぞ」と言うのですが、練習であろうとなんであろうと本物の巨人の選手をこの目で見たかったので。
ということで、試合開始は18時30分くらいですが16時くらいには後楽園球場に行って、まずは野球殿堂博物館に行きました。あれはあれで結構気分が高まったものです。その後球場に入ったら席は内野席の上の方だったけどまだ人が少なかったのでベンチの上まで行ったらいろんな選手が練習しているのが見えて大興奮。席もグラウンドは結構近く見えて、今考えると叔父はチケット取るのに結構苦労したのではないでしょうか。
私と兄は当時堀内投手のファンだったのですが、その2日くらい前に先発してたので父は「今日は堀内じゃないぞ。多分高橋一三やろう。ホッホッホ。」と嬉しそうに言ってたのですが、当時巨人の先発ローテは私の方が詳しかったので高橋一三でもないというのはわかってて、果たして先発は関本投手でした。(ちなみに父は当時からアンチ巨人でした。プロ野球全般は好きでしたが)
試合は関本が乱調で広島に先制されたものの、捕手森のタイムリーから反撃開始し高田の3ランで逆転、さらに王のホームランでだめ押しし、最後は午後8時半の男倉田が締めたということで凄く幸せな時間でした。あれから40年以上経過し、夏休みだったのは確かだけど日付の記憶が薄れて昭和48年だったか49年だったかもわからなくなったり。
が、今はインターネットの時代ですのでその辺調べがつきます。この時のスコアとか王選手のホームランは37号だったとかいう記憶は残ってたので、そこから辿ってみたら昭和48年8月28日だったということが判明。ということは、V9の年だったんですね。
それにしても、あれだけ見る物全部が珍しくて楽しかった夢のような経験というのは、大人になるとなかなかできません。同じ位興奮したというのは、初めて尾崎亜美さんのコンサートに行った時と、新田一郎さんのステージを見た時くらいかも。(スペクトラムは結局生では見てないので)
こういうことに関しては、頭の中をスッキリとリセットするとどんなものを見ても感動できるようになるかもしれませんね。とにかくあれだけ感動できたことは、チケット取ってくれた叔父と今は亡き父に感謝せねばならんと今にして思います。