2017年11月12日と2018年1月21日に山陽電車の高砂駅に下車し
高砂駅の南の地区を散策してきました。初訪問です。
本日はその第15回目で「河合義一」の写真を紹介します。
過去の散策記
第1回 山陽電車高砂駅周辺の散策 on 2017-11-12&2018-1-21 その1 高砂神社
第2回 山陽電車高砂駅周辺の散策 on 2017-11-12&2018-1-21 その2 十輪寺
第3回 山陽電車高砂駅周辺の散策 on 2017-11-12&2018-1-21 その3 キャンドルカフェ記念チェアー しあわせの席「たかさご」
第4回 山陽電車高砂駅周辺の散策 on 2017-11-12&2018-1-21 その4 堀川の風景
第5回 山陽電車高砂駅周辺の散策 on 2017-11-12&2018-1-21 その5 北堀川界隈
第6回 山陽電車高砂駅周辺の散策 on 2017-11-12&2018-1-21 その6 藍屋町の川地蔵
第7回 山陽電車高砂駅周辺の散策 on 2017-11-12&2018-1-21 その7 申義堂(しんぎどう)
第8回 山陽電車高砂駅周辺の散策 on 2017-11-12&2018-1-21 その8 国鉄高砂駅跡
第9回 山陽電車高砂駅周辺の散策 on 2017-11-12&2018-1-21 その9 高砂公民館の美濃部達吉・亮吉親子文庫
第10回 山陽電車高砂駅周辺の散策 on 2017-11-12&2018-1-21 その10 善立寺と天竺徳兵衛の墓
第11回 山陽電車高砂駅周辺の散策 on 2017-11-12&2018-1-21 その11 旧国鉄高砂線の分岐点
第12回 山陽電車高砂駅周辺の散策 on 2017-11-12&2018-1-21 その12 旧高砂銀行本店(高砂商工会議所会館)
第13回 山陽電車高砂駅周辺の散策 on 2017-11-12&2018-1-21 その13 旧高砂通運本社屋
第14回 山陽電車高砂駅周辺の散策 on 2017-11-12&2018-1-21 その14 寺町
上の2枚の写真は高砂地域コミュニティセンター前に設置の河合義一の銅像です。
上の写真は高砂地域コミュニティセンターの遠景です。
Wikipediaより河合義一(1882-1974)について引用紹介します(一部加筆)
河合 義一(明治15年(1882)3月11日 - 昭和49年(1974)7月25日)は、
兵庫県高砂市出身の農民運動家、政治家。衆議院議員、参議院議員。
河合義一は兵庫県加古郡、のちの高砂町(現高砂市)藍屋町で、河合儀一郎と母せつ
の間に長男として生まれた。河合家は元は加古川上流の河合村(現・小野市)出身で
高砂に移り住んでからは加古川の水運を利用し米、塩、干し鰯を商う豪商で蔵元
であった。明治21年(1888)高砂尋常小学校に入学、明治25年(1892)卒業。
加古川の鶴林寺内に設置の加古高等小学校に進み明治29年(1896)に卒業。
半年ほど神戸の医師井上覚太郎宅に書生として住み込み、その年に同志社中学校
(5年制)で学び、明治33年(1900)卒業、高砂に帰郷。
明治34年(1901)5月、高砂教会で洗礼を受けた。
明治34年9月11日東京外国語学校仏語科に入学、1904年に卒業した。
明治37年(1904)11月、日本銀行に入行。日本銀行では調査局、国庫局を歴任
健康保険の制度をつくった。日銀時代の明治39年(1906)11月より本郷教会
に入り吉野作造らから影響を受けた。明治42年(1909)頃肺結核となり、小豆島の
豊島で療養。病気は治癒したが、明治44年(1911)、日銀を退職して帰郷した。
高砂では向島で牧場を開き農耕に従事しつつ心身を療養した。
大正3年(1914)明石教会で原千代と結婚。仲人は高砂小学校校長の広田虎之助。
大正8年(1919)、丸八青果問屋を設立、高砂町会議員に就任。賀川豊彦の活動に
共鳴し農民組合運動に参加。日本農民組合東播連合会長、同兵庫県連合会長を務め、
大正14年(1925)1月、加古川小学校敷地耕作事件(赤鉢巻き事件)で小作争議指導
をしたとして投獄されたこともあった。また、日本労農党などを経て社会大衆党に所属し、
1937年4月、第20回衆議院議員総選挙に兵庫県第三区から出馬して初当選した。
戦後、日本社会党に入党。1947年4月、第23回衆議院議員総選挙に兵庫県第三区から
出馬して当選し、衆議院議員を通算二期務めた。また、1953年4月、第3回参議院議員
通常選挙に兵庫県地方区から社会党左派所属で出馬して当選し、参議院議員に一期在任し、
参議院懲罰委員長を務めた。
最後に河合義一を中心とした河合家の家系図を添付しておきます。
出典:吉田登著 「高砂ゆかりの人物伝」(2015)
Page115
