投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 8月18日(木)11時45分49秒
瀧井一博氏の『明治国家をつくった人びと』、まだ途中ですが、玉虫左太夫や村垣範正など、それほどメジャーでもない人々の見聞録にけっこう面白い記述が多いですね。
それと、箕作麟祥に関する部分に磯部四郎が登場してきたので、あらら、と思いました。(p112以下)
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旧民法の廃棄と明治民法の成立は、ボワソナードの悲劇としてしばしば語られる(大久保泰甫『ボワソナアド─日本近代法の父』岩波新書、一九七七年を参照)。だが、それはまた、箕作の悲劇でもある。旧民法から明治民法への転換は、箕作のような翻訳を主とする幕末型洋学知識人から、実際に西欧の地で研鑽を積んだ明治の専門アカデミシャンへの知の覇権の移動であったともいえるからである。かつて明治一二年(一八七九)に司法省内の民法会議でボワソナードの草案を審議した際、起草掛として箕作とともに任に就いていた磯部四郎(一八五一~一九二三)の次の弁は、その内幕を伝えている。磯部は、箕作や穂積、富井、梅とともに、法典調査会のメンバーであった。
私など、斯うやつて、座に列んで居ると、同じ委員仲間の大学の腐れ教授などが、青二才のくせに、自分が、大学教授だとか、何だとか云ふので、生意気に、箕作先生の事を、同等の言葉を使つて、「箕作君」とか、何とか言つて居た。我々は、常に、それを聞いて、先輩を蔑視する奴だと思つた。我々は、箕作先生と、福澤先生は、学問上の先輩として、尊敬すべき方であつて、殊に法律家として、箕作先生を先輩とし、又、之を先生と称して、少しも差支ない御方であると云ふ考へは、始終、念頭を離れなかつた。(前掲『箕作麟祥君伝』、一一五頁)
磯部の憤懣を裏書きするのが、同じ『箕作麟祥君伝』に収められた梅謙次郎の談である。箕作を指して、梅は例えば次のように語っている。
私と箕作<君>との関係は、明治二十三年が始めてで、時代が違つて居りまして、丁度、箕作君の弟子<ども>が、私の先生に当るのでありました。(同書、一三五頁。傍点瀧井)
箕作と自分とでは、「時代が違」うというのである。さらに言えば、梅は、幕末洋学者と明治の大学教授とは違うということを言いたかったのではなかろうか。
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原文では磯部四郎と梅謙次郎の引用部分は、段落全体が二字分下げてあります。
また、傍点は< >に換えました。
さて、何で私が磯部四郎に注目したかというと、この人は富山出身で、富山藩における廃仏毀釈の中心となった林太仲の弟ですね。
富山藩を追われた後の林太仲がどのような人生を送ったのか、ちょっと気になっているのですが、磯部四郎あたりを追って行くのが近道かもしれません。
ま、余裕がなくて、なかなか手が出せないのですが。
林太中(はやし・たちゅう)について
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/36056d537d7dfc3eb75e41fa285e8514
『林忠正─浮世絵を越えて日本美術のすべてを』
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/7cb5a6bc3b196bf9d8ec0c9e0dcbaa13
「養父林太仲」
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/485f410f37c822d0389440b4c26ba690
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 8月18日(木)10時42分44秒
数年来の「立憲主義」騒動でやたらと派手に動き回り、最後には参院選挙に出馬してあっさり落選した慶応大学名誉教授の小林節氏は、もう政治には興味がなくなったそうですね。
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「憑き物」が落ちたように政治に興味がなくなった
【前略】しかし、わが国の憲法学界には「政治と関わってはならない」という暗黙のルールがあり、私は異端視されてきた。私に言わせれば、政治を避ける憲法学者などは実戦経験のない「切れない」刀を自慢している自称「剣客」のようなものである。
こうした暗黙のルールのせいで、わが国の憲法論議はまともな憲法学者が不参加のまま、法学の基本的な常識に欠ける評論家などが主導して今日に至っている。
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/187860
小林氏は<わが国の憲法学界には「政治と関わってはならない」という暗黙のルール>が存在していたと言われていますが、これは全く事実に反しており、南野森氏(九州大学准教授)の「一般的に世の中から憲法学者がどのように見られているかということで言いますと、おそらく政治運動をやっている人が多いと見られているでしょうし、憲法学者は法律学者とはかなり違うと見られているでしょう」という評価が適切ですね。
引用部分を含め、私は小林氏の文章に共感を抱く箇所が全然ないのですが、「憑き物」だけはなかなか的確な表現のように感じます。
小林氏以外にも「憑き物」にとりつかれていた憲法学者はけっこういたようですね。
「長谷部先生は、世の中の上澄みの部分を見ておられる」(by 南野森)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/8ce8b37462a3ca44ee103a929f86883d