先週、上野にある国立西洋美術館へ。
この美術館はコルビュジェの設計とあって
世界遺産へという動きが出てきているようですね。
カラヴァッジョ展の最終週に滑り込みでした。
カラヴァッジョは罪を犯したため
イタリアの国内を逃亡しながら作品を残してきた画家です。
彼が作品を描き続けるため最後に求めたのは
罪に対する「恩赦」でした。
叶うことなく・・
カラヴァッジョの手から離れて最近見つかったと云われる
マグダラのマリアは私にいろんなことを教えてくれました。
調べれば調べるほど謎でとても気になる存在。
そんな魅力的な存在もやはり罪を背負っていました。
人というのはそういうものだと思います。
私達はこれまで罪を犯した人間を
捉えては追放したり、隔離したり、
同じスペースレベルで生きることを拒否してきました。
そんなことを何年も繰り返し
良い世の中になったでしょうか。
是か非か。
私達はこのたった二方向だけでジャッジしてしまう癖を持っています。
とても難しいことだけれど
できるなら心のどこかに「赦」というカードを持っていたいです。
そしてもっと大切なのは
世の中で起こる出来事を前にして
自分にとってどういう学びがあるかを見つめることです。
世の中のしくみを知ることをせず
人任せにし
最大公約的な意見を探り当てたところで
こぶしをふり上げるような
そんな人間にはなりたくありません。
「目を閉じて、じっと我慢。怒ったら、怒鳴ったら、終わり。
それは祈りに近い。憎むは人の業にあらず裁くは神の領域。
――そう教えてくれたのはアラブの兄弟たちだった」
遠き地にて命を落とされたジャーナリストの後藤健二さんが
ツイッターのなかで残した言葉です。
このツイートを時々思い出しています。
私達はこの世でひとつの存在であるということ。
もっと強く意識できるといいですね。