暑い日が続くと
図書館とか美術館・・・
冷んやりとしたあの空気感を感じて出かけてしまうのです。
図書館で面白いのは
何気に手にする一冊は
偶然をよそおうように必然の一冊だったりする。
それはまるで、
パラパラっとランダムにめくった本の中から目についた一節を自分へのメッセージとする
あのビブリオマンシーのような感覚があるのです。
気が付くとケルトについての一冊を手にして
涼しい空間が心地良かったのもあり
長い間の憧れのような好奇心に火が付いた。
しばらくアイルランドという国に浸ってみることにしよう。
キリスト教の出現でヨーロッパに点在するケルト文化はほとんど
消滅してしまったけれど
辺境地にあるアイルランドまではこの勢力がおよぶことはなかったようです。
ケルト文化が残った所以です。
スタジオジブリの映画「借りぐらしのアリエッティ」の中で
妖精という登場人物をはじめ
セシルコルベルさんのケルティックハープに
ケルト文化への興味を抱いた人も少なくないと思います。
ケルトのシンボルマークの「渦巻き」
この渦巻はアナザーワールドへの入り口とされていて
水辺のあるところに多く表現され出現するとのこと。
こういうの好きだ。
いつか夢のなかでこの渦巻をみたことがあるのです。
海のそばで女の人が急に出てきて
私の方を見て手をぐるぐると空中で渦巻きを描き始めた。
とても印象に残った夢なので今でも時々思い出す。
友人に話したら「ケルトだ」と教えてもらった。
それ以来ケルトがなんであるか気になってた。
文字を持たなかったケルトには文献が残っていない。
歴史上の事象や伝説、神話など全てが口承だったそうです。
神話はストーリーテラーという人たちによって今も言い伝えられています。
これは私が最近学んだアーユルヴェーダもそうで
口を介して残されたこれらにはどこか神秘で大地に根ざした哲学があり、
触れたそれに真実を感じるのです。
ある学説によるとケルトの人達はわざと文字を持たなかったのではないかと。
文字で「山」と書くと、山がなんなのか解ったような気がする。
山の本質などそう簡単にわかるわけがない。
ケルトの人たちはイメージやそこに内在するものを固定された表現になるのを避けるために
敢えて文字を作らなかったのではないかという考えにとても好奇心が動いた。
この一節を読んだとき私は、ケルトの人達が人間も自然の一部として生きている
「自然」というもの、人間としての領域ということを考えさせられました。
自然をコントロールしようと生きています、私たちは。
自然を支配しどうにでもできるというエゴからは
この地球でグラウンディングするには
足りないものが大きすぎるのだと思います。
人間も自然の一部なのだという意識で
人としての領域を学び直し
口を介することで人とのコミュニケーションが生まれ
人との温度を感じ、
温度から感情を受け取り、
人を深く知ることが必要です。
そんな人と交わす息づかいの中で大切なことは伝えられていくのだと思います。
私の周りにはそういう人が少しづつ増えてきて
私の人間関係も今後どんどん変化していくのだと思います。
先日の「ヒロシマ」
そして今日は長崎。
原爆投下の地から口承リレーが今日までずっと続けられてきました。
日本人として「ヒロシマ」を広島の人達だけに
長崎の人達だけに起こったことということにしてはいけない。
私の祖父は広島の酒蔵で杜氏をしていました。
あの日、父は祖父と対岸の島から大きなきのこ雲をみたそうです。
祖父はどんな思いだったのか、
祖父の顔をあまり覚えていないのですが、
最近にわかに祖父の気配を感じたりすることが多くなりました。
毎年やってくるこの日だけは
あの場所において政治的な今後の政策案などではなく
心をあの日に寄せてそこにいた人たちの思いを感じ
この地に癒しのエネルギーを送る。
それこそが人間としての領域でやるべきことなのだと思います。
口承を担う若い世代が凛として心から素晴らしいと感じました。
ケルトから現代に学ぶこと、たくさんあります。
興味がある方はこの夏にご自身なりのケルトに関する本を探してみてください。
自分で選んだ一冊であることが大事だと思います。
人の本質に触れる良い時間になると思います。
私はこの一冊を返すと同時に、
小泉八雲を借りると思います。
アイルランド出身でケルトでもある
ラフカディオ・ハーンとしての視点を知りたいなあと
ふつふつしています。
そしてアメリカのナバホ族に関する一冊も。
ケルトからどんどん深くハマっていく今日この頃であります。
いろんな準備に悪戦苦闘しており日中は忙しい日々ではありますが
夜中にひっそりと穏やかに本を読む時間を作っています。
良い夏をお過ごしください。
