学問空間

「『増鏡』を読む会」、第9回は2月22日(土)、テーマは「上西門院とその周辺」です。

天皇生前退位を認めない理由(法制局「皇室典範案に関する想定問答」より)

2016-08-02 | 天皇生前退位
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 8月 2日(火)22時30分53秒

芦部信喜・高見勝利編『日本立法資料全集1 皇室典範』(信山社、1990)はそれほど入手しやすい本でもないので、ついでに法制局の想定問答集の第四条(「天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する。」)に関係する部分も引用しておきませう。(p195)
旧字体は適宜新字体に直してあります。

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(四)第四条関係

問 「天皇が崩じた」といふ敬語を特に使つた理由如何。

答 天皇に関係ある事項について、それに相当なる文字を以てすることは別段支障はない。典範案にを〔お〕いても既に象徴たる天皇及びその御近親の皇族に対し敬称の規定も設〔け〕てゐる。

問 「直ちに」の意味如何。

答 間髪を入れずの意である。国会の承認その他何等の特別の儀式を必要としない。つまり、時間的の意味の外、いはば無原因といふ意味もある。いはゆる「キングは死せず」の思想とも通ずる。

問 「即位」とは如何。

答 皇位を継承することである。践祚と同じ意味である。即位の礼とは別である。又「在位」といふ継続的状態とも異なる。

問 天皇生前退位を認めない理由如何。

答 退位を認めるとすれば歴史上に見るが如き上皇、法皇的存在の弊を醸す虞があるのみならず、必しも天皇の自由意思に基かぬ退位が強制されることも考へられる。又退位が、国会の承認を経ることにしても、天皇の地位にある方が、その立場の自覚を欠いて、軽々に退位を発意され得ることにすることも面白からぬことである。要するに天皇の地位を政争や(権勢の争や)恣意或は人気の如きものから超越したものとして純粋に安定させるためには退位の制を認めないことにするのがよいと考へる。天皇に重大な故障があるといふ場合には、摂政をおくことによつて凡て解決できる。なほ、天皇の地位が統治権の統〔総〕攬者から、象徴に移つたことも、退位の必要性を減ずるものである。(将来野心のある天皇が現はれて、退位して后〔後〕例へば内閣総理大臣となり政治上の実権を壟断することも予想できぬことでなく、かよ〔や〕うな例について考へれば、天皇の生前退位を認めることは、かへつて改正憲法第四条第一項后〔後〕段の趣旨を骨抜きにするおそれがある。

問 「天皇が崩じた」といふ場合に失踪宣告は入るか。

答 入ると解する。
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「天皇の自由意思に基かぬ退位が強制される」とか「天皇の地位にある方が、その立場の自覚を欠いて、軽々に退位を発意」とか、はたまた「野心のある天皇」が退位後に「内閣総理大臣となり政治上の実権を壟断」するとか、更には「失踪宣告」を受けるとか、まあ、法制局もずいぶんと生々しいケースをいくつも想定していた訳ですね。
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皇室典範第21条の立法趣旨

2016-08-02 | 天皇生前退位
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 8月 2日(火)20時52分12秒

>筆綾丸さん
皇室典範の帝国議会における審議に先立って、法制局(内閣法制局の前身)が想定問答集を作成していますが、これを見ると、第21条(「摂政は、その在任中、訴追されない。但し、これがため、訴追の権利は、害されない。」)については、

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問 本条の意味如何。

答 摂政の地位にある間は或程度の不可侵権を認めるものである。就任前の行為、在任中の行為について、在任中訴追を許さない。退位後の訴追を免れ得ない、又、公訴時効は在任中進行を停止するものと考へる。(改正憲法七五参照)

