歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

“折り合いを付けて”みませんか?

2008年03月25日 | その他
最近、ボンヤリと“あること”を考えていたら、こんな言葉が頭の中に浮かんできました。

      “折り合いを付ける”・・・・・・です。

これまで、この言葉とはまったく無縁であり、今頃、今更、何故? どうして? そんな不思議な思いがするのです。

折り合うことは“妥協”であり、何となく、これまで「マイナスイメージ」を抱いていました。

それと、これまでの人生で、折り合うことを必要とした場面は、これまでにあったのか? なかったのか? 無意識に折り合っていたのか? それとも避けていたのか?

折り合うことは、それなりに、気を使い、頭を使い、時間を使い、面倒で、かなり疲れる事だと思います。

面倒でも、疲れても、それなりに、悩んだり、考えたり、怒ったり、笑ったり、泣いたり・・・・・・、そんなことを繰り返して、それなりに、折り合いを付け、そして、何かが変わる・・・・・・、そんなことなのでしょう。

兎に角、みんな、折り合いを付けて、「オーキク」なるのでしょう。

  “み~んなぁ悩んでぇ! オ~キクなったぁ!”

と、昔、テレビCMで“野坂昭如?”がそう叫んでいました。

話は、折り合いについて進めます。

先ずは、そもそも、相手は折り合うに「あたいする」対象かを考えなければいけません。

相手が自分と同じ思い、同じ方向に向いているのか、判断する必要があります。

例えば、“イスラム教原理主義”と“キリスト教原理主義”では、互いに一つの神しか認めないのですから、折り合いは付きません。

でも、まぁ。これも、付かない分けでは無い・・・・・と、思うのですが、いつの日かは、きっと、そんな日も来ることでしょう

例えが、かなり、遠くへ飛んでしまいましたが、遠くではなく、普通の人の、普通の身辺的な「もめ事」での折り合いは、それなりに付く気がします。

お互いに折り合いを付けようとする、意志と気持があれば、それなりに折り合いは付きそうです。

一時の“感情のぶつけ合い”では、折り合いは付かないでしょう。

その為には、

自分の考え思いに、何処か辻褄の合わない所はないか? 単なるその場の一時の感情か?それなりに分析し、

それなりに、辻褄が合い、これまで持ち続けてきた思いであったなら、次に、落ち着いて、冷静に、相手の立場に立って、判り易い伝え方を考え、

また、折り合いですから、相手の考え、思いを、落ち着いて、冷静に聞き、それなりに、分析し、自分の考え思いと、摺り合わせ、

それなりに、一致点、相違点を整理し、冷静に、話し合い、聞き合い、そんなこんなを繰り返す、

大変に疲れる事が“折り合いを付ける”ってこと、かも知れません。

広辞苑を引くと、

【折り合う】 対立した同士が譲り合って解決をつける。おれあう。

“折り合う”は、折れ合うこと、互いに「折れる」ことのようです。

折れることは、部分的敗北ではなく、互いに、自分を思い、相手を思いやること、そんな積極的、前向きの意味がある・・・・・・、そんな気がしてきました。

互いに折れる合うことにより、お互いに思う方向に、一歩でも、1㎜でも、近づく事のようです。

生きていると、いろいろな場面で、それなりに「折り合い」を付けなければ、いけないのかも知れません。

折り合いを付けてきた人、付けなかった人、それなりに何らかの違いがでてきそうです。

折り合った人は、面倒で疲れる事をくり返して来たので、それなりに、複雑で、味があり、面白い人になっている可能性が高くなりそうです。

私も、若い頃に「折り合う事」に気付いていれば、もっと違った人生だったかも?知れません。

いい歳して、今更ですが、誰かと、何かに、折り合って見たくなりました。

人生は、折り合いの“繰り返し?” 折り合いの“積み重ね?”


意識的に折り合って“きた人”

無意識のうちに折り合って“いた人”

まったく折り合わなかった人、

それなりの違いが現れてきそうな気がします。


折り合いを付けることは、面倒でも、前向きで、それなりに楽しい事のような、そんな思いがしてきました。




どうですか? 

  誰かと、何かで“いろいろ折り合って”

 “いろいろな折り合いを付けて”みませんか?


“折り合いを付ける” 何か、とても良い響きの言葉に聞こえてきました。


それでは、また明日。



コメント (1)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« “朝青龍”の味方です! | トップ | “春”・“春”・“春”で~す! »
最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (さかいのぶよし)
2015-05-14 06:16:43
折り合いを付ける。お寺,神社に共通する日本的響きを感じます。前衛意識の絶対主義者には無理。それで、オウムのように同じ言を繰り返す人たちも若気の至りを悟り隠れて生きてます。小生は聞かされる方で、上から目線で頑張った面々が懐かしい。今考えると小生だけには権威があつた!
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

その他」カテゴリの最新記事