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“大中華圏―ネットワーク型世界観から中国の本質に迫る”を読んで

今、安倍首相が率いる日本政府は、古い20世紀中頃の発想のまま“外交戦略”を築こうとしている。否、19世紀的発想に憑りつかれた日本特有の発想による“戦後レジームからの脱却”を目指して加速させようとしている。果たして、それで矛盾なく21世紀のこの世を切り抜けられるとは到底思えない。
私は、この動きは究極には米国依存からも脱却した自尊の“極東”地域に“覇権”を唱えることを目指したものだと推測している。それこそ、正しく“戦前レジームへの回帰”ではないかと思っている。その第一歩が“積極的平和主義”であり、その布石の一つとなるのが“秘密保護法”の制定であろう。そして、その“秘密保護法”を徹底するためには、それを取り締まる機関が必要となる。そうなると高等警察の設置へと進展していくのではないかと危惧される。

だが安全保障において“米国依存からの脱却”が可能であろうか。先ず その障害となるのが核兵器の所有であるが、核不拡散条約により、日本の核保持は禁止されている。ならば実質的保有を目指す方法もあり、それを夢想した政治家が居たのは事実だ。それにつながるのが原発の設置・維持であり、その廃棄物であるプルトニウムの大量保有である。原発(核)技術の維持には、国内での原発建設が困難であっても海外での建設が可能であれば、最新技術の開発も持続的に可能となる。そのために、安倍首相は前のめりで海外への原発セールスをやっていると推測される。

“戦後レジームからの脱却”というアナクロニズムを日本の右派は“麗しい国家観”と賛美している。それを安倍氏は“美しい国”と言っているのではないか。だが、そのような覇権主義的国家主義の発想が21世紀型の理念と言えるのであろうか。覇権主義は、その蔭に必ず犠牲となる人々を生む。これからの時代は、そういう狭い“正義”が“正義”として成立する社会ではない。世界の人々は、そういう覇権主義には“悪”のレッテルを貼り、攻撃するだろう。

否、国家主義的立場に立つのなら、もっと厳しく国際社会を見つめなおす必要がある。冷徹な国際社会にあっても、最早覇権主義は正義ではなくなりつつあり、新たに覇権を唱えることの現実味は乏しい。それは、米国の覇権が世界に遍く透徹しなくなってきている事実を見ても十分に理解できるはずだ。
さて、その日本を取り巻く国際社会は実際にどうなっているのか。日本は、地政学的に東に衰退のきざしの見える巨大帝国の米国と、西に新興勢力の代表格たる中華帝国に囲まれている。

ところが、米国については情報が得られ易いが、中華帝国については情報が乏しいのが現実ではないか。中国人が何を考え、日本にどのように対処してくるのか理解しないまま、その帝国と付き合わざるを得ない状態にあり、戸惑っているというのが現実ではないか。少なくとも、あの尖閣の領有権の正当性について、彼らにどのような議論があるのか、詳しく知っている日本人はどれほど居るのだろうか。
さて、前置きは長くなってしまったが そういった問題点を明らかにしてくれるのが、本書“大中華圏”であると言える。著者は、寺島実郎氏で著者の半生をかけて理解してきた“大中華圏”についての総括本ではないだろうか。もちろん、尖閣についても詳しく語られており、これほど客観的に解説された本を、私は知らない。日本には国際関係論の学者も多数居るはずだが、このように論じた本が出なかったのは不思議である。

この本の冒頭で夏目漱石が “大中華圏”を経由してロンドンに留学したエピソードを紹介している。そしてロンドンで書いた日記の一節を引用している。そこには明治の知性派の意識が滲み出ている。
“日本人を観て支那人といはれると厭がるは如何、支那人は日本人よりも遙かに名誉ある国民なり、ただ不幸にして目下不振の有様に沈淪せるなり。・・・・西洋人はややもすると御世辞に支那人は嫌だが日本人は好きだといふ。これを聞き嬉しがるは世話になった隣の悪口を面白いと思って自分方が景気がよいといふ御世辞を有難がる軽薄な根性なり。”
このような日本人の精神構造は、今もあるのは事実だろう。何を隠そう かくいう私もその一人だ。