問 天皇無答責の規定がないから、不権衡ではないか。

答 天皇は象徴たる以上当然無答責であり、これを規定することが国民政〔性〕情にも合致しないから明文を置かないのだが、摂政にはさよ〔や〕うな事情がないから、規定を必要とする。しかもこの規定は、憲法七五と相俟つて、逆に天皇無答責を勿論解釈せしめる。
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となっていますね。(『日本立法資料全集1 皇室典範』、信山社、1990、p207)
ちなみに憲法75条は「国務大臣は、その在任中、内閣総理大臣の同意がなければ、訴追されない。但し、これがため、訴追の権利は害されない。」というものです。
「訴追」ですので、これは刑事責任の話ですが、天皇・摂政以外の皇族については特別な規定はなく、一般人と同様に刑事責任を負うことになりますね。
また、民事責任については条文上の手掛りが全くありませんが、最高裁判所は天皇の象徴たる地位から、天皇には民事裁判権は及ばないものと判断しています。(最高裁判所第二小法廷、平成元年11月20日)

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天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であることにかんがみ、天皇には民事裁判権が及ばないものと解するのが相当である。したがって、訴状において天皇を被告とする訴えについては、その訴状を却下すべきものであるが、本件訴えを不適法として却下した第一審判決を維持した原判決は、これを違法として破棄するまでもない。


天皇を除く皇族は「象徴」ではなく、特別な規定もないので、一般人と同様に民事責任を負うことになりますね。
現在の皇室典範の規定は、皇族について冷たいというか、けっこうサバサバした扱いになっていますね。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

摂政について 2016/08/02(火) 16:21:41
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S22/S22HO003.html

新旧の皇室典範を読み比べてみました。
旧皇室典範の「第十章 皇族訴訟及懲戒」に相当する条文のない現皇室典範の趣旨は、皇族にも国民と同じ民法(民事訴訟法)が適用される、ということなのでしょうが、奇異な印象を受けるのは、旧皇室典範にはなくて皇室典範だけにある第21条であって、なぜ、こんな条文があるのか、わかりません。皇室典範の概説書を繙けば済むのでしょうが、読めば読むほど変な規定で、この条文の立法趣旨は一体何なのだろう、と思いました。

第21条
「摂政は、その在任中、訴追されない。但し、これがため、訴追の権利は、害されない。」

私は、摂政就任は「皇統に属する男系の男子」以外不可、と漠然と考えていたのですが、新旧皇室典範とも、「成年に達した皇族」であれば、女性の摂政就任も可なのですね。
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「政治的美称」

2016-08-02 | 天皇生前退位
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 8月 2日(火)10時04分0秒

>キラーカーンさん
>「掲示板運営上、論者間の見解の相違を明らかにすることが必要である」ということであれば、

私も前世紀末から数々の掲示板でバトルを眺めたり、ちょこっと参加したりしてみたりした結果、ネットでの「論争」は大半が空しいものだと思っています。
私のこの掲示板での基本的なスタンスは、自分の勉強のために読んだ資料を備忘のために抜き書きし、併せて自分の考えを暫定的に纏めておく、というだけのことで、実際には読者のことはあまり意識していません。
ただ、今回はキラーカーンさんが随分古めかしい議論をしているように思えて、若干感じの悪い書き方をしてしまいましたが、補足のご説明を読んでみれば、キラーカーンさんが現在の憲法学の水準を充分押さえた上で議論されていることは理解しました。

>私は「形式的には憲法改正限界説、実質的に無限界説」

これは私も同じです。
「憲法改正限界説」は「政治的美称」かもしれないですね。

>小太郎さんのように歴史学が専攻であれば、

いえいえ。
私はけっこう歴史学の論文は読んでいますが、歴史学者ではなく、強いて言えば「歴史学者評論家」です。
あと数年勉強すれば「憲法学者評論家」にもなれそうですが、いずれも市場がないので職業としては成立しそうにありません。

