学問空間

「『増鏡』を読む会」、第9回は2月22日(土)、テーマは「上西門院とその周辺」です。

Memento mori

2009-02-28 | 小松裕『「いのち」と帝国日本』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2009年 2月28日(土)15時05分9秒

小松裕著『「いのち」と帝国日本』の「おわりに」から少し引用します。(p350以下)

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いのちを生きぬいた人びと

 私が本巻でとりあげた「いのち」の序列化に身をもってあらがった人物は、これまでの通史にはほとんどとりあげられなかった「無名」の人びとが多い。だが、あらためて確認するまでもなく、彼ら/彼女ら、もしくはそのようなくくり方になじまない人々こそが、歴史を、社会を支えてきた主体にほかならない(たとえば二〇〇〇人に一人の割合といわれるインターセックス[半陰陽]の人びとである)。
 そういった人びとを「無名」のままにしてきたのは、資料的な制約も大きいが、私たち歴史を研究するものの責任にほかならない。それは、これまでの「歴史」が、あまりにも政治史や経済史中心、そして男性中心的でありすぎたからである。
(中略)
 私たちは、藤本としや杉谷つも、金子文子などのように、歴史を生きた人びとが、どのように過酷な環境にあっても、楽しみや喜びを求め、精一杯いのちを輝かして生きぬこうとしてきたという、ごく当然のことを忘れてはならない。おそらくは、日々のそうした姿勢こそが、社会的矛盾に目を開かせる契機となるのである。
 戦争による犠牲者も、公害やコレラ・結核などの感染症による犠牲者も、帝国日本に抗して斃(たお)れていった人びとも、すべては田中正造が指摘した「非命(ひめい)の死者」にほかならない。いま私たちに必要なのは、アジアの人びとを含め、帝国日本の発展の陰に犠牲になった無数の「非命の死者」のいのちの叫びに耳を傾けることではないだろうか。
 私たちに、現在までに二万五〇〇〇人近い人びとがハンセン病療養所のなかで亡くなっている事実が見えているだろうか。薬害C型肝炎にみられるように、薬害問題も跡を絶たない。また、一九八九年以来、この国では一〇年連続で年間三万人以上の自死者を出している。人口三万人の市がまるごと消えつづけていることの異常さが最大の政治課題にならないのはなぜだろうか。この国の、いのちが喪われることへの鈍感さは、いまも変わっていない。
 これ以上「非命の死者」を生み出さないために、私たちは、あらためて歴史を学ぶ必要があるだろう。
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いろいろ疑問を感じますね。
「無名」の人々が本当に歴史を支えてきた主体なのか。
「インターセックス[半陰陽]の人びと」が歴史を支える主体として活動した事例が何かあるのか。
自殺者を出さないことを「最大の政治課題」にしろ、という発想は「異常」ではないのか。
「いのちの叫びに耳を傾ける」ことが歴史学者の役割なのか。
「非命の死者」を生み出さないことが、歴史研究の目的なのか。

私には、小松裕氏は「いのち」というより死者に取り憑かれた人のように思えますね。
「いつでもどこでも死を思え」と脅迫するのが歴史学者の仕事なんですかね。
まあ、こういう思想の人が歴史学者として通史を描くようになったのも、ごく最近の極めて歴史的な現象ではあります。
少し前まではマルクス主義の歴史学者も政治史や経済史を大切にして通史を描いてきたはずですが、今や、政治や経済を所与の前提として、時代の流れの中で右往左往する「無名」の人びとの個別エピソードを並べることをもって歴史学者の役割と考える人が、小学館のような一流出版社、もとい、それなりの出版社から通史を出すようになってしまった訳ですね。

『「いのち」と帝国日本』を最後まで読んで感じたのは、「いのち」に序列はないとしても、知性には序列があるなあ、という当たり前の事実です。
通史は政治史や経済史のしっかりした研究実績を持った優秀な研究者に書いてほしいですね。

Memento mori
http://en.wikipedia.org/wiki/Memento_mori
コメント
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