先日の金曜日に東京に行って来ました。
そして、そして、明治神宮に参拝して来ました。
遠い遠い昔なので、かなり、かなり、怪しいのですが、明治神宮に前回訪れたのは、たぶん中学生の頃だったと、お正月に友達数人で来たと記憶しています。
その頃、お正月に友達と連れだって明治神宮に行くのが「流行っていた」のです。と云う事で、かれこれ50数年ぶりの参拝となります。
今回の東京行きの主要目的は、可愛い双子ちゃんに会う事なのですが、折角だから、この際、近所の明治神宮も久しぶり参拝と相成ったのです。
当日は地下鉄千代田線の神宮前で降り、地上に出たところはJR原宿駅前で、明治神宮は目の前です。
神宮橋を渡ります。橋の下には山の手線。網代笠を被った旅装束の僧侶が橋の中央にす立っています
外国人観光客には絶好の被写体。
神宮橋を渡って右に折れると最初の鳥居が眼に入って来ます。
この日はカメラを向けると、画面の何処かに必ず外人さんが写り込みました。日本人と思っていたら聞こえてくる会話から、中国とか、台湾とか、韓国とか、の方々でした。ざっと見、8割以上は外国の方達のようです。
今時の明治神宮では鳥居の向かいに、こんなオープンカフェがあったりするのです。
鳥居をくぐって境内に脚を踏み入れます。ここで、アレぇ!と思ったのです。写真では分かり辛いのですが、参道がなだらかに下っているのです。何か、ちょっと、変な感じです。
神社は、やはり、一般的にと云うか、ふつうは高いところにあって、階段を登っていたその先に本殿があったりするのです。鳥居の先が下り坂は初めての経験。
参道の両脇は、まさに、まさに、鬱蒼とした森。100年前に創られた人工林とは驚きです。
こんな処に川が流れ石橋が架かっていたのです。
なかなかイイ感じの石橋です。
川というよりも、小川のせせらぎです。
それにしても、長い、長い参道。
左手に門が現れました。
明治神宮御苑とあります。新宿御苑知っていますが、明治神宮御苑は知りませんでした。
説明板を読むと、意外な事が書かれていました。(私以外は意外ではない事実?)わたし的には、明治神宮は何も無い原野に造られたと記憶していたからです。以前、NHKの自然番組で明治神宮の造営経緯もそう説明されていました。←私の記憶違い?
この説明では、間違いなく大名の加藤家、井伊家の下屋敷の庭園があったと記されています。何も無い原野に、明治神宮が造営された訳では無かったようです。明治天皇も生前訪れてこのような歌を詠まれているのですから、間違いないのです。
明治神宮の内苑の面積は70万平方メートルで、御苑が8万3千平方メートルと云うことは、1割以上は何も無い原野ではなく、整備された庭園があったと云う事になります。
NHKの自然番組でも、私の記憶では、間違いなく、何も無い原野に、明治神宮は造営されたと説明していました。まあ、何も無い原野が9割ですから、何も無かったでOK?
まあ、物語としては、何も無かった荒れ野に、全国から“献木”されたおよそ10万本で造り上げた人工林として、困難な大事業として、明治天皇の威光が、偉大さが、有り難みが、増すような気がします。
それで、中学の仲間と始めて参拝したあの頃、唯々、“お正月は明治神宮にみんなでお参り”とだけで、祀られている神様にはまったく関心はありませんでした。
明治神宮は明治天皇を神様として、お祀りしている事を知ったのは、いつの頃だったのか?
帝國憲法では天皇は神様でした。今では、統合の象徴で神様ではありません。いまは権威と権力は分離されています。
権威と権力を統合したほうが、国力は強化され秩序は安定し、国民は安心して暮らせる、と、考える方達が存在します。安倍首相の改憲の本音はそこにあり?まあ、そんな時代は明治憲法下の一時期だけでした。
現在、権威と権力の統合した代表国家は、あの中国と北朝鮮です。この二つの国は、やたらめったら、強国!強国!と叫ぶのです。
強い国になりたい願望が強いのです。確かに、侵略された経験のある国ですから、屈辱的経験がそう叫ばせる面は、それなりに理解できます。
しかし、特に習近平さんの中国ですが、経済、軍事で世界一の強国になると、最近叫んでいます。そんな中国像を世界はどう見ているのか、考えているの?
軍事や経済で一番になったとしても、たぶん、世界中の人々は、中国を尊敬したり、憧れたり、中国に住みたいとか、そんな想いを抱く人は、かなりの変わり者だけだと思います。
え~と、話しが、完全に逸れてしまいました。
兎に角、明治神宮を歩いています。
この先は次回。
それでは、また。