歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

坂野家住宅は月波楼の大正ロマン

2009年12月11日 | 建物の話し
昨日の続きです。

まだ、月波楼の二階に居ます。

この時、二階には見学者も居ませんでしたので、一人座敷の中央に座り部屋をぼんやり眺め、当時ここに集った文人墨客に思いを馳せたのであります。


説明板に東京からも文人墨客が訪れたと記されていましたが、固有名詞の記述はなく、それなりに著名な人たちが訪れていた様子はなさそうです。なかには、食いっぱぐれの“自称文人墨客”が居候などしていたかも?

江戸から明治かけての、第11代当主の久馬、第12代の信寿は、文人としても知られていたそうで、久馬は“耕雨”、信寿は“行斎”と名のっていたようです。

“文人”の父や、祖父に育てられ、そのあとを継いだ大正の当主が、この月波楼を建て替えたわけです。そうなると、先代、先々代より、ずっとずっと文人意識が強かったと思うのです。


文人は生産よりも消費ですから、そうなると、よくある話で、祖先代々の財産を食いつぶしてしまう危険が高まるのです。

この月波楼に文人墨客が集った大正時代が、もしかして坂野家が一番輝いていた時代だったのかと、畳の上に胡座をかきつつ、そんな想いを巡らしたのです。


でも、しかし、坂野家は大正ロマンの時代を乗り越え、今に続いているのですから、文人当主には食いつぶされなかったようです。

裏に眼をやると、それなりに新しい立派な蔵が建っていますし、


その隣には、たぶん、現在のお住まい?と思われる、新しい立派なお家も建っております。


静かで落ち着いた大正ロマン漂う座敷で、他人様の懐など、余計な心配をしてしまいました。あくまでも、私の、勝手なモウソウです。

モウソウから覚め、モウソロソロ一階に降りるかと、階段に向かうと、洒落たデザインの“ツマミ”と云うか、“取っ手”云うか、雨戸を内側から開け閉めする、戸袋の引き戸に付けられて三日月の細工。これは、なかなかと思いました。


でも、しかし、視線を移すと、このチョーク書き“オィ!オィ!チョット!チョット!”でした。


そも、そも、ですよ、雨戸一枚も文化財です、この感覚はどうにも、いけません。三日月の細工が台無しです。

せっかく大正ロマンにひたっていたのが、この大胆なチョークの矢印で現実に引き戻されました。

“引き戸で引き戻されでは洒落にならん!”な~んて、駄洒落の一発を、一人呟いたのであります。兎に角、300円も払ったのですから、少しは云わせてもらうのです。

それで、まだ、坂野家住宅の見学は今のところ、だいたい200円分は見たようなので、残りの100円分をこれから見たいと思います。

残りは、外回りです。庭の方向から建物を眺めて見たいと思います。まだ、まだ、続く坂野家住宅です。

それでは、また来週。


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
はじめまして (けい)
2011-03-23 13:35:42
大正ロマンからお会いしました
初めての投函です
届きますか

神戸の60のおばさんです
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Unknown (cocoro1)
2011-03-23 16:24:39
神戸の“けいさん”届いてますよ。関東東北はもう大変です。今日はとうとう水道水に影響が出て来ました。現実とは思えない毎日が続いてます。
返信する

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