次に、この本では“大中華圏”というものの視座を説明し、その構造を解説している。私がここまで“中華帝国”という呼称を用いたのも、この“大中華圏”を意識しての仮の呼称として使ったもので、“中華連邦”と呼ぶのも似つかわしくない。やはり“大中華圏”という呼称が、より正確にその存在を示していると言える。
つまり、寺島氏は中華人民共和国だけを見て中国だと思っていると間違うのであり、“実は中国は香港、シンガポール、台湾など中華圏の国々とネットワーク型発展の中にあって、それを凝縮して表現した言葉が「大中華圏」なのである。”と言っている。そして、“中華人民共和国を「陸の中国」と呼ぶなら、華僑・華人圏の香港、台湾、シンガポールは「海の中国」だと言える。実際に地形を見ると、香港の現在につながる繁栄は香港島という島から始まり、シンガポールは大三の島で構成されているものの、面積のほとんどはシンガポール島が占める。もちろん台湾も島である。華僑、華人圏の中核たる香港、シンガポール、台湾は「島」、つまり海の中国と言える。”と言い、“海の中国”を担う台湾を“スティルス国家”とし、シンガポールを“バーチャル国家”と称している発想は面白い。
また、寺島氏は、ロンドン→ドバイ→バンガロール→シンガポール→シドニーを結ぶ“ユニオンジャックの矢”に大中華圏のシンガポールが絡み、そのシンガポールの背景には香港、台湾、約5500万の海外の華僑さらには中国本体がネットワーク状に絡むのは興味深いとの地政学的見方を指摘している。

さらに、大中華圏の経済規模の説明となる。“中国(中華人民共和国)のGDPが日本のGDPを追い抜いてアメリカに次ぐ世界第2位になったという言い方をする。たとえば2011年で見ると、世界のGDPの8.4%を日本が占める一方、中国はすでに10.4%になっている。こうした文脈において、そこに香港、シンガポール、台湾を加えた大中華圏全体を見ると世界のGDPに占める割合は11.8%で、これはすでに日本の1.4倍の数字である。”と指摘し、その経済規模や活動の大きさを様々な数字で説明している。
そして、大中華圏が急速に発展した背景には、IT革命が書き言葉でコミュニケーション可能としたことが寄与しているとの解説。つまり電話のような話し言葉でのコミュニケーションでは域内で発音が異なる中華圏には不便で、イーメールのように文字を見てコミュニケーションできるようになったことは彼らには好都合だったというのだ。そもそも中華文明で表意文字の漢字が発達した理由はここにあり、それがヨーロッパと異なり巨大統一国家形成を可能とした背景がある。

次に、寺島氏は尖閣問題に向き合う。そして今日のトラブルを助長したのには、米国の責任は大きいと指摘していて、“尖閣問題は日米問題でもある”として、米国頼みの安全保障の危うさを強調している。しかも、日本政府は東西冷戦時代の覇権主義的見地から異様に米国への傾斜を深めており、そのことへの危惧も表明している。
つまり米国との沖縄返還協定(1971年)には、明確に尖閣を含むすべての島、小島、環礁及び岩礁を対象として日本に返還するとしていたにもかかわらず、“日本が施政権を持っていることは認めるものの、領有権についてはわからない”と中国に対し中立的立場を表明するのは、おかしいと言っている。恐らく  “そのときの大統領と議会、そして米国世論が動くべきだと判断”しなければ、米国が軍事行動を起こす保証はないだろう、と推測している。そして、自動的に米国が軍事行動を起こすことを期待して、オスプレイの配備に無条件に協力することへの懸念も表明している。このような米国の対応に“アメリカのアジア戦略の最大の狙いは、「アジアにおけるアメリカの影響力の最大化」だと言える”と断言し、そのために米国の立場を曖昧化して状況に応じて選択肢を限定しないようにしていると暗に言っている。
しかも、現実に中国と日本が尖閣で軍事衝突した場合の論理的シミュレーションを次のように提示している。恐らく日米安保条約に基づき、その第5条に基づく行動を開始するだろう。それは国連安保理事会に報告し、安保理事会が平和を回復するための措置をとった場合は双方の軍事行動は中止しなければならないこととなっている。ところが、安保理事会で中国は常任理事国だが、日本はそうではないため中国に不利な裁定が決議されたとしても、中国は拒否権を発動してそのまま曖昧になってしまう。つまり、尖閣は中国に占拠されたままになり、日本が取り返すための自衛軍事行動を取ろうとしてもそれが不可能になると、指摘しているのだ。論理的には そうなっていることを当然米国は狙っているとも言える状態だと指摘しているのだ。つまり、現状では日米安保条約も、国連も日本の尖閣防衛には阻害要因でしかないのだ。こんな重要なことを日本では誰も指摘していないのは、きわめて不思議な話だ。

