歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

②野田は「キッコーマン」でした!

2007年08月04日 | 街の風景
昨日の続きです。

寂れ、取り残され、旧市街と云う表現がピッタリなメインストリートを歩いていると、洒落た石造りのビルが現れました。

間違いなく古い建物なのですが、外観の色彩が「妙に」明るくモダンなのです。



株式会社「千秋社」とあります。「千秋の思い」の「千秋」、長い年月です。この建物も長い年月が経っています。


デザインにも「お金」がかかっています。調べてみたら「1926年 大正15年野田商誘銀行として建設されたものした。

確かに「銀行」の佇まいです。名称の「商い」を「誘う」銀行ですが、「醤油」に引っ掛けたそうです。

銀行の設立者の殆どが、野田醤油醸造組合(キッコーマンの前身)の組合員であったため,「醤油」との語呂合わせで付けた「駄洒落銀行」です。当時は「笑遊劇場」という芝居小屋もあったそうです。



それと、「千秋社」ですが、キッコーマンの系列会社で、あの「清水公園」も、この会社が経営しているそうです。

あの広大(敷地約28万平方メートル)な公園は、当然、市立公園と思っていたのですが、私立公園だったのです。キッコーマンはスゴイのです。



2軒先にある、中村商店の倉庫にも、なかなか風情があります。



間の2軒が無いと、とてもイイ町並みなのですが・・・・・・。




千秋社の先に、突如出現した、最近よくある「流行り」の「ガラスと金属」の建物。

この手のデザインは「ハッキリ」云って嫌いです。

何なんですか? このデザインは? ガラスの多用は、明るくスッキリで、爽やかで、軽くて、周囲への圧迫感がない?

直線だけの組み合わせは、退屈で、工夫がなく、緊張感だけが誇張されます。それにしても、周囲の景観とはまったく異質です。

そうなんです。これが「キッコーマン」の本社社屋なのです。

野田醤油醸造組合が、1917年(大正6年)に野田醤油株式会社となり、1964年にキッコーマン醤油株式会社に、1980年に醤油が無くなり、現在の社名、キッコーマン株式会社になったそうです。

現在の東武野田線は、「キッコーマン」が醤油を運ぶ為に造った路線だったそうです。

清水公園もキッコーマン。昔は「銀行」もキッコーマン、鉄道もキッコーマン、現在市内には、「キッコーマン総合病院」もあります。


野田の街、まだ歩き始めたばかりですが、野田はキッコーマンでした。

野田は醤油の街、キッコーマンの街です。


キッコーマンの街、これから、まだまだ歩きます。


それではまた明日。
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