春のお彼岸ですね。
母が亡くなった日のことを思いだしていました。
その日は乾いた空気がキーンと冷え切っていて
火葬場までの紅葉の鮮やかさに
毒々しく美しい世界を
どこか俯瞰でみていました。
黒い着物を着ている自分がいて
もしかして幽体離脱でもして
黄泉の世界へ連れて行かれてしまったのか、
そう思ってしまうほど不思議な時間でした。
その後何日経ってもずっと鮮やかな景色の残像だけが
ぐるぐる。
人と話していても笑っていてもその景色が
サブリミナルで顕れたり。
そんな時間が続いていました。
私は子供のころからとても感受性が強かったと思います。
向かい合いたくない気持ちに蓋をしようとすればするほど
時々顕れるメッセージというかサインだったのかもしれません。
涙が一滴も出ないのです。
その世界から現実にもどしてくれたのが、
笑ってしまうけど
いかなごのくぎ煮でした。
早春の神戸の風物詩。
この季節になると母が手作りのいかなごのくぎ煮をよく送ってくれたのです。
母が亡くなって数か月後叔母がいかなごのくぎ煮を送ってくれました。
電話口で「お母さんの味と同じやったらいいんやけど」と。
叔母のくぎ煮をご飯の上にのせて口へ運んだ時、
胸の奥がだんだん苦しくなって熱いものが溶けだすように
鼻と喉の奥がズーンとするものですから
なかなかゴックンできず、長い時間ずっと咀嚼していました。
私の様子が心配だったという
叔母の温かな気持ちに心から感謝しています。
この時やっと心が定置に戻りました。
その叔母は3年前に亡くなりました。
最近、いかなごのくぎ煮を数年食べていないことに気づいたわけです。
でも長年食べ続けた味というのはすごい力です。
白い温かなご飯の上にのせた瞬間にふわあっと立ち上がる生姜の香りを
知っていることもあり、
お彼岸だからでしょうか。
白いご飯を目の前にすると
どこからか、生姜のきいた甘辛いあの香りが漂ってくるのです。
潜在レベルに刻まれた味、香り、食感、温度感、ストーリー、
私のソウルフードということになりそうです。
少し前のことですが、母のお墓からの帰り道。
何故だかわからないのですが、いつもと違う道を歩いて駅へ。
急に音がするものですからそこへ目をやると
「ありがとう、元気でね」と書いてある貼り紙。
亡くなった人からのメッセージをこんな風に受け取ることってあるんだと思います。
お彼岸は昔からご先祖さまが大名行列のようにやってくるイメージがあって
怖がりの私はあまりお会いしたくないなあと思うわけです。
必死に「ありがとう」という気持ちだけを意識してみます。
暮らせる家があり、空腹を満たせる食べ物があり、服を着て寒さから身を守る事ができること。
そしてこの世に誕生できたこと。
本当の豊かさの意味を確かめるように深く触れてみれば
この時に感じるものの正体が「感謝」であると思うのです。
母が亡くなった日のことを思いだしていました。
その日は乾いた空気がキーンと冷え切っていて
火葬場までの紅葉の鮮やかさに
毒々しく美しい世界を
どこか俯瞰でみていました。
黒い着物を着ている自分がいて
もしかして幽体離脱でもして
黄泉の世界へ連れて行かれてしまったのか、
そう思ってしまうほど不思議な時間でした。
その後何日経ってもずっと鮮やかな景色の残像だけが
ぐるぐる。
人と話していても笑っていてもその景色が
サブリミナルで顕れたり。
そんな時間が続いていました。
私は子供のころからとても感受性が強かったと思います。
向かい合いたくない気持ちに蓋をしようとすればするほど
時々顕れるメッセージというかサインだったのかもしれません。
涙が一滴も出ないのです。
その世界から現実にもどしてくれたのが、
笑ってしまうけど
いかなごのくぎ煮でした。
早春の神戸の風物詩。
この季節になると母が手作りのいかなごのくぎ煮をよく送ってくれたのです。
母が亡くなって数か月後叔母がいかなごのくぎ煮を送ってくれました。
電話口で「お母さんの味と同じやったらいいんやけど」と。
叔母のくぎ煮をご飯の上にのせて口へ運んだ時、
胸の奥がだんだん苦しくなって熱いものが溶けだすように
鼻と喉の奥がズーンとするものですから
なかなかゴックンできず、長い時間ずっと咀嚼していました。
私の様子が心配だったという
叔母の温かな気持ちに心から感謝しています。
この時やっと心が定置に戻りました。
その叔母は3年前に亡くなりました。
最近、いかなごのくぎ煮を数年食べていないことに気づいたわけです。
でも長年食べ続けた味というのはすごい力です。
白い温かなご飯の上にのせた瞬間にふわあっと立ち上がる生姜の香りを
知っていることもあり、
お彼岸だからでしょうか。
白いご飯を目の前にすると
どこからか、生姜のきいた甘辛いあの香りが漂ってくるのです。
潜在レベルに刻まれた味、香り、食感、温度感、ストーリー、
私のソウルフードということになりそうです。
少し前のことですが、母のお墓からの帰り道。
何故だかわからないのですが、いつもと違う道を歩いて駅へ。
急に音がするものですからそこへ目をやると
「ありがとう、元気でね」と書いてある貼り紙。
亡くなった人からのメッセージをこんな風に受け取ることってあるんだと思います。
お彼岸は昔からご先祖さまが大名行列のようにやってくるイメージがあって
怖がりの私はあまりお会いしたくないなあと思うわけです。
必死に「ありがとう」という気持ちだけを意識してみます。
暮らせる家があり、空腹を満たせる食べ物があり、服を着て寒さから身を守る事ができること。
そしてこの世に誕生できたこと。
本当の豊かさの意味を確かめるように深く触れてみれば
この時に感じるものの正体が「感謝」であると思うのです。