歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

そうなのか!?「明日の記憶」

2007年07月10日 | 映画の話し
「西武新宿線から東武東上線シリーズ」は今日はお休みします。突然ですが、映画の話しです。


「明日の記憶」を「先日」テレビで観ました。いつだったかハッキリ思い出せないのが怖いです。忘れないうちに感想を書く事にしました。

その日、ちょこっと覗く程度でチャンネルを合わせたのですか、徐々に引き込まれて行き、結局は最後まで観てしまいました。

感想を一言で云えば「そこそこ面白く良くできた作品」と云うことです。特に感動はしませんでしたし、涙も流しませんでした。

かなり、他人事のようにドラマの展開を眺めていたのです。病が進行する事により、夫婦の関係がどう変化していくのか、それを見届けたくて最後まで観てしまいました。

映画はやっぱり、何と云っても映画何ですね。主人公は大手広告代理店のやり手の営業部長、この設定で「まぁ。映画だから」と思いました。

そして、「えっ! それはないだろ!」と思ったのは、主人公が病名を医師から告げられ、自暴自棄になり病院の屋上から飛び降り自殺を図ろうとした時に、医師の説得した言葉です。

主人公が医師に向かって、

『所詮あんたにとっても他人事だろう・・・』と云ったことに対して、

『私の父もアルツハイマー何です』の言葉で自殺を思い留まるのです。

このシーンの緊迫したやりとりが、この言葉ひとつでぶち壊しです。それに、この医者何ですが、あまり医者らしく見えないのです。

それと、主人公の奥さんが、旦那が病気で会社を退職した後、家計を助ける為に働きに出るのですが、その働く先がお金持ちを相手にした高級輸入雑貨のお店です。

そして、一時、父親に対する反発から非行に走った娘が立ち直り、結婚をするのですが、その結婚相手が建築家なのです。

大手広告代理店、高級輸入雑貨のお店、娘の結婚相手は建築家、どうにも設定にリアリティーがないのです。

こういう設定でないと映画にならないのでしょうか? 主人公を演ずるのが「渡辺謙」で、その奥さんが「樋口可南子」だとこうなるのでしょうか?

この映画は、小説を読んで「感動」した渡辺謙が作者に手紙を書き、映画化の承諾を得たそうで、設定は小説によるものだと思います。

もし、主人公が中小企業のサラリーマンで、奥さんの働き先がスーパーのレジ係りで、娘の結婚相手がフリーターのコンビニの店員だったとしたら、小説にも、映画にもならないのでしょうか?

ハッキリと云えるのは、その設定では映画を作ろうと渡辺謙は思わなかったでしょう。

兎に角、「若年性アルツハイマー症」の理解はそれなりにできました。しかし、発症後の夫婦の葛藤は、「そうは旨くいかないだろう」と思うのです。

ネットで感想を見てみると、涙を流して感動された方が多いようでした。私もやっぱり「危ない」のでしょうか?

映画の中で、主人公がアルツハイマーの診断テストを受けるシーンがあるのですが、私も真剣になってやりました。かなり「危なかった」です。


「西武新宿線から西武池袋線シリーズ」は明日から再開です。


それでは、明日もよろしく。

コメント
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