図書館とか美術館・・・
冷んやりとしたあの空気感を感じて出かけてしまうのです。
図書館で面白いのは
何気に手にする一冊は
偶然をよそおうように必然の一冊だったりする。
それはまるで、
パラパラっとランダムにめくった本の中から目についた一節を自分へのメッセージとする
あのビブリオマンシーのような感覚があるのです。
気が付くとケルトについての一冊を手にして
涼しい空間が心地良かったのもあり
長い間の憧れのような好奇心に火が付いた。
しばらくアイルランドという国に浸ってみることにしよう。
キリスト教の出現でヨーロッパに点在するケルト文化はほとんど
消滅してしまったけれど
辺境地にあるアイルランドまではこの勢力がおよぶことはなかったようです。
ケルト文化が残った所以です。
スタジオジブリの映画「借りぐらしのアリエッティ」の中で
妖精という登場人物をはじめ
セシルコルベルさんのケルティックハープに
ケルト文化への興味を抱いた人も少なくないと思います。
ケルトのシンボルマークの「渦巻き」
この渦巻はアナザーワールドへの入り口とされていて
水辺のあるところに多く表現され出現するとのこと。
こういうの好きだ。
いつか夢のなかでこの渦巻をみたことがあるのです。
海のそばで女の人が急に出てきて
私の方を見て手をぐるぐると空中で渦巻きを描き始めた。
とても印象に残った夢なので今でも時々思い出す。
友人に話したら「ケルトだ」と教えてもらった。
それ以来ケルトがなんであるか気になってた。
文字を持たなかったケルトには文献が残っていない。
歴史上の事象や伝説、神話など全てが口承だったそうです。
神話はストーリーテラーという人たちによって今も言い伝えられています。
これは私が最近学んだアーユルヴェーダもそうで
口を介して残されたこれらにはどこか神秘で大地に根ざした哲学があり、
触れたそれに真実を感じるのです。
ある学説によるとケルトの人達はわざと文字を持たなかったのではないかと。
文字で「山」と書くと、山がなんなのか解ったような気がする。
山の本質などそう簡単にわかるわけがない。
ケルトの人たちはイメージやそこに内在するものを固定された表現になるのを避けるために
敢えて文字を作らなかったのではないかという考えにとても好奇心が動いた。
この一節を読んだとき私は、ケルトの人達が人間も自然の一部として生きている
「自然」というもの、人間としての領域ということを考えさせられました。
自然をコントロールしようと生きています、私たちは。
自然を支配しどうにでもできるというエゴからは
この地球でグラウンディングするには
足りないものが大きすぎるのだと思います。
人間も自然の一部なのだという意識で
人としての領域を学び直し
口を介することで人とのコミュニケーションが生まれ
人との温度を感じ、
温度から感情を受け取り、
人を深く知ることが必要です。
そんな人と交わす息づかいの中で大切なことは伝えられていくのだと思います。
私の周りにはそういう人が少しづつ増えてきて
私の人間関係も今後どんどん変化していくのだと思います。
先日の「ヒロシマ」
そして今日は長崎。
原爆投下の地から口承リレーが今日までずっと続けられてきました。
日本人として「ヒロシマ」を広島の人達だけに
長崎の人達だけに起こったことということにしてはいけない。
私の祖父は広島の酒蔵で杜氏をしていました。
あの日、父は祖父と対岸の島から大きなきのこ雲をみたそうです。
祖父はどんな思いだったのか、
祖父の顔をあまり覚えていないのですが、
最近にわかに祖父の気配を感じたりすることが多くなりました。
毎年やってくるこの日だけは
あの場所において政治的な今後の政策案などではなく
心をあの日に寄せてそこにいた人たちの思いを感じ
この地に癒しのエネルギーを送る。
それこそが人間としての領域でやるべきことなのだと思います。
口承を担う若い世代が凛として心から素晴らしいと感じました。
ケルトから現代に学ぶこと、たくさんあります。
興味がある方はこの夏にご自身なりのケルトに関する本を探してみてください。
自分で選んだ一冊であることが大事だと思います。
人の本質に触れる良い時間になると思います。
私はこの一冊を返すと同時に、
小泉八雲を借りると思います。
アイルランド出身でケルトでもある
ラフカディオ・ハーンとしての視点を知りたいなあと
ふつふつしています。
そしてアメリカのナバホ族に関する一冊も。
ケルトからどんどん深くハマっていく今日この頃であります。
いろんな準備に悪戦苦闘しており日中は忙しい日々ではありますが
夜中にひっそりと穏やかに本を読む時間を作っています。
良い夏をお過ごしください。