また、尖閣諸島の歴史的な経緯を見る時、中国は明代から尖閣の領有は明らかだと主張する場合もあるようだが、明代以降 台湾をオランダが領有していたという歴史的事実がある。(この本の台湾史の記述にもある。)これに対して、当時の中国は無頓着であり、それを取り返したのは鄭成功(日中混血でハーフ)であったという面白い事実がある。それを鑑みると、この中国側の主張には合理性があるのだろうか。
また、寺島氏は、“中国側の主張が、1885年の下関条約を根拠にしている”が、もしそう主張するのならば“少なくとも1951年のサンフランシスコ講和条約から1972年の沖縄返還までの間に、「沖縄テリトリーに尖閣諸島が置かれるのはおかしい」と問題提起し、主張すべきだったはず”と言っている。しかも、“下関条約第2条により、日本が清国より割譲を受けた台湾と澎湖諸島には、尖閣諸島は含まれていない。”とも言っている。

さらについでだが、私もかねてから不思議だと思っていることも指摘している。それは、米国外交委員会、軍事委員会の委員長クラスの大物上院議員三人が、2011年から沖縄基地問題について、普天間基地を辺野古に移すということは現実的ではなく、たとえば嘉手納基地に統合するべきだとまで主張しているということだ。また、“フオーリン・アフェアーズ”誌を出している米外交問題評議会(CFR)の日本問題の専門家やワシントンの事情通は、日本政府は不思議にも、米国側から嘉手納統合案の動きがあるのに、それに乗って見直す流れをつくろうとせず、相変わらず、辺野古移転案を固持している、と言っている。米国は日本を相手にしていても始まらないからと、先行して沖縄基地をグアムに移転し始めることにした。そうしたら、必死になって出て行かないでくれと言っているのが日本側であり、現状固定化しか頭にない日本の外務、防衛官僚の罪深さがある、と寺島氏は指摘している。
私は、官僚よりも政治家の罪であり 深く巨大な政治的闇利権がここにあり、マスコミも沈黙しているのではないかと憶測している。この著者ですらそこまでは言及していない。

さてこれまでの中国をどのように総括するべきであろうか。著者の体験的総括に入って行く。
社会主義に疑問を抱く寺島氏には、反発があったとは言うものの、1970年代の日本の多くの学生は、“毛沢東思想や文化大革命というものに対しては、示唆的なものを感じていた” 。それは“知識人が現場を知らないで頭でっかちなまま、偉そうな顔をしてはいけない”という“下放”や、“組織が硬直化し、人民のために奉仕することを忘れてしまつた党官僚組織に自発的批判を促す”ための“自己批判”という言葉もあった。その革命的成果としての “はだしの医者”の存在には、あこがれがあった。“その徹底した実践を要求した文化大革命について、その実態がどうであったかは別にして、人民のために自分たちは服務するのだという考え方が中国に浸透していると盛んに”喧伝されていたが、それが意図的だとは知る由もなかった。
そうした過激な社会主義を標榜し、スターリン主義ソ連との対立も辞さない中国に、世界が警戒し門戸を閉ざした中にあって、“いかなる高級技術も自力で開発されるべきだ”とする“自力更生”を掲げ、核開発を完成したことにさえその“執念”に驚嘆した。中国は貧乏であっても、何か現代の主流文明へのアンチテーゼを光芒のように見ていたのである。
当時すでに“中国は張り子の虎だという議論があったが、虎のようにすごい国かもしれないという期待感と、それから現実に目の前にある「英雄」の万年筆のようにあまりに粗悪な製品との落差に戸惑いつつ、首を傾げながら「造反有理」*を見つめていたのが私の感覚であり、おそらく当時の普通の学生の感覚だったろうと思う。”と著者も言っている。

*造反、つまり上への反逆には道理があるという紅衛兵などの革命派のスローガンである。また、それを標榜した文化大革命は毛沢東の私的権力奪回闘争だった。(筆者注)

その後、小平による工業、農業、国防、科学技術の“四つの近代化”と“改革開放”が実施され、現在の中国政府はその延長線上にある。その結果、“中国を見つめてきた戦後世代の日本人としては、中国が挑戦しようとしていた創造的近代化の道を失ったことへの失望とともに、「やはり欧米模倣の近代化路線しかないのか」という安堵感のようなものが心をよぎり、結局、日本が進めていた戦後復興、成長、そしてグローバル経済への対応という路線の正当性に対する納得のような心理が深層に芽生えたとも言える”状態だと寺島氏は言うし、これに私も同感する。

