歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

パレルモを歩く(5)-コッポラ帽とフランシス・コッポラ   

2010年02月10日 | 世界の風景

昨日の続きです。

本日は、“コッポラ帽”のお話です。

シチリア島といえば、“コッポラ帽”が有名なのだそうです、まったく知りませんでした。“19世紀の初頭”に「ベレー帽に“日除けの庇”が付いてこんな形になった」と、このおじさんが教えてくれました。


そうすると、“コッポラ帽”の親が“ベレー帽”になる訳です。ベレー帽は知っていましたが、これまで、何処の国の帽子なのか気にもしませんでしたが、この際、気にしてみたところ、スペインは、バスク地方の民族衣装の一部なのでした。

バスク地方と云えば、独立運動があり、民族の独立・解放と云えば、我が青春の想い出、あの“チェ・ゲバラ”です、そして、ゲバラと云えば、ベレー帽です。上手く帽子で繋がりました。            
               

コッポラ帽から、ベレー帽へ、そして、ゲバラへと、話の逸れついでに、コッポラ帽とそっくりな“ハンチング帽”の関係も知りたくなり、ちょっと調べてみました。

「ハンチング」は「Hunting」で、狩猟用に“19世紀半ば”からイギリスの上流階級で用いられるようになった狩猟用の帽子でした。「ハンティング帽」だと語感的に気が付いたと思うのですが、ハンチングから「狩猟」には、これまで60年間思いも寄りませんでした。う~ん、今日も一つ勉強になりました。

コッポラ帽は19世紀の初頭で、ハンチング帽が19世紀半ばですから、三者の関係は、ベレー帽がお父さんで、コッポラ帽が兄貴で、ハンチング帽が弟のようです。

そんなコッポラ帽も1970年代に入って、あの「マフィア」も愛用していた為に、コッポラ帽を被っていると、マフィアの一味に見られるので、一般市民は被らなくなったそうなのです。

1970年代と云えば、マアフィアを描いた映画“ゴットファーザー”が世界中で大ヒットした頃です。映画がこんな処に影響を与えていたのです。

それにしても、“ゴットファーザー”の監督は“フランシス・フォード・コッポラ”ですから、コッポラがコッポラを衰退させた犯人とは、とても不思議な巡り合わせです。

マアフィアの結束力は、シチリアの暮らしのなかから生まれ育ち、一般市民とマアフィアは、それなりに仲良く共存していると思ったのですが、そういう関係では無かったようです。

でも、しかし、最近はマアフィアも衰退したようで、それによりコッポラ帽は衰退から抜けだし、オシャレに復活を遂げたそうです。

こんな素敵なコッポラ帽を被った、こんな素敵な女性がパレルモを歩いているのです。う~ん、元気が出てきます。


可愛い女の子も被っています。


こんなデザインとか、


こんな生地とか、


こんな犬までも、被っているのです。


バレルモ名物、コッポラ帽のお話でした。


それでは、また明日。




コメント (2)
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