今年初めての更新です。
この間は、 世間では、クリスマスで、年の瀬で、お正月でした。
こちらは、とても、とても、代り映えしない日々を送っています。
それと、5日には74歳となり、後期高齢者へあと一歩。
それにしても、1月1日の能登半島地震には驚きました。
誰しもが、いつの日か、災害当事者になる、そんな災害列島に暮らす現実を、年の初めに、思い知らされるとは、何という年明け。
それにしても、"災害は忘れた頃にやって来る" は、いつの頃からか死語に? 天変地異が多発する日本列島、地殻変動の活動期に突入した ?
我が日本列島では、"気候変動" よりも "地殻変動" が、最大の脅威だと、思ったりしています。
能登半島地震、そして、ほぼ同じ年齢の八代亜紀さんの死亡報道。去年から膠原病治療のため活動休止は知りませんでした。
『人は、ただ、無常の、身に迫りぬる事を、心にひしとかけて、束の間も忘るまじきなり』・・・徒然草第四十九段
に想いを馳せる今日この頃です。
この世には永遠不変はなく、人の命もかならず死が訪れる訳ですが、そのことを常に忘れずに生きている方は、とても、とても、限られると思います。
まあ、私のような、フツウの人は、死を意識したとしても、焼酎をかっ食らって酔っ払い、寝床に潜り込むだけです。
『徒然草』の有名な序段、
- 『つれづれなるまゝに、日くらし硯に向かひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書き付くれば、あやしうこそ物狂ほしけれ』
「つれづれなるままに」とか、「心にうつりゆくよしなごと」とか、「そこはかとなく」とか、「あやしうこそ」とか、言葉の響きが、とても、とても、心地よいです。
うん。私のブログも、内容は別に置いといて、それなりに、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きなぐっているのでした。
『徒然草』は、室町時代、権力闘争の渦中で、宮廷に仕えていた"吉田兼好"が記した「君主論」との説もあるようです。
六百有余年の時が流れても、人の世は、人の思いは、それほど変わらないようです。
現在、権力闘争の渦中にいる、岸田文雄殿、『徒然草』をひもといて、"来し方行く末に想いを馳せては" 如何ですか? もしかして、巷に流れる3月の訪米後の退陣は、それなりに決断されたのでしょうか?
それで、話は八代亜紀さん戻り、"魏志倭人伝" なのです。私は邪馬台国九州説で、その中でも、熊本説なのです。
熊本出身の八代亜紀さんの、佇まいに、容姿に、歌声に、妖しさに、女王"卑弥呼"を感じていました。特に容姿は、妖しい巫女そのものでした。
古代、邪馬台国の女王、鬼道に仕え、大衆を惑わす卑弥呼と、現代、演歌の女王八代亜紀も、鬼道に仕え? 大衆を惑わす? 千数百年の時を越えて、熊本で繫がっているのです。
ここまで、年の初めの驚きの出来事を綴りましたが、驚きついでに、三つ目の驚きなのです。
それで私、去年の4月ごろ? から新聞の購読を止めたのですが、それまで、1時半から2時半後に目を覚まし、朝刊を1時間ほど読み、また眠る習慣があったのです。
新聞購読を止めてからもその習慣は続いています。新聞の代わりに、本棚から古い本を引っ張り出し読むことにしているのです。それで、今読んでいる本は『映画で世界を愛せるか』です。著者 佐藤忠男 岩波新書 1989年1月29日 第一刷発行
そのなかで、驚きの文章を発見。
『西洋人の映画評論家で原節子を美人と思うかと聞いて、"イエス" と答えてくれる人物に私はまだ会ったことがないのである。はっきり"美人だとは思わない" と云うか、"美人ではなく家庭的だから小津作品にはぴったりだ。だから好き" などと言い、なかには "小津映画は完璧だが、主役の女優に美人を起用しないことが不思議だ"と言う、とんでもない事を抜かす奴までいるのである』
新しい西洋的美人としての、日本人の評価と、西洋からの評価とは、これほどまでに違っているの? と云うか、違っていたの ?
西洋人のこのような原節子に対する評価は、これまで、一度も、目にし、耳にしたことがありませんでした。
その筋では、それなりに知られていた話で、しかし、国内での原節子への、小津作品への評価を考え、敢えて、その筋では、タブーとしてあまり語られてこなかった?
まあ、美人の評価は、それなりに、国により、時代により、変化するものですから、そんなものだと、納得する次第。
はい、年の初めの、三つの驚きでした。
今年も、よろしくお願いします。
それでは、また。