昨日の続きです。
まだ、月波楼の二階に居ます。
この時、二階には見学者も居ませんでしたので、一人座敷の中央に座り部屋をぼんやり眺め、当時ここに集った文人墨客に思いを馳せたのであります。

説明板に東京からも文人墨客が訪れたと記されていましたが、固有名詞の記述はなく、それなりに著名な人たちが訪れていた様子はなさそうです。なかには、食いっぱぐれの“自称文人墨客”が居候などしていたかも?
江戸から明治かけての、第11代当主の久馬、第12代の信寿は、文人としても知られていたそうで、久馬は“耕雨”、信寿は“行斎”と名のっていたようです。
“文人”の父や、祖父に育てられ、そのあとを継いだ大正の当主が、この月波楼を建て替えたわけです。そうなると、先代、先々代より、ずっとずっと文人意識が強かったと思うのです。

文人は生産よりも消費ですから、そうなると、よくある話で、祖先代々の財産を食いつぶしてしまう危険が高まるのです。
この月波楼に文人墨客が集った大正時代が、もしかして坂野家が一番輝いていた時代だったのかと、畳の上に胡座をかきつつ、そんな想いを巡らしたのです。

でも、しかし、坂野家は大正ロマンの時代を乗り越え、今に続いているのですから、文人当主には食いつぶされなかったようです。
裏に眼をやると、それなりに新しい立派な蔵が建っていますし、

その隣には、たぶん、現在のお住まい?と思われる、新しい立派なお家も建っております。

静かで落ち着いた大正ロマン漂う座敷で、他人様の懐など、余計な心配をしてしまいました。あくまでも、私の、勝手なモウソウです。
モウソウから覚め、モウソロソロ一階に降りるかと、階段に向かうと、洒落たデザインの“ツマミ”と云うか、“取っ手”云うか、雨戸を内側から開け閉めする、戸袋の引き戸に付けられて三日月の細工。これは、なかなかと思いました。

でも、しかし、視線を移すと、このチョーク書き“オィ!オィ!チョット!チョット!”でした。

そも、そも、ですよ、雨戸一枚も文化財です、この感覚はどうにも、いけません。三日月の細工が台無しです。
せっかく大正ロマンにひたっていたのが、この大胆なチョークの矢印で現実に引き戻されました。
“引き戸で引き戻されでは洒落にならん!”な~んて、駄洒落の一発を、一人呟いたのであります。兎に角、300円も払ったのですから、少しは云わせてもらうのです。
それで、まだ、坂野家住宅の見学は今のところ、だいたい200円分は見たようなので、残りの100円分をこれから見たいと思います。
残りは、外回りです。庭の方向から建物を眺めて見たいと思います。まだ、まだ、続く坂野家住宅です。
それでは、また来週。
まだ、月波楼の二階に居ます。
この時、二階には見学者も居ませんでしたので、一人座敷の中央に座り部屋をぼんやり眺め、当時ここに集った文人墨客に思いを馳せたのであります。

説明板に東京からも文人墨客が訪れたと記されていましたが、固有名詞の記述はなく、それなりに著名な人たちが訪れていた様子はなさそうです。なかには、食いっぱぐれの“自称文人墨客”が居候などしていたかも?
江戸から明治かけての、第11代当主の久馬、第12代の信寿は、文人としても知られていたそうで、久馬は“耕雨”、信寿は“行斎”と名のっていたようです。
“文人”の父や、祖父に育てられ、そのあとを継いだ大正の当主が、この月波楼を建て替えたわけです。そうなると、先代、先々代より、ずっとずっと文人意識が強かったと思うのです。

文人は生産よりも消費ですから、そうなると、よくある話で、祖先代々の財産を食いつぶしてしまう危険が高まるのです。
この月波楼に文人墨客が集った大正時代が、もしかして坂野家が一番輝いていた時代だったのかと、畳の上に胡座をかきつつ、そんな想いを巡らしたのです。

でも、しかし、坂野家は大正ロマンの時代を乗り越え、今に続いているのですから、文人当主には食いつぶされなかったようです。
裏に眼をやると、それなりに新しい立派な蔵が建っていますし、

その隣には、たぶん、現在のお住まい?と思われる、新しい立派なお家も建っております。

静かで落ち着いた大正ロマン漂う座敷で、他人様の懐など、余計な心配をしてしまいました。あくまでも、私の、勝手なモウソウです。
モウソウから覚め、モウソロソロ一階に降りるかと、階段に向かうと、洒落たデザインの“ツマミ”と云うか、“取っ手”云うか、雨戸を内側から開け閉めする、戸袋の引き戸に付けられて三日月の細工。これは、なかなかと思いました。

でも、しかし、視線を移すと、このチョーク書き“オィ!オィ!チョット!チョット!”でした。

そも、そも、ですよ、雨戸一枚も文化財です、この感覚はどうにも、いけません。三日月の細工が台無しです。
せっかく大正ロマンにひたっていたのが、この大胆なチョークの矢印で現実に引き戻されました。
“引き戸で引き戻されでは洒落にならん!”な~んて、駄洒落の一発を、一人呟いたのであります。兎に角、300円も払ったのですから、少しは云わせてもらうのです。
それで、まだ、坂野家住宅の見学は今のところ、だいたい200円分は見たようなので、残りの100円分をこれから見たいと思います。
残りは、外回りです。庭の方向から建物を眺めて見たいと思います。まだ、まだ、続く坂野家住宅です。
それでは、また来週。
初めての投函です
届きますか
神戸の60のおばさんです