北鎌倉の円覚寺に来ています。
“方丈”を後にして、墓地に向かいます。
それで、墓地なのですが、入り口で確認した案内板には墓地の所在は表示されていないのです。
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それで、本堂の片隅で警戒?にあたる作務衣姿の女性係員の方に、
「すいません。小津安二郎監督のお墓はどちらでしょうか?」
「はい、こちらを下って行くと駐車場があります、その近くまで行くと墓地の案内板が見えて来ます。木下恵介監督のお墓も近くにありますよ」
と云う事でした。木下恵介さんも近くに居るようです。
お礼を云って方丈を後に歩く事数分、見えて来ました。
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配置図もあります。
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配置図に眼を凝らし、小津、小津、小津と呟きつつ探したのですが、一通り全体を眺め回しても小津の文字を発見できず。かなり、かなり、興奮しているので、視線があっちに行ったり、こっちに云行ったり、落ち尽きなく泳いでしまうのです。
すると、後ろから、“木下があるよ!さっき木下恵介の側だって云ってたよね」と、連れ合いの声。何処?何処?何処?と私、ここ、ここ、ここよ!と連れ合い。
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そんな、こんなの一騒ぎがあってやっと発見。配置図をしっかり頭に刷り込み、先ずは階段を登り、次に右に折れて又階段を登り、辿り着いたら左手方向と、静かに復唱してから、小津監督の墓を目指します。
最初の階段、
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右に折れて二つ目の階段、
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階段を登り終え、左手方向に眼をやると、見えて来ました“無”と彫られた墓石。周りが、何か、スゴイ事になっています。
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右手には静かに眠る木下恵介監督のお墓。先ずは、こちらに合掌。
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所狭しと酒瓶が、
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いろいろなビールに、いろいろな日本酒に、
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いろいろなウィスキー。いろいろな方が、いろいろと頻繁に訪れていろようです。小津安二郎はそんなに酒好きで有名だった?
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それにしても「無」の一文字に、小津安二郎はどのような想いを込めたのか?
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1963年4月に頸部悪性腫瘍で手術し、一旦退院して10月に再入院、そして12月に亡くなられました。1903年12月12日に生まれて、60年後の12月12日に、還暦を迎え、亡くなられたのです。
突然の発病で入院し、手術し、悪化し、再入院し、帰らぬ人になったのです。この間、8ヶ月でした。
私が墓参りをしたこの日が5月23日で、2日後の朝日新聞の朝刊にこんな記事が載りました。
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・・・・・・「何も悪いことをしていないのにどうしてこんな病気になっちゃったんだろう」という小津に、岩下はかける言葉を見つけられなかった。二人は病室の長いすに並んで座り、ドリンクを飲みながら静かに時を過ごした。「じっと座ってにこにこしてらした。長い時間だったような気もします」・・・・・・
まさに、小津作品のワンシーンを思わせます。もしかして、この時小津は、映画のワンシーンを役者として演じていた? 演ずる小津、別の角度から見ている監督の小津。
記事の一段上で、
・・・・・・「人間というのは悲しい時に悲しい顔をするもんじゃないよ。人間の喜怒哀楽はそんなに単純なものじゃないよ」・・・・・・
と云っているのです。これは人間観察の結果ではなく、小津の美学であり、思いであり、スクリーン上でのひとつの芸術的表現であって、現実として、生身の人間として、そう云うことには・・・・・・。
長いすに腰掛け、アミノ酸ドリンクを飲み、にこにこしていた小津、静かな時の流れ、でも、しかし、小津も生身の人間として、病が、悪性腫瘍が、憎い!悔しい!死にたくない!生きたい!と、ひとり叫んでいたと思います。
墓石の無は、悟りとしての“無”なのか? それとも、悔しさの一端を表明した“無”なのか?
