子供のころに夏休みの宿題は嫌だったけど、とんでもなく苦しんだ記憶もありません。そこは適当にすませてたのでしょう。
小学生の頃はワークブック、絵日記、読書感想文などが主だったように思います。もしかしたら一枚くらい絵を出さなければならなかったもしれません。自由研究なんてのはその名の通り自由だったのか、必須ではなかったのかもしれませんね。やった記憶がありません。忘れてるだけかも。
ワークブックは毎日やるようになってて、休み前は「一気に何ページかずつやれば1週間で終わる。」というような気合があっても、そもそもそんなうまくはいかないし、たまに手をつけても面倒なページは後回しにしてるうちに二学期開始前にヒーヒー言ってた記憶はあります。
中学の頃は各科目ごとになんかあった気もしますが、読書感想文と絵は必須だったように思います。私の場合、文章を書くのは別に問題ないというか、本の最初の何ページかと最後を読んであとはあとがきだけ読んで書いた記憶あり。「砂の器」だったか「犬神家の一族」で書いた記憶もありますが、どっちも映画であらすじはわかってるし。
それはいいとして、とにかく絵を描くのは苦手で本当に嫌でしょうがなかったです。一応提出はしてたのですが、いったい何を描いてたのやら。まあ、人間思い出したくないことは記憶から消し去るようにできているのでしょう。
結構視力がよかったので、例えば風景画なら遠くに見える階段とか瓦とか全部見える通りに描こうとして時間がかかるし、それがまた表現する技法に乏しいので出来上がりはトホホ…と。
どれくらいひどいかというと、高校の美術の時間には提出後先生が順番に一枚ずつ紹介したのですが、私の絵が出ると「クスクス」という声が聞こえるくらい。友人は「高校生にして小学生の画風を再現できるのは才能では?」と言ってくれたりしました。そんななので絵日記も苦手でした。絵日記の場合は特にイベントがないと余計に書きにくいし。
そういう経験を踏まえいろいろと思う事はあります。人生というのは一度きりでやり直しができないですが、小学生や中学生だった自分に言ってあげたいことは「夏休みの宿題をコツコツとまじめにやる奴はまずおらんで。」ということですね。当時は自分以外はみんな自信満々でキッチリしてるように思えたものですが、そう思えばもっと気楽に生きられただろうにと。
とはいえ、小学生にあんまりぶっちゃけた話をすると世の中を舐めるようになるので、そこも注意が必要でしょう。「夏休みの宿題で苦痛を味わう」というのも、その後の世渡りの経験値を高める糧にはなるかもしれません。
以前、仕事先の家族の話を聞いて驚いたことがあります。子供が塾の課題で忙しいので、学校に提出する絵などは母親が描いてたんですと。進学には熱心なのかもしれませんが、例えいい学校に行けたとしても親にそういう事させて平気なガキはろくな大人になりませんね。その後どうなったかは知りませんが。
なお、私の絵の下手さは今もそのままですが、ある時に仕事先の人の容貌を説明しようとしたけど言葉だけだと難しいのでサラサラっと似顔絵を描いてみたら「ものすごく悪意を感じますね。」と言われてしまいました。自分では絵は下手でも特徴をよく捉えてると思ったのですが。
なので、子供の頃の自分には「お前の画力はいまに凶器になりうる。」というのも伝えたいです。もしかして恨みのある相手の似顔絵を描いてどっかに奉納すれば呪えるでしょうか。エコエコアザラク エコエコザメラク…。