The Rest Room of ISO Management
ISO休戦
2019年年末ご挨拶
例年のことだが、今回も気が付けば既に年末・正月休み。そこで、何らかのご挨拶を兼ねて決意表明としたい。
仕事で所属する環境マネジメント・システム審査機関の上部組織に動きがあり、その動きが外部に知れると、認証登録を辞退する組織が増えるのではないか、ということが年末に生じた。それが当面の組織存続の大問題として越年することになった。どうなることやら、これに私自身がどのように動き、対処するべきか、非常に悩ましい。
最近少々気になり始めているのは、“マルクス”だ。どうやらマクロ的には、世界の動向はマルクスの“予言”の通りのように見える。蘇る“亡霊のマルクス”は経済学的に、政治学的に、或いは哲学的に大いに人類史的な地球規模の課題なのかも知れない。
2020年の東京株式市場は、今の上昇基調が春先で崩れるようならば調整下落は夏季を底に上昇に転じると見られている。一方今の上昇基調が夏まで続くようならば、それを頂点に深い下落に陥り、翌年2021年まで調整は続くとされる。ところで、私が信念を持ってお勧めしない銘柄がある。それは国内では日産自動車であり、米国ではボーイングである。いずれもその社の体質に問題があり、極めて根深いものと見ている。
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京都七条・豊国廟、方広寺、豊国神社参拝して秀吉とその後を偲ぶ
京都七条で午後から審査だった。そこで午前は、七条の東、三十三間堂や国立博物館のさらに東の阿弥陀ヶ峰山頂にある、豊国廟つまり豊臣秀吉の墓を参ることにした。
寄る年波に、最近足腰と心肺が弱くなっているが、それでも何とか叱咤して、上り詰めて墓所に至る。だが、残念ながら振り返っても京都の町を一望することは出来ず、森の中にうずもれた感がある。今後のことを祈願。木立の向うを僅かに見える京都の町を見ながら、夫人“ねね”の高台寺を思い出す。豊臣家は東山一帯から伏見にかけてがお好みだったのだろうか。
麓に戻って、方広寺で梵鐘銘事件の梵鐘を見た。豊臣家滅亡の大事件のきっかけとなった梵鐘銘文そのものがあっさり見れるものとは思わなかった。隣接する豊国神社を参拝、さらに神社宝物館も観覧、秀吉のその後に思いを致した。
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大徳寺・黄梅院等拝観
12月初め京都に行く用があり、その日の午前中に、大徳寺 黄梅院の特別公開と紅葉を見に行った。地下鉄・北大路駅から西向きに歩いて約20分だった。
大徳寺は、室町時代を通じて興隆し、貴族・大名・商人・文化人など幅広い層の保護や支持を受けて栄え、一休宗純をはじめとする名僧を輩出。侘び茶を創始した村田珠光などが一休に参禅して以来、武野紹鴎・千利休・小堀遠州をはじめ多くの茶人が関係をもっている。このため京童歌では「大徳寺の茶面」と揶揄された。
黄梅院は織田信長が初の上洛時、父君を忍んで寄進したのがきっかけでその後豊臣秀吉、千利休、小早川隆景と有力者が寄進・支持した。
大徳寺内それぞれの寺院・塔頭での枯山水・石庭の競作が見られて面白い。大徳寺は室町時代を通じて興隆した寺院であることが分かった。また一つ京都を知った気持ちになって満足だった。未だ大徳寺の全容を見た訳でもないので、またいつかのお楽しみとしたい。
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京都文化博物館の“みんなのミュシャ展”を鑑賞して
さて先週末、“みんなのミュシャ展”が10月の開幕以来、来場者3万人を突破したと主催者が発表していた。私も先月、京都文化博物館で開催されているこの展覧会に出かけていた。
ミュシャは20世紀前半にパリで活躍したチェコ出身のグラフィックデザイナー、イラストレーター、画家。実は私はミュシャは知らなかったが、藤島武二をはじめ多くの日本人画家の心を惹きつけてきたようだ。特に、日本の漫画というより劇画界に与えた影響は大きく、そのため若い人の来場者も多かったようだ。パリの女優サラ・ベルナールのポスター画で有名になったが、ポスターの中央にモデルの顔、その周囲に円環を描いて、その円環モチーフから女性にまとわる衣の裾等で“Q”を形成する“Q方式”と呼ばれる様式を確立した。ポスター肖像ではあるが、そのモデル女性の目、視線は生きていてそれで全てを語っていると感じられる。また、ミュシャの作品は線画であるが、当時パリでは絵画は光を描く印象派の影響が残る時代に、日本の浮世絵のような線描イラストで新境地を開いた、と言えるのだろう。またそれだからこそ、日本人に強い共感を与えるのかも知れない。
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SDGsで徴用工問題を少し考える
SDGs(持続可能な開発目標Sustainable Development Goals)を御存知だろうか。今、巷では密かな嵐になっている。ISO9001や14001の認証登録以来の注目のようだ。だが、その実態を知る人は少ない。
“持続可能な開発目標(SDGs)とは,2015年9月の国連サミットで採択された「持続可能な開発のための2030アジェンダ」にて記載された2016年から2030年までの国際目標だ。持続可能な世界を実現するための17のゴール・169のターゲットから構成され,地球上の誰一人として取り残さないことを誓っている。SDGsは発展途上国のみならず,先進国自身が取り組むユニバーサル(普遍的)なものである。”
先々週MBSの“映像‘19”で、“ぶつかりあう日韓~徴用工裁判の核心~”をやっていた。“徴用工問題”はSDGsの基本理念“地球上の誰一人として取り残さないこと”に悖ることはあるまいか!とハッとさせられたのだ。そして今、外国人労働者を日本の生産現場に活用する方向だが、戦前のデジャブとならぬことを祈りたい。世界の潮流は、冷戦後ヨーロッパ先進国に対する過去の植民地主義の清算の嵐だという。ドイツは過去のアフリカの植民地に対し全面的に謝罪したという。SDGsは単なるファッションにするのではなく、人類が真面目に取り組むべき課題であることは間違いない。“正義”の基準はここにあると言っても過言ではあるまい。
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