歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

⑥ 新橋で横須賀線は地下5階そして女装で踊る人?

2014年06月11日 | 鎌倉の風景
先週の続きみたいなものです。

これまで鎌倉は円覚寺の話を綴ってきました。

あの日、円覚寺に参拝し、感激、感動、その興奮冷めやらぬうちにと、最後の見学地、円覚寺から綴ったのでした。まぁ、そう云う事で、話しは始めに戻り、新橋駅から始まります。

この日の鎌倉行きは朝の通勤時間帯を避け、11時半頃の到着予定でした。二週間前はラッシュ時に乗り合わせ、日暮里で女性専用車両に乗ってしまった失敗を思い出しつつ、山手線に乗り新橋で降りたのです。

新橋駅で横須賀線に乗り換えれば、隣のホームが横須賀線なので、東京駅よりも、品川駅よりも、歩く距離が短いと考えたのです。

そして、新橋駅に到着し、階段を降り、階段を上り、端っこのホームで、横須賀線?横須賀線?と呟きつつ、ホームの柱の案内板を見つめたのですが、東海道線とは書いてあるのですが、横須賀線の文字は見当たらないです。

えっ、どうして、どう云うこと? 昔は、このホームにブルーとアイボリーに塗られた横須賀線の車体を、勤めの往き帰りに眺めていたのに、何故? 誰も居ないホームで二人は呆然として辺りを見回したのです。

ホームの上に取り付けられた大きな看板を仰ぎ見ると、横須賀線は地下5階との表示。えっ、新橋駅に地下ホーム?知らなかった!

私が、毎日、毎日、務めに通っていたのは、思い起こせば40数年も前のことでした。あの頃、烏森口の駅前はバラック的な建物が密集していました。そして、烏森口と云えば、思い出すことがあります。

夕暮れ時になると、毎日、かつらに和服に白粉に紅、蛇の目を手に、女装した男が踊っていたのです。今回、初めて知ったのですが、烏森神社付近に“日本初のゲイバー”が昭和20年頃に出現したそうなのです。

あの和服姿の男性は、烏森口が再開発された後も、駅前ビルの片隅で踊っていました。通り掛かる通勤客は視線を向けず、気にもとめず、知らぬ素振りで通り過ぎて行きました。

彼?彼女?は、最初は“日本初の広告塔”だったのが、いつしか、自分のためだけに、毎日、毎晩、街角に立ち、無視されようが、嫌われようが、自らの世界で、独り、ひたすら踊り続けていた?

話しが、トンデモな方向に逸れてしまいました。兎に角、地下5階を目指し階段をそれなりに急ぎ足で下ったのです。

そして、長い、長い、エレベーターを下り、


歩き、


階段を下り、


地下5階に到着。


横須賀線の表示を見つけて一安心。


長い、長い、トンネルの様な地下駅。


横須賀線の東京駅 - 品川駅間が地下に潜ったのは昭和51年(1976年)だそうです。私が新橋あたりを彷徨いていた頃、人知れず地下で穴を掘っていたようです。

横須賀線が入線して来ました。


そして、もう、大船。


大船と云えば、松竹大船と大船観音です。



大船を過ぎれば、次は北鎌倉です。


それでは、また。




コメント (1)
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