だが、現代中華圏には大きな分断があるとの指摘をしている。それは、体制が異なり地理的にも海を隔てている台湾との分断であり、“新彊ウイグル自治区、チベット自治区などの西部の周辺地域とその他の地域の分断である。”しかし、次の分断は深刻である。本土中国の沿海部と内陸部、或いは経済的発展から取り残された人々との格差拡大による分断。この分断は特に現政権も神経を尖らせていて、“格差という現実の中で汚職や腐敗という問題が起こるから深刻なのである。不満が蓄積する中で、不正に対する怒りが爆発するのである。ささいな地域的問題をめぐって火がつくと、大きな暴動を誘発する危険がある。”と言っている。その結果、“中国が強大になってきただけでなく、統合の危機にぶつかり始めているということは間違いない。”と指摘している。

この辺りの記述から、中国が19世紀以降西欧列強に侵蝕され、文明的精神的に自信を失い、世界大戦をくぐり抜け共産主義革命を経てなお、悪しき儒教的忍従を革命によって振り払ったつもりだったが、マルクス主義の唯物史観の徹底が返って人々の互助連携の仁愛までをも捨て去ってしまい、人民は“砂の民”となって精神的にも彷徨っているという中国社会の実態を気付かせてくれている。
そして、現在の中国共産党はシンガポールのような統治方式を目指していると次のように指摘する。“(シンガポールのように)表面的に、建前としては民主化されたプロセスの中で長年にわたる一党支配を実現することこそが、ここで言うシンガポールモデルなのである。中国からすると、共産党一党支配を実質的には続けていながら民主化された中国というイメージをつくる方法論として、シンガポールモデルは参考に値するのである。”

さて、このような中国政府や“大中華圏”と日本はどのように付き合うべきか。否、その前に日本はそのアイデンティティを確立するべきだと著者は説いている。
ところが“多くの日本人は冷戦時代の思考様式から脱却できない中にある”が、こうした覇権主義的世界観から脱却しない限り、“日本は言うまでもなくアメリカについていくしかないという表層的な固定観念で思考停止となる。”と言う。
だが、現実は “覇権型世界観はすでに終わりを告げている。・・・まず経済的に相互依存が深まって、貿易や投資を通じて世界がまさに呼吸を一つにするくらいになっている。・・・いかなる国といえども自己完結できる国はないというのが、グローバル化時代の世界認識の基本なのである。”なので“現在は一極の覇権や多極化などという概念を通り越して、全員参加型秩序の時代だというところに結局は行き着く。”としている。
このような国際社会の中で“日本が発信すべき価値は、民主主義国家として、過去の反省と総括の中からつくり上げてきた戦後民主主義をもう一度踏み固め直すことである。・・・むしろ国権主義への誘惑を断って、あくまで民主主義国家として個人の自由と民主的な意思決定を大事にした考え方で進んでいくということにおいて、アジア太平洋の国々と相互信頼を築くことこそ大切であろう。”さらに、“近隣の国にはなめられてはならないといった次元の低いナショナリズムに酔いしれているときではない。より大きなナショナリズム、大きな愛国心をふくらませるときである。まずは常識に返って「独立国家に外国の軍隊が駐留し続けているのは不自然なことだ」という問題意識を静かに立てるべきである。そして、真の自主自尊に立った外交戦略を確立することをもって、近隣の国々とも向き合うべきである。”と自立を説く。
その自立には“21世紀型の世界秩序、全員参加型の時代には、冷戦型の極構造とは異なるビジョンと構想が求められる。多くの国が丸テーブルを囲む形で議論がなされる中で「筋の通った自己主張」、つまり正当性が必要になるのである。日本にも、二国間の同盟外交に過剰に依存する時代の「甘えの構造」を脱却する意思が求められるであろう。”と結論している。最後に“通商国家モデルは明らかに転機を迎えた。私たちはアジアのダイナミズムを吸収し、それとの相関の中で活力を維持する構想を再構築すべき局面にある。そのとき、大中華圏を冷徹に見すえる態度が大切になるのである。”と指摘して終わっている。

この本の独創的発想を通して、中国への認識がより一段と深くなった気がする。私は、一部の中国人が言い始めていると聞くように、現代の中華人民共和国は一旦地域ごとに分割され、その後 この本の指摘通りの大中華圏としてゆるやかなネットワーク統合の下にあるようになるのが自然な状態であろうと思っている。当然、そこに至るまでに壮大な混乱と闘争が生じるのは必至であろう。だが、それは壮大な生みの苦しみでもあるのだろう。そして“われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと”改めて思うのだ。“大中華圏”という巨大な社会が、ここまで悶え苦しんでいるのは、19~20世紀の植民地主義の結果なのだから。それにしても、彼らの日本への悪意は 分を超えているような気がするのだ。

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