世の中には、いろいろな“格差”があり、そして、すべてにおいて“格差”はあってはならない!と、まあ、これは、世の中の常識?なのであります。
この常識を巧みに利用して、一票の格差を無くす裁判が全国的に行われ、各地方の高裁で次々と違憲判決、そして、選挙無効判決が下されました。
最初に云って起きますが(タイトルを見れば察しが付くのですが)“巧みに利用して”何て表現した事で、それなりにお判りでしょうが、わたくしは、この件に関して、それなりに懐疑的と云うか、否定的と云うか、そんな立場なのです。
それで、あまりこの点は報道されていないので、知らない方は知らないし、それなりに関心の有る方は知っている、この訴訟を起こしている団体の性格なのです。
原告は、すべて“一人一票実現国民会議”と云う団体なのです。この団体に参加している人達は、いわゆる、政治的な立ち位置は、真ん中よりも“右より”の方達で、中には極端に右の方も居られるのです。
ふつう、現行の○○は違憲だァ! 憲法を護れ! 何て主張するのは、左よりの方達で、いわゆる市民派の方達なのですが、この違憲裁判では、その逆に位置する方々の運動で、ちょっこし、いつもと様相が異なるのです。
このメンバーを見ると、団体の名称が「自主憲法制定国民会議?」とか「憲法9条改正国民会議?」そんな団体であっても、違和感のない方々なのです。
実際にかなりの方達が、そのような主張の団体にも参加しているのです。でも、それだから、右よりの方達だから、とても怪しいと考えている訳ではありません。
世の中、思想信条の自由は“憲法”で保障されていますから、それは、それで、いろいろな考えがあっても、いいのです。
“一票の格差は良くない正すべき!”と、“世の中一色的”で、疑問とか、反対とか、そんな主張がマスコミでは見かけないのです。
そんな事も、何か危うい気がするのです。ここは、一つ、ホントにそうなの?と、考えるのも、それなりに必要な気がするのです。
不利益を被っている“選挙民”に対して、現行制度の上に胡座をかき、民主主義を歪めている“政治家”と、まあ、そんな、単純な対立軸だけで、一票格差問題に乗っかっていいの?と、云いたいのです。
それで、先ほどの団体が、一票の格差を何故に問題としているか?です。住んで居る地域に寄って一票に格差があるから、だけでは、ないのです。
人口の少ない地方の議員数に対して、人口の多い都会の議員数が少ない為に、予算配分に不公平が生じ、結果として、都市の選挙民は損をしている、そう主張しているのです。
と、云うことは、国会議員は、大局的に天下国家を論じるよりも、先ずは、地元選挙区の利益代表として政治活動を行っている、まあ、そう言う、身も蓋も無い主張なのです。まあ、確かに事実であり真実なのです。
そうすると、一票の格差を是正すると、今度は、都市部偏重になり、地方は、益々、過疎化が進み、国土は荒廃し“美しい日本”は消えてしまうのでは?と、思ったりするのです。
“現状の人口密度”で、議員定数を決めていいの?と、思うのです。
選挙制度は、とても、とても、難しいと云うか、民意は、代議制は、民主主義は、とても、とても、難しいのです。
制度が変わっても、中選挙区制でも、小選挙区制でも、選挙区比例代表・並立・併用制でも、完全比例代表制でも、選挙民が、議員が、それなりに変わらないと、何も変わらないのです。
何か、マスコミも、面と向かっては云いませんが、一票の格差が解消すると、何だか、政治が良くなるような、そんな事を、匂わせるような・・・そんな匂いを感じたりするのです。
それで、突然ですが、私としての主張を述べさせて頂きます。
先ず、です! 衆議院は全国を一つの選挙区として、完全比例代表制とします。これで、一票の格差は、人口がどう変化しようが、永久に、完璧に、平等となります。また、地域代表的な色を多少とも薄まると思います。
そして、参議院は完全に地域代表として、人口に関係なく地方自治体単位の中選挙区制とします。
そうなると、決められない政治とか、政治が不安定になるとか、そんなご意見が出て来るのですが、それは、まったくの筋違いです。政治は選挙制度や国会制度ではありません。
兎に角、代議制民主主義はムズカシイしいのです。もう、そろそろ、技術的には可能な直接民主主義が?とは思うのですが、それには、選挙民の勉強が必要ですし、それには、勉強する“ゆとり”のある世の中が前提だし・・・・・・・。
そう云う世の中を創る為の政治は、そう云う世の中にならないと・・・不可能? それじゃ、実も蓋も無い・・・・・・・。
