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ISO休戦
本郷和人・著“「失敗」の日本史”を読んで
今回は本郷和人・著“「失敗」の日本史”の読後感想としたい。誰が失敗したのか、それはどういう影響を後世に与えたのかなど、あまり詮索せず当事者の身になって考えるというよりも思って、見るのも面白いではないか。というのと、本郷先生は何を日本史上の失敗と見ているのかを見てみるのも面白い、てな訳で取り上げて読んでみた訳だ。
“はじめに”で、“戦後の歴史学は唯物史観の影響を受けていた。そのため「歴史にもしもはない」というのが常識であり、歴史学はそうしたことを考える必要はないのだ”、つまり“(時代ごとの)生産構造は人間一人の判断や努力では簡単に変えられないものであるから、生産構造を基礎とする上部の変遷は「もしも」では本質的には変化しない”という考え方が主流だったが、歴史の大枠ではそうでも“上部構造内部での置換”あるいは小さな変化はありうるのではないか、と著者は書いている。
当然のことだが日本史上様々な失敗があるのだが、歴史上重要で大きな失敗は、私は元寇と、豊臣政権の簒奪の芽を摘まなかったことではあるまいか、と思っている。だからここでは、この2点に限って取り上げたい。 . . . 本文を読む
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宮城谷昌光・著“長城のかげ”(文庫本)を読んで
このブログへの投稿ネタが無い!読後感想しかない!何を読むか?お気楽に小説でも?そうだ、久々に宮城谷昌光氏を取り上げようと、読んだのがこの本。短編集だったとは知らなかったが、劉邦という古代の雄大な人物の“影”の周辺の英雄譚だった。
その内の『逃げる』は、項羽の忠良なる将・季布の敗残から逃亡の果ての話。捕らえられた季布に劉邦は、最期に項羽は何と言っていたか尋ねた。季布はそれをいなして“江水がみたい、と仰せになりました。”と誤魔化した。ところが劉邦は“汝は旧主おもいよな。逃げるといったのであろう。”とズバリ言い当ててみせた。そして劉邦は続けて項羽を鮮やかに総括してみせている。劉邦の性格や人となり、全人格をここまで作家は読み切って、このような台詞を吐かせるのか・・・・。この作家の想像力・表現力は凄い。この感動で、さらにもっと読み繋ぎたくなったのだ。面目躍如である。
実は、この作家には『劉邦』という長編がある。残念ながら長編は手に負えぬと怯えて、私はこれを未だ読んでいない。この書評によれば、作家はこれら短編を書きあげてから、この長編を著作したという。それを知ってホッと一安心した。それならば、この長編『劉邦』をゆっくりと今後の楽しみとしたい。 . . . 本文を読む
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加藤陽子・著“戦争の日本近現代史”を読んで
今回は加藤陽子・著“戦争の日本近現代史”を読んだので紹介したい。8月15日は終戦記念日。少し以前だと、例年TV番組は終戦記念日特集を組んだり、映画もそれに関連したものを放映したりしていたが、最近はそういうことをしなくなった。今年は関東大震災100年だった。だが私個人としては、あの戦争を最早不問に付したり、無視することは少し憚れる気がする。そこで、“日本はなぜ太平洋戦争に突入していったのか”という疑問に少しでも回答を得られるような本を得たいと、この本を取り上げた次第だ。
この本の第1講では“歴史に埋没した「問い」を発掘するためには、精力的な資料発掘と、それを精緻に読み込む努力が絶対に必要”と述べている。そして、E.H.カーを引用して“歴史を動かす深部の力について、史料を用いて考えなければならないのが、歴史の研究である”とも述べていて、この本への期待を煽っている。
しかし、残念ながらこの本には、これが日米開戦の重要な鍵・分水嶺だった、という指摘はない。何だか史実を積み上げて、御存知の結果となったと暗黙の内に言って、終わっているという期待外れの内容だったのだ。 . . . 本文を読む
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23年8月に鑑賞した映画の紹介―少々食傷の“名探偵ポアロ”
今回は月初めなので、先月見た映画の紹介で、先月は合計34本、BSシネマが14本、レンタルビデオが20本。レンタルビデオの全てが“名探偵ポアロ”であった。ソース構成は単純になっている。未だ、ネット経由のソースが決まっていない。検討中としかいいようがないが、実は検討もしていない。実は何だか真剣にやる気が湧いてこない。
レンタルビデオの全てが“名探偵ポアロ”で、その20本の紹介となっている。だが実を言うと、このところの“ポアロ殺人事件”には何故か馴染めていない。だから見たいというより、ここまで来て途中でケツを割る罪悪感で、残念ながら義務に駆られて見ている傾向にある。まぁこのシリーズの終わるもう少しの辛抱であろうか。特に第42話の“ポアロのクリスマス”以降の1時間40分以上の長編にとりかかるようになってから、登場人物が多くなったり、そんなこと起キヒンヤロと思えるようなストーリーが多くなってきているのも原因であろうか。 . . . 本文を読む
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