それで、“批判”の話しなのですが、どうも、世間では、あまり良い事として、と云うよりも、やってはイケナイ事になっているのです。
広~く世界を見渡して、世界的にもそうなの? 世界と云っても、キリスト教文化圏と比較してとか、イスラム教文化圏と比較してとか、ヒンズー教文化圏とか、仏教文化圏とか、いろいろ比較して、どうなのか?
まあ、そんなに話しを広げても、それほどの知識は持ち合わせていないので、日本の、私の周りの、お話しとして、いろいろ考えたりする、きょうこの頃なのです。
それで、“アベノミックス”の話しですが、失敗だァ! そこそこ成功している!とか、どちらにしても、そろそろ結論を出す段階には来たことは、間違いないのです。
一般庶民感情としては、安倍さんも、それなりに一生懸命努力しているのだから、みんなで応援すべきで、批判するのは良くない、となり、安倍さん支持派としては、批判するなら対案を出せ! 何て反論が返ってくるのです。
そして、そして、安倍さんが幼少期に、お祖父ちゃんから刷り込まれた、憲法改正なくして日本の独立なし!日本を取り戻す!との、政権最優先課題に対しての反対意見には、理想論との反論が成されるのです。
対案攻撃に理想論攻撃、これが常套手段で、かなりの効果があるのです。
そして、そして、最後の強力な決め手が、一般庶民感情として“そうは云っても、安倍さんに変わる人が居るの?”となるのです。
政権末期には、“誰か、他に、ましな人は、居るの?”は、かなり、かなり、世間に、庶民に、くり返しまん延する、かなり強固な風潮なのです。
話しが、ちょっと表題から逸れたか?
それで、兎に角、他人を批判する事は、世間では、かなり、かなり、良くない事とされていると、私は、強く、強く、感じるのです。
どうも、批判と、非難の区別が、世間では、ハッキリしていないのでは?と、思ったりするのです。その結果、兎に角、“反対するのは良くない!”となるのです。
わたし的には、批判は、より良い答えを見つけ出す為の手段であり、そして、批判の対象者の人格までを否定する事でもありません。
どうも、世間的風潮として、批判が、非難、誹謗中傷と、ゴチャ混ぜになり、使われている気がするのです。
そして、そして、一番の問題は、それなりの方々は、批判を受ける方々は、批判本来の意味を、充分にご承知の上で、批判の効力を削ぐために、批判を、非難として、誹謗中傷として、ゴチャ混ぜとしての、風潮を利用しているのです。
まあ、それと、困ったことに、批判する側にも、批判と非難をゴチャ混ぜにする、困った輩が居るので、事態は、よりゴチャ混ぜ状態なのです。
批判した人間は、寄って集って非難されるのです。
それを見聞きすれば、非難される事を恐れ、批判する事を恐れ、反対する事を恐れ、多数派にすり寄って行くのです。
そして、そして、その事で、単に、一政党の政策選択に対しての、批判、反論を、国家に対する誹謗中傷にすり替えたり、選挙で議席の過半数を制すれば、何でもOKと考えたり、そんな安倍自民党政権ですが、支持率は下がらないのでした。
批判される権力側にとっては、とても、とても、居心地が良い世の中なのです。
批判ケッコウ! 反論ケッコウ! 理想論ケッコウ! 自由な討議ケッコウ! で、世の中は回っていくのです。
批判、反論、理想論、自由な討議、これらが否定されると、間違いなく世の中は終わります。
一般庶民の、「批判?」を嫌う風潮、兎に角、これまで自民党でやってきたのだから、これからも自民党で。
誰がやっても変わらない・・・、確かに、民主党政権の失敗は大きく効いています。
そんな、曖昧なアレヤ、コレヤに支えられ、安倍自民党政権は、世の中は、今日も、明日も、これからも、何とか、続いて行くと・・・・・・、でも、しかし、ホントに続いて行くの? それで良いの?
