学問空間

「『増鏡』を読む会」、第9回は2月22日(土)、テーマは「上西門院とその周辺」です。

「人間の良し悪しを口にすることは絶対にない」

2016-08-14 | 天皇生前退位

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 8月14日(日)13時38分1秒

『元老―近代日本の真の指導者たち』は未読で、筆綾丸さんとキラーカーンさんの話題について行けないのですが、伊藤博文に関しては瀧井一博氏の『伊藤博文─知の政治家』(中公新書、2010)を読んで、少しずつ勉強しているところです。
瀧井氏によれば、伊藤博文の「再評価を精力的に牽引してきた」のが伊藤之雄氏の『立憲国家の確立と伊藤博文』(吉川弘文館、1999)、『立憲国家と日露戦争』(木鐸社、2000)、『伊藤博文─近代日本を創った男』(講談社、2009)といった一連の業績で、瀧井氏自身は「伊藤(之雄)氏の研究によって示唆されている伊藤の立憲国家の理念に密着し、その思想内在的解明を試みたいと考えている」そうですが(p353)、『伊藤博文─知の政治家』は確かに瀧井氏が「伊藤の思想性を問うべき地点」(同)の最先端にいることを感じさせますね。

>筆綾丸さん
ご紹介の半藤一利・保阪正康氏の対談「我らが見た人間天皇」を読んでみましたが、保阪氏が二十数年前、秩父宮妃へインタビューをした際、

-----
「昭和十六年十二月八日、大平洋戦争が始まった時、秩父宮さまは日英協会の総裁でしたけど、お気持ちはどのようなものだったのでしょうか」
 と質問したんです。すると妃殿下は、
「あの年の秋はよく雨が降りました。殿下とは作物が例年どおり採れるのか心配ですね、という話をしておりました」
 とだけ、答えて下さった。
-----

という禅問答のようなやり取りがあったことを紹介した後で、半藤氏が、

-----
陛下もまったく同じですね。我々の歴史の話には真剣に耳を傾けてくださいます。しかし、特別に納得したようなお顔はなさらないし、解釈が生じるような相槌もうたないことがほとんどです。ただ身をのりだすようにお聞きになってくださいました。私は、そのお姿に誠実さを感じました。それと印象に残ったのは、人間の良し悪しを口にすることは絶対にないことでした。
-----

と言っている点は興味深いですね。
半藤氏以外にも皇族に接した多くの人が類似の感想を述べていますが、皇室を政治的に利用しようとする人々への警戒が習慣化され、殆ど芸術的にまで洗練された人格態度になっているようですね。
とすると、筆綾丸さんの「下司の勘繰りにすぎませんが、今上陛下は現在の首相がお嫌いのようで……」も、永遠に謎となりそうですね。
ま、私は、少なくとも鳩山由紀夫や菅直人よりは安倍さんへの評価が高いのではないかと思っていますが、これも希望的観測ないし下司の勘繰りですね。

>キラーカーンさん
ご紹介のtogetter の纏めを読んでみましたが、憲法学者が南野森氏だけではさすがにちょっと物足りないですね。
南野氏は憲法学界の辺境にいる殆ど市民運動家的な存在、と私は思っています。

井上毅の評価
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/dd8c67a5d6e06b6243d6e78ec1eef1a1


※キラーカーンさんと筆綾丸さんの下記九つの投稿へのレスです。

わが国の元老と他国との類似例 2016/08/07(日) 22:55:34(キラーカーンさん)
>>西欧では、日本の元老はこの程度にしか理解されていないのですね。

日本語の文献では『イギリス二大政党制への道―後継首相の決定と「長老政治家」』(君塚直隆 著)

があります。同書の最後で、この英国の「長老政治家」とわが国の「元老」との類似性と比較
がなされています。あるいは、特に、参議から大臣に「横滑りした(黒田と山田も含む)」7(8)人
については、単刀直入に「the Founding Fathers」として、説明したほうがよいかもしれません。

