歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

重文坂野家住宅でビデオ鑑賞

2009年12月04日 | 建物の話し
昨日の続きです。

いよいよ、坂野家住宅の主屋を見学します。重文にはこの“主屋と薬医門”が指定されています。元禄年間の中頃の建築だそうですから、だいたい300年ほど前の建築様式です。

現在の建物は、1998年に坂野家から水海道市が買い取り、3年ほど掛けて復元工事が行われ2006年から一般公開されているそうです。復元工事費は約3億2千万円ほどだったそうです。まぁ、そのくらいの費用はかかるしょう。


この手の古民家を何百年も個人で所有するには、何代にも渡り新たに財産を蓄積し続け、そして、明治維新の混乱を乗り越え、戦後の農地解放を乗り越え、何代もの相続税を乗り越え、大変な努力と能力と運と根性が必要なのです。


先ずは、外観から、武家屋敷風の造り、客殿の玄関として、かなりの上級武士、もしかして、藩主クラスもここで出迎えた気がします。駕籠も横付けできそうです。


板戸にはベンガラが塗られているようです。


こちらが博物館の入り口です。家人は通常ここから出入りしていたのでしょう。


受付には誰も居ません。不在の時には脇に置かれた“板木”を叩けとありましたので、木槌で3回叩きあたりを見回し、叩いては見回しを三度繰り返し、数分間待ち、やっと奥の方から60代の男性が現れ、300円を渡したのです。

待ち時間は、たぶん5分以上はあったと思います。その間、このまま黙って入場するか?と、思ったりしもしたのですが、それでは、ゆっくり、じっくり、落ち着いて見学できませんから、じっと待ったのでした。


先客は、見えた限りで4~5人程度で、中高年の方達ばかりでした。若い方はこのような古民家には興味を示さないのがふつうなのです。ぐっと若い小中学生になると、郷土の歴史の“お勉強”で学校から連れてこられるのです。


この竈は復元です。


いつも思うのですが、くねくね曲がった木材で、水平垂直を出して組み上げるのは、“現場合わせ”なのでしょうか?


珍しい継ぎ方です。


これは、増築した際の継ぎ目でしょうかね?


土間のあちらこちら、上を見たり下を見たりしていると、先ほど受付係りの人が近寄って来て、

「短いですから、紹介のビデオをみますか?」
「短い?」、
「はい15分程度です」
「そうですか、それでは」

と云う事で、土間の端っこの長椅子にひとりで座り、ビデオ鑑賞となりました。


ビデオは、復元工事の様子もあり、作業服を着て、安全靴を履き、ヘルメットを被った女性学芸員?の説明する様子が、とても“印象”に残りました。

何処が?どのように?と、聞かれると・・・・・・困るのです。

学術的な内容ではなくて、日常では見かけない女性の出で立ちでの説明風景が、う~ん、やっぱり、何処か変だったのです。

それなりに似合っていたのですが、女性として、その出で立ちで“ビデオを撮られる事”に、何処か納得していない様子を感じたのです。

話が違う方向にいってしまいました。

この先は、次回とします。


金曜日ですから、それでは、また来週。


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