投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 8月26日(金)20時37分49秒
>筆綾丸さん
>額装された和歌二首の写真があり(445頁、451頁)、末尾の署名はふつたとも「含雨」としか読めないのですが、
私も伊藤之雄氏の『山県有朋─愚直な権力者の生涯』(文春新書、2009)を半分ほど読んでみました。
445・451頁の写真を見たところ、これは「含雪」ではなく「有朋」のようですね。
<山県有朋&書>で画像検索したところ、徳富蘇峰記念館にあるという<「国民新聞」創刊にあたり山県有朋より送られた書『言有物行有恒』>の署名は「含雪」です。
そして、こちらのブログに出てくる<昭憲皇太后御歌>を見ると、「公爵山県有朋謹書」となっていますが、この「有朋」は445・451頁の署名と似ていますね。
また、こちらのブログに出てくる書の署名も445・451頁の署名と似ていて、「有朋」としか読めません。
>花柳界に通じていた艶福家博文
この種のイメージは当時の新聞が広めたようですが、伊藤もそうしたイメージの拡散を楽しんでいたかもしれないですね。
ただ、『伊藤博文─近代日本を創った男』(講談社、2009)p232の、
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一八八七年四月二〇日、伊藤首相の主催で官邸で行われた仮装舞踏会で、伊藤が岩倉具視の娘である戸田氏共夫人を強姦したという話が、当時の新聞記事を根拠として作り上げられている。これらの新聞は、現在の大衆週刊誌的な噂にすぎない記事を掲載している。
しかし、前田愛『幻景の明治』等は、「伊藤の戸田夫人強姦事件」を事実であるかのような叙述をしている(一一一~一三六頁)。【後略】
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となると洒落では済みませんが、これを否定する伊藤氏の論証は説得的です。
私も『幻景の明治』を読んだのはずいぶん昔で、こんな話題が載っていたことすら忘れてしまっていましたが、前田愛氏もずいぶんいい加減な人ですね。
伊藤氏も、わざわざこんな話まで丁寧に否定しなければならないのは些か情けない思いだったかもしれません。
※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。
春画のような、万葉集のような 2016/08/26(金) 14:46:08
キラーカーンさん
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%B3_(%E5%89%8D%E7%BD%AE%E8%A9%9E)
https://nl.wikipedia.org/wiki/Gracht
『新潮45』を拾読みしてみました。
Verbeek は小川という意味とありましたが、Ver(=van der)+beekで、beek は運河(gracht)の一形態なのかもしれないですね。有名な画家フェルメール(Vermeer)の meer は海(湖)ですが。
小太郎さん
瀧井氏の『伊藤博文』に、
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だがそもそも、”総裁”伊藤は、なぜ”統監”となったのだろうか。それは、よく言われるような「初物食い」(徳富蘇峰)の功名心に駆られてのものだったのか。(289-290頁)
-------------
とあって、この「初物食い」には別の含意がありますが、花柳界に通じていた艶福家博文を考えると、「春畝」には春画的な意味もあるような気がしてきますね。
あるいは、万葉集が隠されているのかもしれないですね。
香具山は 畝火ををしと 耳成と 相あらそひき 神代より・・・(中大兄皇子)
玉襷 畝火の山の 橿原の 日知の御代ゆ・・・(柿本人麻呂)
伊藤之雄氏『山県有朋』には、額装された和歌二首の写真があり(445頁、451頁)、末尾の署名はふつたとも「含雨」としか読めないのですが、この雨は雪の略字ということなのでしょうか。和歌の崩し字は詠み下しがあるものの、二字の署名(含雨?)への言及はありません。
なからへばまたいかならんすき(過)し世は
おも(思)ひの外のこと(事)はかりにて
秋も又わか(我)ものかほ(顔)にきた(北)山の
ふもとのさくらもみち(紅葉)しにけり
蛇足
http://www.kadokawa.co.jp/product/200702000369/
『武士はなぜ歌を詠むか』という妙な題名の本がありましたが、軍人山県有朋はなぜ歌を詠んだのか、尋ねてみたいところです。
キラーカーンさん
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%B3_(%E5%89%8D%E7%BD%AE%E8%A9%9E)
https://nl.wikipedia.org/wiki/Gracht
『新潮45』を拾読みしてみました。
Verbeek は小川という意味とありましたが、Ver(=van der)+beekで、beek は運河(gracht)の一形態なのかもしれないですね。有名な画家フェルメール(Vermeer)の meer は海(湖)ですが。
小太郎さん
瀧井氏の『伊藤博文』に、
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だがそもそも、”総裁”伊藤は、なぜ”統監”となったのだろうか。それは、よく言われるような「初物食い」(徳富蘇峰)の功名心に駆られてのものだったのか。(289-290頁)
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とあって、この「初物食い」には別の含意がありますが、花柳界に通じていた艶福家博文を考えると、「春畝」には春画的な意味もあるような気がしてきますね。
あるいは、万葉集が隠されているのかもしれないですね。
香具山は 畝火ををしと 耳成と 相あらそひき 神代より・・・(中大兄皇子)
玉襷 畝火の山の 橿原の 日知の御代ゆ・・・(柿本人麻呂)
伊藤之雄氏『山県有朋』には、額装された和歌二首の写真があり(445頁、451頁)、末尾の署名はふつたとも「含雨」としか読めないのですが、この雨は雪の略字ということなのでしょうか。和歌の崩し字は詠み下しがあるものの、二字の署名(含雨?)への言及はありません。
なからへばまたいかならんすき(過)し世は
おも(思)ひの外のこと(事)はかりにて
秋も又わか(我)ものかほ(顔)にきた(北)山の
ふもとのさくらもみち(紅葉)しにけり
蛇足
http://www.kadokawa.co.jp/product/200702000369/
『武士はなぜ歌を詠むか』という妙な題名の本がありましたが、軍人山県有朋はなぜ歌を詠んだのか、尋ねてみたいところです。