個人的には、欧州人には前者、発展途上国及び米国人については後者で説明するほうがわかりやすいと思います。

補論
個人的には、元老や「1900年体制」の「山縣閥」あるいは「非選出勢力(官僚、軍部)」
というものは、わが国では権威主義体制の象徴として、非常に評判が悪いですが、
独立・内戦・クーデターなど、「武力」によって打ち立てられた政体が「穏便に」民主化するためには
必要な存在であったと思っています。(山縣有朋「星一徹」説)

タイヤパキスタンのように、民政→クーデター(軍政)→民政移管→クーデター

という、「輪廻」を繰り返している国あるいはそのリスクがある国に対して、わが国の

明治維新から「憲政の常道」までの歩みで、非選出勢力の「中立性」が果たした功罪の「功」
をもっと宣伝してもよいのではないかと思います。
イタリアも、政治危機の際には、「超然内閣」で危機を乗り切るということを何度か行っている
という例もこの証左となるでしょう。

象徴の院政化 2016/08/10(水) 12:08:24(筆綾丸さん)
天皇のお言葉で驚いたのは「天皇の終焉」という表現で、このたびの表明は私の遺言だよ、という意味なんだろうな、と思いました。

キラーカーンさん
http://baike.baidu.com/view/3623825.htm?fromtitle=%E9%87%87%E8%8A%91&fromid=10842820&type=syn

http://baike.baidu.com/view/1197616.htm

伊藤氏『元老』に、元老は詩経に由来するとあり、いろいろググってみましたが、日本語には碌なものがなく、仕方なく中国語で読んでみました。
『詩経』小雅・采芑に、「方叔元老」とあり、元老とは年長功高的老臣の意で、方叔は南方の蛮族(愚蠢)を討った、とあり、「百度百科」には、方叔は周の宣王の賢臣で、方氏の始祖にして赫々たる武勲を挙げ、魏の曹植は方叔の如き臣を求めた、とあります。要するに、西周の英雄なんですね。
元老と老子、中国では、どちらのほうが偉いのでしょうね。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%A3%E7%8E%8B_(%E5%91%A8)
しかし、西周は宣王の子の幽王で滅びるから、明治天皇を宣王に、病弱の大正天皇を幽王に擬えて、元老などとは縁起でもない、とひそかに憤慨していた漢学者がいたかもしれないですね。

日経朝刊(8月9日37面)に、次の記述があり、ちょっと驚きました。
---------------
天皇に政治的権力のない現憲法下では院政のような弊害は考えられないが、新天皇よりも国民から長年敬愛されてきた前天皇に親しみが集まる「象徴の院政化」もありえる。
---------------
le gouvernement retiré(院政)に倣っていえば、象徴の院政化は le symbolisme retiré(引退した象徴性)とでもなりますか。

小太郎さん
日経朝刊(8月10日38面)に、皇室典範の起草者井上毅は譲位容認の根拠としてブルンチュリの説を引用した、とあり、あのハイデルベルクの墓地を思い浮かべました。

http://www.lemonde.fr/asie-pacifique/article/2016/08/07/l-empereur-du-japon-va-s-adresser-au-peuple-pour-evoquer-son-avenir_4979555_3216.html
ル・モンドはかなり詳しく報じていますが、L’empereur du Japon ouvre la voie à son abdication(日本の天皇、譲位の道を拓く)という表題は、勇み足ですね。また、院政が政治の不安定化をもたらすとして、Ce fut le cas lors de la rébellion Hogen entre 1156 et 1159.と保元の乱に触れていますが、これでは、「叛乱」が1156~59年の3年間も続いたように読めてしまいます。平治の乱は別物で、保元の「叛乱」は1156年7月の数日で終息しているから、entre 1156 et 1159 ではなく en 1156 と書くべきです。もっとも、フランス人にはどうでもいいような内乱ですが。と書くと、崇徳院に叱られるだろうな。

http://www.bbc.com/news/world-asia-37007106
BBCは、表題は Japan's Emperor Akihito hints at wish to abdicate とし、本文冒頭では Japan's Emperor Akihito has strongly indicated he wants to step down とするなど、日本の建前と本音を綺麗に書き分けて見事だなあ、と感心しました。
https://en.wikipedia.org/wiki/Exyrias_akihito
BBC が Ten things you may not know の 10. He has a fish named after him で触れている Exyrias Akihito のウィキには、不思議なことに、というか、いかにも日本的ですが、日本語の説明がないのですね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%AF%E3%83%88%E3%82%A5%E3%82%B9
また、Japanese Journal of Ichthyology の Ichth-(魚)は神(キリスト)の象徴だから、4. He is not a god に but a symbol を付加すれば、味わい深くなりますね。