うん、兎に角、今日は、これで、お終い。
それでは、また。
この常識を巧みに利用して、一票の格差を無くす裁判が全国的に行われ、各地方の高裁で次々と違憲判決、そして、選挙無効判決が下されました。
最初に云って起きますが(タイトルを見れば察しが付くのですが)“巧みに利用して”何て表現した事で、それなりにお判りでしょうが、わたくしは、この件に関して、それなりに懐疑的と云うか、否定的と云うか、そんな立場なのです。
それで、あまりこの点は報道されていないので、知らない方は知らないし、それなりに関心の有る方は知っている、この訴訟を起こしている団体の性格なのです。
原告は、すべて“一人一票実現国民会議”と云う団体なのです。この団体に参加している人達は、いわゆる、政治的な立ち位置は、真ん中よりも“右より”の方達で、中には極端に右の方も居られるのです。
ふつう、現行の○○は違憲だァ! 憲法を護れ! 何て主張するのは、左よりの方達で、いわゆる市民派の方達なのですが、この違憲裁判では、その逆に位置する方々の運動で、ちょっこし、いつもと様相が異なるのです。
このメンバーを見ると、団体の名称が「自主憲法制定国民会議?」とか「憲法9条改正国民会議?」そんな団体であっても、違和感のない方々なのです。
実際にかなりの方達が、そのような主張の団体にも参加しているのです。でも、それだから、右よりの方達だから、とても怪しいと考えている訳ではありません。
世の中、思想信条の自由は“憲法”で保障されていますから、それは、それで、いろいろな考えがあっても、いいのです。
“一票の格差は良くない正すべき!”と、“世の中一色的”で、疑問とか、反対とか、そんな主張がマスコミでは見かけないのです。
そんな事も、何か危うい気がするのです。ここは、一つ、ホントにそうなの?と、考えるのも、それなりに必要な気がするのです。
不利益を被っている“選挙民”に対して、現行制度の上に胡座をかき、民主主義を歪めている“政治家”と、まあ、そんな、単純な対立軸だけで、一票格差問題に乗っかっていいの?と、云いたいのです。
それで、先ほどの団体が、一票の格差を何故に問題としているか?です。住んで居る地域に寄って一票に格差があるから、だけでは、ないのです。
人口の少ない地方の議員数に対して、人口の多い都会の議員数が少ない為に、予算配分に不公平が生じ、結果として、都市の選挙民は損をしている、そう主張しているのです。
と、云うことは、国会議員は、大局的に天下国家を論じるよりも、先ずは、地元選挙区の利益代表として政治活動を行っている、まあ、そう言う、身も蓋も無い主張なのです。まあ、確かに事実であり真実なのです。
そうすると、一票の格差を是正すると、今度は、都市部偏重になり、地方は、益々、過疎化が進み、国土は荒廃し“美しい日本”は消えてしまうのでは?と、思ったりするのです。
“現状の人口密度”で、議員定数を決めていいの?と、思うのです。
選挙制度は、とても、とても、難しいと云うか、民意は、代議制は、民主主義は、とても、とても、難しいのです。
制度が変わっても、中選挙区制でも、小選挙区制でも、選挙区比例代表・並立・併用制でも、完全比例代表制でも、選挙民が、議員が、それなりに変わらないと、何も変わらないのです。
何か、マスコミも、面と向かっては云いませんが、一票の格差が解消すると、何だか、政治が良くなるような、そんな事を、匂わせるような・・・そんな匂いを感じたりするのです。
それで、突然ですが、私としての主張を述べさせて頂きます。
先ず、です! 衆議院は全国を一つの選挙区として、完全比例代表制とします。これで、一票の格差は、人口がどう変化しようが、永久に、完璧に、平等となります。また、地域代表的な色を多少とも薄まると思います。
そして、参議院は完全に地域代表として、人口に関係なく地方自治体単位の中選挙区制とします。
そうなると、決められない政治とか、政治が不安定になるとか、そんなご意見が出て来るのですが、それは、まったくの筋違いです。政治は選挙制度や国会制度ではありません。
兎に角、代議制民主主義はムズカシイしいのです。もう、そろそろ、技術的には可能な直接民主主義が?とは思うのですが、それには、選挙民の勉強が必要ですし、それには、勉強する“ゆとり”のある世の中が前提だし・・・・・・・。
そう云う世の中を創る為の政治は、そう云う世の中にならないと・・・不可能? それじゃ、実も蓋も無い・・・・・・・。
うん、兎に角、今日は、これで、お終い。
それでは、また。