半谷範一の「オレは大したことない奴」日記

B級自動車ライターのカオスな日常

初めて国際大会で金メダルを獲ったときの話。2003年MLAIC環太平洋選手権 ブリストル大会

2021-07-29 19:00:00 | 前装銃射撃、古式銃
スミマセン!。この話題、 “ つづく ” と書いておきながら、1年以上経ってしまいました!!。というわけで、今回は2002年の世界選手権イタリア大会の話の続きです。



2002年の世界選手権での惨敗は想定内だったものの、やはり15歳の頃から競技選手を続けてきた身としては、正直悔しい気持ちもありました。やっぱり参加するからにはメダル・・・・・・はまぁ無理だとしても、入賞を狙える程度にはなりたいよなぁ。そこで考えたのは、銃のセッティングや装備を完全にMLAICの国際ルール仕様に改め、勝てそうな種目にだけ集中すること(笑)。海外との圧倒的なレベルの差を見せつけられてしまってからは、国内大会はもうどうでも良くなりました。

翌2003年、アメリカのインディアナ州ブリストルにあるチーフ・ワカデ射撃場で開催されたMLAICパシフィック・ゾーン・チャンピオンシップ(環太平洋選手権)は、私にとって世界選手権でリベンジするための前哨戦ともいえる大切な大会でした。参加選手はわずか123名(世界選手権の1/6程度)なので、これでメダルが取れなければ、世界選手権で上位に入ることなど到底不可能です。




私が勝負を掛けたのはこの年に追加された新種目、TANZUTSU。新種目なら、まだ選手層も薄くてチャンスがありそうすからね。一応他の種目にもエントリーはしたけれど、試合の雰囲気に慣れる程度の気持ちしかなく、シューティング・ジャケットすら持って行きませんでした。射撃場はキャンプベリーほどではないものの、ご覧のように日本の射撃場とは比べ物にならない程広く、全景は1枚の写真には収まりません。バッフルはもちろん、バックストップすらありませんでした!。








で、肝心の結果はどうだったのか?というと・・・・・・目標のTANZUTSUでは予想以上の結果で金メダルを獲得。さらに、全く期待していなかったHIZADAIでも金メダルが転がり込んできた他、団体でも銀が一つ、個人でも1種目入賞という望外の結果を残すことが出来ました。まさかの新記録も出すことが出来たし、セッティングの方向性も間違っていなかったことが確認できたし、私にとっては本当に有意義な大会だったなぁ。




もちろん海外のトップクラスの選手と情報交換が出来たことも大きな収獲でしたよ。この方は2001年の環太平洋選手権以来ずっと仲良くしていたUSAチームのジョン・マリアー二選手。ニューヨークの弁護士さんで、この大会にもコーチと一緒に来ていました。実は彼は翌年の世界選手権で金メダルを獲得することになるのですが、お互いこの時にはそんなことは知る由もなく、世界選手権での再開を約束して別れました。



その後の1年間、私はスモール・ボア・ライフル射撃等のISSF種目の方はほとんどお休みし、入念な準備をして世界選手権に臨んだいのですが・・・・・・その話はいずれまた。

( つづく )

■参考
1999年 環太平洋選手権 アメリカ ハワイ州 ヒロ

2000年 世界選手権 オーストラリア 南オーストラリア州 アデレード

2001年 環太平洋選手権 アメリカ オハイオ州 キャンプペリー

2002年 世界選手権 イタリア トスカーナ州 ルッカ

2009年 環太平洋選手権 カナダ オンタリオ州 バリー その0その1その2その3その4その5

2011年 環太平洋選手権 アメリカ バージニア州 ウィンチェスター その1、 その2、 その3、 その4、 その5、 その6、 その7、 その8

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