>譲位を認めることは、この「天皇=皇室の長」という日本国憲法を日本国憲法たらしめている暗黙の前提を否定する「破壊力」を持つ可能性を秘めている

現在の皇室典範は明治憲法下の旧皇室典範とは形式的にも連続性がありませんが、生前譲位を認めない点については、旧皇室典範第10条の「天皇崩スルトキハ皇嗣即チ踐祚シ祖宗ノ神器ヲ承ク」を実質的に承継していますね。
生前譲位の問題は、近代天皇制への挑戦となる可能性はありそうですね。
取りあえずは8月8日頃の報道を待って、何か面白そうな論点が出てくれば、改めて論じたいと思います。

旧皇室典範

>筆綾丸さん
>高齢を加えて

公務のご負担が大変、ということであれば、それが一番シンプルで無理のない解決策ですが、どうもそれでは足りないと思っている人も多そうですね。

※キラーカーンさんと筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

補足 2016/07/31(日) 02:11:51(キラーカーンさん)
>>亀レスですが(以下略)

前世紀末から、掲示板での「泥沼の議論」とそれに伴う「掲示板の荒れ」を見てきた私にとって
別に、小太郎さんと真剣勝負(対決)をしたいというわけではありませんが、

「掲示板運営上、論者間の見解の相違を明らかにすることが必要である」

ということであれば、少々お付き合いします。
実際、小太郎さんのレスを見て、自分の投稿を読み返したら、
「尻切れトンボ」感がありましたので、補足の必要性を認めていたところなので。
(他の掲示板で、同趣旨の投稿をしたことがあるので、無意識のうちに端折った部分があります)

象徴天皇制の改正

私は「国民の総意」というのは「政治的美称」と捉えていますので、
そこに、実質的な意味を見出すべきではないという見解です。

さらにいえば、私は「形式的には憲法改正限界説、実質的に無限解説」という立場なので、
(国民投票で「主権者の意思」が明らかになれば、それに従うべきであり、その時点で、
 「憲法改正限界を超えているので無効」といっても、「是非に及ばず」という状況です
 ド・ゴール時代の仏国でもそのような「憲法違反の手続による改憲」がなされています)

私の「象徴天皇制と憲法改正限界」や「実質的憲法改正無限界説」は
芦部氏が著書の『憲法改正権力』で

保守的な改憲論を封じるために「憲法改正の限界」に関する議論を活用しなければならない

という我妻氏の所論を好意的に引用した芦部氏(ひいては憲法学会)への
「意趣返し」あるいは「反発」の影響があることは認めますが。

ということで、「天皇制廃止」が現行憲法改正手続で認められれば「追認」せざるを得ないですが・・

>>治天問題

私は、「治天」を「皇室の長」という意味で使用していますが、小太郎さんのように歴史学が
専攻であれば、しかも、院政が現実のものとして存在していた中世史であれば、「治天」という
語に、私の理解を超えた何らかの意味があるのかもしれませんので、その点で、小太郎さんを
混乱させたのであればお詫びします。

で、憲法上、「治天」を論ずる意味がないのは、小太郎さんのご指摘のとおりです。だとすれば

天皇≒治天(皇室の長)

とするのも現行憲法上問題ないということです。
(天皇と皇室の長との関係について、日本国憲法は何の言及もしていない)
さらに言えば

憲法上に規定のある「皇位」は女系継承も可
憲法上に規定のない「皇室の長」は男系継承に限る



皇位は皇太子殿下に譲る(以後、愛子内親王の子孫が皇位を継承し国事行為を行う)
皇室の長は秋篠宮に譲る(以後、悠仁親王の子孫が皇室の長を継承し宮中祭祀を行う)

ということも「憲法上」は許容されます。
昭和天皇の大喪の礼のときも、政府行事と皇室行事は区別して行われていました。
(つまり、そのような規定を皇室典範に盛り込んでも、憲法上何の問題も生じない
 もっと言えば、皇室の長の継承について皇室典範で規定せず、「皇室の内規」であっても
 憲法上問題はない。宮中祭祀や皇室行事としての「大喪の礼」について、憲法は関知しない)