高砂駅の南の地区を散策してきました。初訪問です。
本日はその第15回目で「河合義一」の写真を紹介します。
過去の散策記
第1回 山陽電車高砂駅周辺の散策 on 2017-11-12&2018-1-21 その1 高砂神社
第2回 山陽電車高砂駅周辺の散策 on 2017-11-12&2018-1-21 その2 十輪寺
第3回 山陽電車高砂駅周辺の散策 on 2017-11-12&2018-1-21 その3 キャンドルカフェ記念チェアー しあわせの席「たかさご」
第4回 山陽電車高砂駅周辺の散策 on 2017-11-12&2018-1-21 その4 堀川の風景
第5回 山陽電車高砂駅周辺の散策 on 2017-11-12&2018-1-21 その5 北堀川界隈
第6回 山陽電車高砂駅周辺の散策 on 2017-11-12&2018-1-21 その6 藍屋町の川地蔵
第7回 山陽電車高砂駅周辺の散策 on 2017-11-12&2018-1-21 その7 申義堂(しんぎどう)
第8回 山陽電車高砂駅周辺の散策 on 2017-11-12&2018-1-21 その8 国鉄高砂駅跡
第9回 山陽電車高砂駅周辺の散策 on 2017-11-12&2018-1-21 その9 高砂公民館の美濃部達吉・亮吉親子文庫
第10回 山陽電車高砂駅周辺の散策 on 2017-11-12&2018-1-21 その10 善立寺と天竺徳兵衛の墓
第11回 山陽電車高砂駅周辺の散策 on 2017-11-12&2018-1-21 その11 旧国鉄高砂線の分岐点
第12回 山陽電車高砂駅周辺の散策 on 2017-11-12&2018-1-21 その12 旧高砂銀行本店(高砂商工会議所会館)
第13回 山陽電車高砂駅周辺の散策 on 2017-11-12&2018-1-21 その13 旧高砂通運本社屋
第14回 山陽電車高砂駅周辺の散策 on 2017-11-12&2018-1-21 その14 寺町
上の2枚の写真は高砂地域コミュニティセンター前に設置の河合義一の銅像です。
上の写真は高砂地域コミュニティセンターの遠景です。
Wikipediaより河合義一(1882-1974)について引用紹介します(一部加筆)
河合 義一(明治15年(1882)3月11日 - 昭和49年(1974)7月25日)は、
兵庫県高砂市出身の農民運動家、政治家。衆議院議員、参議院議員。
河合義一は兵庫県加古郡、のちの高砂町(現高砂市)藍屋町で、河合儀一郎と母せつ
の間に長男として生まれた。河合家は元は加古川上流の河合村(現・小野市)出身で
高砂に移り住んでからは加古川の水運を利用し米、塩、干し鰯を商う豪商で蔵元
であった。明治21年(1888)高砂尋常小学校に入学、明治25年(1892)卒業。
加古川の鶴林寺内に設置の加古高等小学校に進み明治29年(1896)に卒業。
半年ほど神戸の医師井上覚太郎宅に書生として住み込み、その年に同志社中学校
(5年制)で学び、明治33年(1900)卒業、高砂に帰郷。
明治34年(1901)5月、高砂教会で洗礼を受けた。
明治34年9月11日東京外国語学校仏語科に入学、1904年に卒業した。
明治37年(1904)11月、日本銀行に入行。日本銀行では調査局、国庫局を歴任
健康保険の制度をつくった。日銀時代の明治39年(1906)11月より本郷教会
に入り吉野作造らから影響を受けた。明治42年(1909)頃肺結核となり、小豆島の
豊島で療養。病気は治癒したが、明治44年(1911)、日銀を退職して帰郷した。
高砂では向島で牧場を開き農耕に従事しつつ心身を療養した。
大正3年(1914)明石教会で原千代と結婚。仲人は高砂小学校校長の広田虎之助。
大正8年(1919)、丸八青果問屋を設立、高砂町会議員に就任。賀川豊彦の活動に
共鳴し農民組合運動に参加。日本農民組合東播連合会長、同兵庫県連合会長を務め、
大正14年(1925)1月、加古川小学校敷地耕作事件(赤鉢巻き事件)で小作争議指導
をしたとして投獄されたこともあった。また、日本労農党などを経て社会大衆党に所属し、
1937年4月、第20回衆議院議員総選挙に兵庫県第三区から出馬して初当選した。
戦後、日本社会党に入党。1947年4月、第23回衆議院議員総選挙に兵庫県第三区から
出馬して当選し、衆議院議員を通算二期務めた。また、1953年4月、第3回参議院議員
通常選挙に兵庫県地方区から社会党左派所属で出馬して当選し、参議院議員に一期在任し、
参議院懲罰委員長を務めた。
最後に河合義一を中心とした河合家の家系図を添付しておきます。
出典:吉田登著 「高砂ゆかりの人物伝」(2015)
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