当座の感想 2016/08/11(木) 01:31:18(キラーカーンさん)
陛下の「お言葉」を見ましたが、「平成の玉音放送」ではなくて「平成の『四方の海』」という
印象を受けました。で、感想としては、どこかのツイッターにあったのですが

「陛下のお気持ちを汲んで制度を変更する」ことはNGなので 、
「別にあんたのためにやったんじゃないから、勘違いしないでねっ!!」
というツンデレ的な対応が政府に求められるという展開になりました。

憲法学的には

 天皇の行為について、国事行為、公的行為(象徴としての行為)、私的行為の3分類説で
 事実上の決着がついた

というのが、最大の成果で、その結果として

 憲法上、国事行為以外の「象徴」としての行為については、何ら規定がない
 (今上陛下の行動が「憲法習律」となった)

というところでしょうか。その点を受けて、現代史学者の古川隆久氏は

憲法に規定のない公務を理由に退位を論じるのは踏み込み過ぎの感がある

との見解を述べたようです(毎日新聞)。
また、陛下は「上皇としての活動」を予定していないようです
(一皇族としての活動までは否定していない)

いずれにしても、「お言葉」では憲法上規定のない「象徴としての行為」への言及が大部を占めた以上
「3分類説」に従って、「象徴行為」を憲法上位置づける必要が生じたのではないでしょうか
(それが、憲法改正を伴わないものとしても、理論的整理は必要)

狂瀾は既倒に廻らせず 2016/08/11(木) 15:27:24(筆綾丸さん)
『我らが見た人間天皇』(文藝春秋9月号:半藤一利/保阪正康)によると、両氏は、6月14日19時頃、宮中に招かれて、両陛下と雑談されたそうですが、興味深い内容ですね。

陛下は摂政を否定されたので、皇室典範第16条を若干いじれば済む、というような事勿れ主義は封じられたと見るべきなんでしょうね。
下司の勘繰りにすぎませんが、今上陛下は現在の首相がお嫌いのようで、「など波風のたちさわぐらむ」を反転させて、少し波風をお立てになられた、という感じがしないでもありません。

憲法学をはじめ法学者は、どのような見解なのか、いろいろ聴いてみたいところです。
天皇のお言葉から制度変更まで、どのくらいの冷却期間を置けば、憲法第4条に違反しない、と法的には考えられるのか。数年か。

http://bookclub.kodansha.co.jp/product?isbn=9784062883788
関係ありませんが、大川慎太郎氏『不屈の棋士』を面白く読みました。

ツイッターランドでの憲法学者の呟き 2016/08/12(金) 01:16:00(キラーカーンさん)
>>憲法学をはじめ法学者は、どのような見解なのか、いろいろ聴いてみたい

ツイッターランドでのつぶやきは
天皇陛下「お気持ち」に関する社会学・法学系文化人論考集(大学教授を中心に)
http://togetter.com/li/1009986
にまとめられています

一読した感想では、「天皇(制)に対するそこはかとない『悪意』が滲み出ている」でした。
憲法学者のつぶやきあまりなされていないようですが、独断と偏見を含めて、
「憲法学会の空気」を想像すれば

憲法学上、天皇を貶めることは許容できても、現状維持すら許せない
憲法学会では「反天皇制」がデフォ。現在は、「憲法に規定がある」から、「仕方なく」認めている
(憲法第1章は『邪魔物』であって、本当は『削除』したいが、護憲論との関係上、その議論は
 提起できないので、天皇制については、何も語るつもりはない)