といってはみたものの、果たして、本当にそうなのか、文言上はそうだとしても
憲法解釈上、そのようなことが「憲法習律」として許されるのか
あるいは、「国体」の議論として許されるのか
ということは、日本国憲法に規定する象徴天皇制の「(歴史的)正統性」へ波及し、ひいては

日本国憲法に対する正統性

にも影響を与えると考えているからです。」
さらに言えば、日本国憲法は

天皇=皇室の長

という等式を無意識のうちに前提としており、譲位を認めることは、この「天皇=皇室の長」
という日本国憲法を日本国憲法たらしめている暗黙の前提を否定する「破壊力」を持つ可能性を
秘めていると私は見ています。

この観点から、「皇室の長」と天皇の地位とを分離することの是非は
「憲法学上」論ずる意味はあると思っています。
おそらく、今回の「譲位」問題についても、

譲位に付随して皇室の長たる地位も譲られる

と判断している方が多いとは思いますが、そんなことは

憲法上何の保証もない(みんなが「そう思い込んでいるだけ」)

ということです。
当今と上皇が並立した場合、しかも、上皇が健在で当今の父である場合、どちらが、
真の「皇室の長」なのか、という「正統性の核」がぼやける可能性があるということです
そして、「一皇族」である上皇は、憲法上「憲法尊重義務」を科されません。

逆に譲位ではなく摂政設置であれば、その問題は発生しません。

これが「取り越し苦労」や単なる「思考実験で」終われば、それでよいのですが・・・

ターミノロジー 2016/07/31(日) 21:27:34(筆綾丸さん)
キラーカーンさん
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%BB%E5%A4%A9%E3%81%AE%E5%90%9B
治天は中世の歴史学におけるターミノロジーであり、アタヴィスムのように現代に蘇らせる必然はなくて、夙に滅び去った死語のひとつと考えるべきで、また、皇位と家督を分離する発想は日本の歴史の亡霊に囚われすぎているように思われます。

皇室典範第16条2項
「天皇が、精神若しくは身体の重患又は重大な事故により、国事に関する行為をみずからすることができないときは、皇室会議の議により、摂政を置く。」
に、高齢を加えて(「又は」の使い方がこれでいいのか、不明ですが)、
「天皇が、精神若しくは身体の重患により、又は重大な事故により、又は高齢により、国事に関する行為をみずからすることができないときは、皇室会議の議により、摂政を置く。 」
と改正するのが、浅知恵の弥縫策ながら、 いちばん現実的であるような気がします。
それはともかく、8月8日のご発言には注意したいですね。

http://www.chuko.co.jp/shinsho/2016/07/102384.html
--------------
 だがこれをもって「コンピュータが人間より頭がよくなった」と見なすのは、あまりに妙な話ではないか。ディープブルーにせよ、ボンクラーズにせよ、アルファ碁にせよ、人間のチームが膨大な棋譜をメモリーに記憶させ、難しいプログラムを研究開発してようやく作り上げた機械だ。コンピュータが自分でシステムを構築したわけではない。だから、勝ったのはシステム構築をおこなった秀才たちであり、彼らが集まって高性能機械を駆使し、天才棋士に勝ったというだけの話である。それに、コンピュータの処理速度や記憶容量はどんどん増していくから、ちょっと意地悪く言えば、年々強くなるのは当たり前だという見方もできる。むろん、システム構築においてはさまざまな凝った工夫がなされているだろうし、その努力の大きさには頭が下がるが、まあヒマ人の道楽にすぎない。(西垣通氏『ビッグデータと人工知能』50頁)
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西垣氏はゲームソフトの開発者がお嫌いのようですが、チェスも将棋も囲碁も、約めて言えば、ヒマ人の道楽ではないか、という気がしないでもありません。もっと言ってしまえば、大半の学問もまた。
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