兎に角、いまのところは、憲法では国民が主権者です。
兎に角、いまのところは、憲法では言論の自由は保障されています。
兎に角、そう云う、ことなのです。
それでは、また。
広~く世界を見渡して、世界的にもそうなの? 世界と云っても、キリスト教文化圏と比較してとか、イスラム教文化圏と比較してとか、ヒンズー教文化圏とか、仏教文化圏とか、いろいろ比較して、どうなのか?
まあ、そんなに話しを広げても、それほどの知識は持ち合わせていないので、日本の、私の周りの、お話しとして、いろいろ考えたりする、きょうこの頃なのです。
それで、“アベノミックス”の話しですが、失敗だァ! そこそこ成功している!とか、どちらにしても、そろそろ結論を出す段階には来たことは、間違いないのです。
一般庶民感情としては、安倍さんも、それなりに一生懸命努力しているのだから、みんなで応援すべきで、批判するのは良くない、となり、安倍さん支持派としては、批判するなら対案を出せ! 何て反論が返ってくるのです。
そして、そして、安倍さんが幼少期に、お祖父ちゃんから刷り込まれた、憲法改正なくして日本の独立なし!日本を取り戻す!との、政権最優先課題に対しての反対意見には、理想論との反論が成されるのです。
対案攻撃に理想論攻撃、これが常套手段で、かなりの効果があるのです。
そして、そして、最後の強力な決め手が、一般庶民感情として“そうは云っても、安倍さんに変わる人が居るの?”となるのです。
政権末期には、“誰か、他に、ましな人は、居るの?”は、かなり、かなり、世間に、庶民に、くり返しまん延する、かなり強固な風潮なのです。
話しが、ちょっと表題から逸れたか?
それで、兎に角、他人を批判する事は、世間では、かなり、かなり、良くない事とされていると、私は、強く、強く、感じるのです。
どうも、批判と、非難の区別が、世間では、ハッキリしていないのでは?と、思ったりするのです。その結果、兎に角、“反対するのは良くない!”となるのです。
わたし的には、批判は、より良い答えを見つけ出す為の手段であり、そして、批判の対象者の人格までを否定する事でもありません。
どうも、世間的風潮として、批判が、非難、誹謗中傷と、ゴチャ混ぜになり、使われている気がするのです。
そして、そして、一番の問題は、それなりの方々は、批判を受ける方々は、批判本来の意味を、充分にご承知の上で、批判の効力を削ぐために、批判を、非難として、誹謗中傷として、ゴチャ混ぜとしての、風潮を利用しているのです。
まあ、それと、困ったことに、批判する側にも、批判と非難をゴチャ混ぜにする、困った輩が居るので、事態は、よりゴチャ混ぜ状態なのです。
批判した人間は、寄って集って非難されるのです。
それを見聞きすれば、非難される事を恐れ、批判する事を恐れ、反対する事を恐れ、多数派にすり寄って行くのです。
そして、そして、その事で、単に、一政党の政策選択に対しての、批判、反論を、国家に対する誹謗中傷にすり替えたり、選挙で議席の過半数を制すれば、何でもOKと考えたり、そんな安倍自民党政権ですが、支持率は下がらないのでした。
批判される権力側にとっては、とても、とても、居心地が良い世の中なのです。
批判ケッコウ! 反論ケッコウ! 理想論ケッコウ! 自由な討議ケッコウ! で、世の中は回っていくのです。
批判、反論、理想論、自由な討議、これらが否定されると、間違いなく世の中は終わります。
一般庶民の、「批判?」を嫌う風潮、兎に角、これまで自民党でやってきたのだから、これからも自民党で。
誰がやっても変わらない・・・、確かに、民主党政権の失敗は大きく効いています。
そんな、曖昧なアレヤ、コレヤに支えられ、安倍自民党政権は、世の中は、今日も、明日も、これからも、何とか、続いて行くと・・・・・・、でも、しかし、ホントに続いて行くの? それで良いの?
兎に角、いまのところは、憲法では国民が主権者です。
兎に角、いまのところは、憲法では言論の自由は保障されています。
兎に角、そう云う、ことなのです。
それでは、また。