しとしと降ってますね。
私の今日の傘のなかの、ふと思うこと。
―梅雨ってなんで梅って文字が入るの。
―神戸って神の戸だ。
―傘のデザインてほんと何年も変わってない。
―今まで私の胃袋に牛、豚、鳥、何頭何羽通過したんだろ。
―同じ生年月日の人って今どんな人生歩んでるの。
狭い傘の下ってちょっとたいくつなんですよ。
だから色々考えちゃう。
傘さしてるから思い出し笑いしても目立たないね。あはは凹○
パッ・・・と傘を開いた瞬間!
子供の頃レインコートについた雨の匂いだ!なんてふと思い出しました。
背中って自分では見えないからちょっとした弱点で、
人に自分の背中をさらしていると少し落ち着かないんですね。
子供の頃は大きく背負ったランドセルに守られて
そこへ傘を開いて肩で支えたら、
地上から約1メートルほどのすっぽり囲まれた小さな世界が出来上がるんです。
傘の下はちょっとした私だけのワンダーランド。
水たまりの小さな世界にいろんなものを見ていました。
子供は大人の足下でいろんなものを見るの。
大人になったら俯瞰で理論的に上からみるけど、
子供は下から純粋に見上げて様々を観察しています。
雨の日だって空から落ちてくる雨に向かっていくような好奇心。
もう顔びしゃびしゃ。
残念ではありますがあの頃にはもう戻れません
でも子供の頃の無色透明な時間に鮮やかな好奇心で彩られたページは
間違いなく私の履歴のなかにあります。
私のイメージですが、
人生の通過点では無限大の棚があって、
新しいものをそこで選んだら古いものを置いていくんですね。
いつもup-to-date、つまり新しいものと差し替え作業を行いながら。
で、少し後ろを振り返って過去の棚に何を置いたかなって。。。
今手に取るとその新鮮な色鮮やかさに
今自分がもっているものが少し色褪せて見えることもあるかもしれません。
人生は自分だけの道ですから取りに帰ることはいつでも可能なわけです。
で、子供の頃に置いてきたものと今の自分が持っているものと
もう一度比べっこしてみようって。
そこでまたひとつ新しい1ページがup-to-dateになるかもしれない。
そんな時間は豊かね。
自分の履歴を逆戻りしてる場合じゃないわって、
実は前進への近道なんだって信じてます。
傘をパッって開いてみて、
昔、学校からの帰り道の懐かしい匂いがしたら、
ちょっと寄り道していくのもいいかもしれません、雨だし。