歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

⑨ 赤坂東急ホテルで“日色ともゑ”です

2011年11月02日 | 東京の風景
昨日の続きです。

赤坂見附と云えば、私にとっては“赤坂東急ホテル”なのです。薄いピンクの“横縞模様”が記憶の底にしっかりと刻まれているのです。


赤坂見附の交差点に立つのは、かれこれ40数年ぶりです。首都高で脇を通過したことは、あの頃が過ぎ去ってからも度々ありました。こうして信号待ちの時間、じっくり眺めると、いろいろな想いが過ぎるのです。

交差点からの眺めで、あの頃と変わらないのは首都高と“赤坂東急ホテル”だけになりました。でも、しかし、東急ホテルも名称だけは2002年に「赤坂エクセルホテル東急」と変わったようです。


東急ホテルの開業が1969年で、私が、この辺りを行ったり来たりしたのが、丁度その頃からでした。その頃のある日のこと、近くにある“砂防会館”のホールで芝居を観たのです。

二人で観たのはハッキリ覚えているのですが、それが誰だったのか、そして、どんな芝居だったのか、まったく記憶に残っていないのです。

記憶に残っていないと云うことは、どうでも良い相手と、どうでも良い芝居を観たのだと思います。それで、芝居を観た後で、東急ホテルの喫茶店でお茶を飲んでいたら、当時、売り出し中の“日色ともゑ”が隣の席に座ったのです。

さすがに、売り出し中の人気女優です。とても、とても、可愛くて、とても、とても輝いて見えました。いま考えると、そのオーラ!その衝撃! これが、その日の他の記憶を、弾き飛ばしたのかも知れません

当時、彼女はNHKの朝の連ドラ「旅路」で人気が出て、いろいろ映画にも出演していた頃です。1941年生まれですから、30歳になる直前です。有名人を生で見たのはこの時が初めてだったのです。

今、思え返してみると、砂防会館の芝居は“日色ともゑ”が所属する、劇団民藝の芝居だったかも知れません。たぶん、知り合いから“無料招待券”を貰ったような気がしてきました。

興味は無いけど“タダ”だからと、きっと、それで、芝居の内容を覚えていないのです。段々、記憶が蘇ってきました。

そういえば、私の周囲に民藝と近い関係の人が居たような気がしてきました。記憶の糸を手繰ると云いますが、記憶は、少しずつ、少しずつ、手繰り寄せ、紡いで行くと、いろいろと蘇って来るようです。

それにしても、“日色ともゑ”さん、現在70歳、どうしているのかと思い、劇団民藝のホームページを見たら、“最近の舞台として、2010年4月『そしてナイチンゲールは歌う・・・』が紹介してありました。

今年は舞台に立っていないようですが、表舞台に立たなくても、もう、大ベテランですから、裏でいろいろ仕事があるのでしょう。

そういえば、民藝と云えば、あの“大滝秀治さん”が、先日、文化功労者に選ばれたとの報道がありました。民藝の役者も国家から勲章を貰うようになったのです。

民藝の関係者には失礼ですが、“ゲキダンミンゲイ”・・・・・・・何か、とても、懐かしい、むかし、むかしを思い出させる響きなのでした。


今日は、ここで、お終い。


次回は、赤坂見附で、明るく、楽しく、美味しく、ランチのお話しです。


それではまた。




コメント (1)
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