ということなので、件の「お言葉」は

「余計なことをしやがって」と苦虫を噛み潰していることでしょう。

上記のまとめにもありますが、「憲法学者」がつぶやかないというのは、
そういう「学会の空気」を反映しているものと推測しています

アナクロニズムと後水尾院 2016/08/12(金) 15:00:50(筆綾丸さん)
ツイッターランドには関心がないのですが、ちょっと読んでみました。
原武史氏の大袈裟なツイッター(8月5日)には、正直、魂消ました。もっとも、そう思いたければ、思えばいい、というだけの話なんですが。
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展開がいよいよ1945年8月15日に似てきた。午後3時からの放送告知は正午に重大放送があることを告知した8月15日のラジオ放送に似ている。そして放送の後に首相がコメントを用意するのは、玉音放送の後に鈴木貫太郎首相の名で内閣告諭が発表されたのと似ている。全く信じがたい事態だ。
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https://twitter.com/takehiroohya
大屋雄裕氏は名大から慶大に転じ、相変わらず、元気ですね。
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天皇は世襲原理が憲法に規定されているが摂政はそうでないので別に非皇族でも(憲法上は)構わないのだが(歴史的にもそうですね)、よく考えたら憲法は天皇の人数を定めていないのではないだろうか。天皇がゼロで常に摂政が置かれている状態、逆に二人いて職務を分担している状態の憲法適合性如何。
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ごく普通の言語感覚で憲法を読めば、天皇は一人だと思いますけどね。複数の天皇と読むのであれば、日本国・国会・内閣総理大臣・・・も仲良く複数にしなければ、整合性がなくなるような気がします。

http://www.bbc.com/news/science-environment-37047168
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%82%A4%E3%82%BA%E7%A2%BA%E7%8E%87
炭素14法とベイズ統計で年齢を推定して、もっともありそうなのは四百歳だそうですが、そうすると、生まれたのは後水尾天皇即位の頃になりますね。

駄レス 2016/08/12(金) 22:51:24(キラーカーンさん)
>>後水尾院
今上陛下の場合は、さすがに、「にわかの譲位」とはならなかったようですが。

>>仲良く複数
皇后・中宮並立制もありましたから・・・
アンドラ公国のように共同元首の国もありますが・・・

ただ、複数制の場合、各人の意見衝突の処理規定を置く必要がありますが、
それは「憲法事項」となるでしょう。
(国事行為や「統治行為」に「表見代理」の規定を流用するわけにも行かないでしょうから)

ナチスのコーヒー豆 2016/08/13(土) 12:54:25(筆綾丸さん)
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S22/S22HO004.html
http://www.kunaicho.go.jp/kunaicho/kunaicho/yosan.html
陛下は後水尾天皇の評伝を読まれたそうですが、それは久保貴子氏の『後水尾天皇』なんでしょうね。太っ腹な江戸幕府は修学院離宮を造営してあげたけれども(というか、東福門院和子の手前、出費せざるを得なかったでしょうが)、現行の皇室経済法上、離宮の造営は可能かどうか。第2条1号に拠れば可能かもしれないですね。

第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
の英訳は、
Article 1. The Emperor shall be the symbol of the State and of the unity of the people, deriving his position from the will of the people with whom resides sovereign power.
ですが、大屋氏の仮説に拠れば、誤訳の可能性があり、The Emperors としなければなりませんね。その場合、symbol と unity も併せて symbols と unities となり、憲法の複雑系化・カオス化が進み、常人には理解できなくなるでしょうね。

