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仁徳天皇陵は誰の墓?仁徳天皇の墓とされる『大山古墳』の被葬者は誰か?

2022年03月04日 05時02分54秒 | Gooニュース

Youtubeで面白い内容の動画がありましたのでGooで共有させていただきました。

 

【仁徳天皇陵は誰の墓?】仁徳天皇の墓とされる『大山古墳』...出土品や没年などから「仁徳天皇の墓ではない」と専門家の間で論争が(2022年2月18日)

 

仁徳天皇、弁恭天皇に関係する写真など添付しておきます。

百舌鳥古墳群には第16代仁徳天皇陵とされる大仙陵古墳、第17代履中天皇陵とされる
陵山古墳(上石津ミサンザイ古墳)や第18代反正天皇の空墓では?とされる土師ニサンザイ古墳
などが分布しています。




上の2枚の写真は仁徳天皇陵の説明パネル(堺市役所 展望室)
撮影:2008-9-10


上の写真は百舌鳥古墳群の主な古墳と5世紀の海岸線


上の写真は船で渡来した人達が海より観た古墳の姿(CG)

出典:NHKBS3「英雄たちの選択」

5世紀の関連年表

上の写真は英雄たちの選択「古代史ミステリー 巨大古墳の国際戦略~半島危機と倭の五王~」

2017年12月14日、NHKのBSプレミアムで示された年表。

宋に朝貢し、称号を与えられた倭の五王に関する事項がメイン。

上の表は倭の五王に関する年表
 出典:歴史人 別冊 合本古代史の謎 KKベストセラーズ(2014)Page98

倭の五王と天皇

上の写真は上述番組で示されたもので倭の五王と天皇の対応表である。
最初の二人、讃と珍は事実であるか疑わしい推測なのだが、済・興・武の三人に関しては
現在、確実視されている。

『日本書紀』などの天皇系譜からは「讃」→第17代履中天皇、「珍」→第18代反正天皇、
「済」→第19代允恭天皇、「興」→第20代安康天皇、「武」→第21代雄略天皇
  注)現在の平成天皇は第125代


上の写真は日本書紀の記述をもとに系図で表したもの
 出典:歴史人 別冊 合本古代史の謎 KKベストセラーズ(2014)Page98
「讃」が仁徳天皇で「珍」を反正天皇とする説や、「讃」は応神天皇で「珍」を仁徳天皇と
する説などがある。


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