戒名は“曇華院達道常安居士”刻まれています。曇華(ドンゲ)は優曇華(ウドンゲ)で、仏教では三千年一度花開く云われる幻の花のようです。
生前の小津監督が傑出した稀な才能の持ち主だったことを称える院号だと思います。
いろいろな思いを抱きつつ、墓前の酒を眺めつつ、手を合わせました。いま、ここに立っている、この場所に、あの原節子も・・・と考えると、何か、とても、不思議な気持ちになりました。
本日は、これまで。
では、また。
“方丈”を後にして、墓地に向かいます。
それで、墓地なのですが、入り口で確認した案内板には墓地の所在は表示されていないのです。
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それで、本堂の片隅で警戒?にあたる作務衣姿の女性係員の方に、
「すいません。小津安二郎監督のお墓はどちらでしょうか?」
「はい、こちらを下って行くと駐車場があります、その近くまで行くと墓地の案内板が見えて来ます。木下恵介監督のお墓も近くにありますよ」
と云う事でした。木下恵介さんも近くに居るようです。
お礼を云って方丈を後に歩く事数分、見えて来ました。
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配置図もあります。
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配置図に眼を凝らし、小津、小津、小津と呟きつつ探したのですが、一通り全体を眺め回しても小津の文字を発見できず。かなり、かなり、興奮しているので、視線があっちに行ったり、こっちに云行ったり、落ち尽きなく泳いでしまうのです。
すると、後ろから、“木下があるよ!さっき木下恵介の側だって云ってたよね」と、連れ合いの声。何処?何処?何処?と私、ここ、ここ、ここよ!と連れ合い。
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そんな、こんなの一騒ぎがあってやっと発見。配置図をしっかり頭に刷り込み、先ずは階段を登り、次に右に折れて又階段を登り、辿り着いたら左手方向と、静かに復唱してから、小津監督の墓を目指します。
最初の階段、
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右に折れて二つ目の階段、
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階段を登り終え、左手方向に眼をやると、見えて来ました“無”と彫られた墓石。周りが、何か、スゴイ事になっています。
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右手には静かに眠る木下恵介監督のお墓。先ずは、こちらに合掌。
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所狭しと酒瓶が、
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いろいろなビールに、いろいろな日本酒に、
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いろいろなウィスキー。いろいろな方が、いろいろと頻繁に訪れていろようです。小津安二郎はそんなに酒好きで有名だった?
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それにしても「無」の一文字に、小津安二郎はどのような想いを込めたのか?
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1963年4月に頸部悪性腫瘍で手術し、一旦退院して10月に再入院、そして12月に亡くなられました。1903年12月12日に生まれて、60年後の12月12日に、還暦を迎え、亡くなられたのです。
突然の発病で入院し、手術し、悪化し、再入院し、帰らぬ人になったのです。この間、8ヶ月でした。
私が墓参りをしたこの日が5月23日で、2日後の朝日新聞の朝刊にこんな記事が載りました。
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・・・・・・「何も悪いことをしていないのにどうしてこんな病気になっちゃったんだろう」という小津に、岩下はかける言葉を見つけられなかった。二人は病室の長いすに並んで座り、ドリンクを飲みながら静かに時を過ごした。「じっと座ってにこにこしてらした。長い時間だったような気もします」・・・・・・
まさに、小津作品のワンシーンを思わせます。もしかして、この時小津は、映画のワンシーンを役者として演じていた? 演ずる小津、別の角度から見ている監督の小津。
記事の一段上で、
・・・・・・「人間というのは悲しい時に悲しい顔をするもんじゃないよ。人間の喜怒哀楽はそんなに単純なものじゃないよ」・・・・・・
と云っているのです。これは人間観察の結果ではなく、小津の美学であり、思いであり、スクリーン上でのひとつの芸術的表現であって、現実として、生身の人間として、そう云うことには・・・・・・。
長いすに腰掛け、アミノ酸ドリンクを飲み、にこにこしていた小津、静かな時の流れ、でも、しかし、小津も生身の人間として、病が、悪性腫瘍が、憎い!悔しい!死にたくない!生きたい!と、ひとり叫んでいたと思います。
墓石の無は、悟りとしての“無”なのか? それとも、悔しさの一端を表明した“無”なのか?
戒名は“曇華院達道常安居士”刻まれています。曇華(ドンゲ)は優曇華(ウドンゲ)で、仏教では三千年一度花開く云われる幻の花のようです。
生前の小津監督が傑出した稀な才能の持ち主だったことを称える院号だと思います。
いろいろな思いを抱きつつ、墓前の酒を眺めつつ、手を合わせました。いま、ここに立っている、この場所に、あの原節子も・・・と考えると、何か、とても、不思議な気持ちになりました。
本日は、これまで。
では、また。