投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2009年 2月17日(火)00時50分33秒
>筆綾丸さん
簡単な話のようにみえて、何か変な感じがするでしょう。これ。
実は私、『「いのち」と帝国日本』の宣伝文に出てくる「『生』の実相に徹底的に寄り添う」といった類の表現が非常に気持ち悪くて、「寄り添う」ことが歴史学者の仕事なのだろうか、そもそも「寄り添う」ことなど歴史学者にできるのだろうか、という疑問をかねてから感じていたんですね。
そこで、小松裕氏は、本人の主観的な意図はともかく、実際には全然、「『生』の実相」に「寄り添」ってなんかいないんじゃないの、という批判の一例として水野福子を検討してみようかな、と思ったのですが、実は私も少し困っております。
というのは、水野福子の話が「その4」までで終わっていたら、私も一応の見解を書くつもりで仮説を用意していたのですが、実は少し離れた場所にまだ続きがあったんですね。
そして、その続きの部分は、私の仮説とあまりしっくりこないのです。
その続きを紹介しないと不親切かつ不誠実なので後で載せますが、今日はちょっと疲れたので早めに寝ます。
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帝国日本の陰で、懸命に生きた人びとの姿。
日清戦争に始まり、10年ごとに繰り返された対外戦争で失われた無数のいのち。帝国日本の発展の陰で犠牲にされたこうした人びとの「生」の実相に徹底的に寄り添うことで、国益や国家目的の名の下に、人びとのいのちに序列をつけ、一方は優遇し一方は抹殺するという、いのちを選別し、管理し、支配し、動員してきた国家の実態をあぶり出す。さらには、この時代の「いのちを生き抜いた」人びとの言葉に耳をかたむけ、具体的には、兵士が見た戦争像や米騒動の実態、アジア諸国の人びととの関係、つまり戦争・デモクラシー・アジアの三つの視角から新たな近代史像を掘り起こし、いのちの基盤が弱まりつつある現在社会を考える手だてとする。
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http://skygarden.shogakukan.co.jp/skygarden/owa/sol_detail?isbn=9784096221143
>筆綾丸さん
簡単な話のようにみえて、何か変な感じがするでしょう。これ。
実は私、『「いのち」と帝国日本』の宣伝文に出てくる「『生』の実相に徹底的に寄り添う」といった類の表現が非常に気持ち悪くて、「寄り添う」ことが歴史学者の仕事なのだろうか、そもそも「寄り添う」ことなど歴史学者にできるのだろうか、という疑問をかねてから感じていたんですね。
そこで、小松裕氏は、本人の主観的な意図はともかく、実際には全然、「『生』の実相」に「寄り添」ってなんかいないんじゃないの、という批判の一例として水野福子を検討してみようかな、と思ったのですが、実は私も少し困っております。
というのは、水野福子の話が「その4」までで終わっていたら、私も一応の見解を書くつもりで仮説を用意していたのですが、実は少し離れた場所にまだ続きがあったんですね。
そして、その続きの部分は、私の仮説とあまりしっくりこないのです。
その続きを紹介しないと不親切かつ不誠実なので後で載せますが、今日はちょっと疲れたので早めに寝ます。
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帝国日本の陰で、懸命に生きた人びとの姿。
日清戦争に始まり、10年ごとに繰り返された対外戦争で失われた無数のいのち。帝国日本の発展の陰で犠牲にされたこうした人びとの「生」の実相に徹底的に寄り添うことで、国益や国家目的の名の下に、人びとのいのちに序列をつけ、一方は優遇し一方は抹殺するという、いのちを選別し、管理し、支配し、動員してきた国家の実態をあぶり出す。さらには、この時代の「いのちを生き抜いた」人びとの言葉に耳をかたむけ、具体的には、兵士が見た戦争像や米騒動の実態、アジア諸国の人びととの関係、つまり戦争・デモクラシー・アジアの三つの視角から新たな近代史像を掘り起こし、いのちの基盤が弱まりつつある現在社会を考える手だてとする。
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http://skygarden.shogakukan.co.jp/skygarden/owa/sol_detail?isbn=9784096221143