文藝春秋(9月号)の話で恐縮ながら、銀座の珈琲店主関口一郎氏と俳優の松重豊氏の対談で初めて知ったのですが、「群馬のコーヒー事件」なるものがあったのですね。
--------------
関口 群馬は昔から養蚕が盛んでしょう。昭和二十三年に繭関係の倉庫から大量のコーヒー生豆が出てきて、地元の役人たちが復興資金に充てようと売りさばいて問題となった。その豆は、もともとナチス・ドイツが持ち主だといわれています。
松重 ドイツのコーヒー豆がどうして群馬の繭倉庫に?
関口 第二次大戦前にドイツは、現在のインドネシアから良質のコーヒー豆を海上輸送していたんです。戦争が始まると、イギリスが支配するスエズ運河を通れなくなった。潜水艦で喜望峰をまわって運んだこともあるらしいけど、Uボートなんか狭くて大量に詰めないでしょ。それで三国同盟の日本に陸揚げして、シベリア鉄道でドイツまで陸送する準備を進めていたら、こんどは一九四一年に独ソ戦が始まって計画がストップした。日本では空襲が激しくなると各地に疎開させて、前橋あたりで空いていた乾繭倉庫に入れたんです。
松重 それが戦後になって、売りさばかれたと。数奇な運命をたどったコーヒー豆ですね。
関口 持ち主のナチスはもう消滅したし、戦後のどさくさですからね。ある商社が「古いコーヒー豆だけど買わないか」とうちに持ってきたんです。サンプルを見るとスマトラ産のマンデリンで、なかに半透明の鼈甲色になったものがありました。『ALL ABOUT COFFEE』に書いてあったオールドコーヒーの最高条件です。もう飛びつきましたよ。飲んだら極上の玉露みたいに、まったりとした甘みが口のなかで広がる。「生きててよかった」と思える味でした。いまだに、あの味を超える豆には出会えません。(206頁)
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http://www.h6.dion.ne.jp/~lambre/
真偽のほどはわかりませんが、ヒトラーやゲッベルスたちは、こういうコーヒーを飲んでいたということか。
フランス語の店名にある ambre は、上記の「スマトラ産のマンデリンで、半透明の鼈甲色」に由来するのでしょうね。
こんど、銀座に出たら、立ち寄ってみます。

カルト的な使命感 2016/08/14(日) 12:04:10(筆綾丸さん)
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784480063809
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784620323756
大屋雄裕氏のツイッターは刺激的で面白いのですが、著書の『自由とは何か―監視社会と「個人」の消滅』はごく尋常な内容で退屈です。井上達夫氏の『憲法の涙』を併せ見ると、弟子より師匠のほうが面白いと思いました。
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 ・・・日本の憲法学者は、人権保障とかの分野ではいい仕事をしている人も多いけど、九条問題になると、学問的な良心や知的廉直性とか一切忘れて、特定政治勢力へのイデオロギー的奉仕活動をやっている。自律性もなくなって、ただの政治的党派の広告塔か追随者になっている。もちろん例外もあるでしょうが。
ーなぜ、憲法学者たちがそこまでおかしくなるのか。理解しがたいですが。
 要するに、立憲主義と平和主義が予定調和の関係にあって、それを守るのがおれたちの使命だ、みたいな。べつに学問としての憲法学とは関係ない、ある種のカルト的な使命感をもっちゃったんでしょうね、日本の憲法学は。
 自分たちは九条を守ることで日本の平和に貢献してきた、という自己欺瞞。いや、今はもう、はっきり言って自分たちでもそれが嘘だ、日本の平和は九条違反の自衛隊と安保のおかげだと気づいていると思うから、ただの欺瞞だな。ただ立場上、旗を下ろせない、というね。(114-115頁)
--------------
尾高シューレ(学派)への言及がありますが(105頁)、師匠(碧海純一)の師匠は尾高朝雄なんですね。

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立憲的無答責原則と神権的無答責原則

2016-08-14 | 天皇生前退位
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 8月14日(日)12時46分12秒

>筆綾丸さん
子亀レスですが、帝国憲法下の無答責原則についての私の、そしてキラーカーンさんの説明はあくまで美濃部流の民主的・合理的解釈であって、もちろん別の解釈も存在していました。
樋口陽一氏の「君主無答責原則と天皇」(『ジュリスト』933号、1989)という論文にポイントが整理されていたので、少し長くなりますが、引用してみます。

------
 帝国憲法三条(「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」)の解釈として、天皇が法=政治責任を負わないという結論は同じでも、その根拠としては、正反対の二つの立場があった。神権的・君主無答責原則とでもいうべきものと、立憲的・君主無答責原則とよぶことのできるものが、対立していたのである。
 立憲的無答責原則とは、「立憲政治は責任政治である」(美濃部達吉『憲法精義』初版二一頁)ことを大前提としたうえで、大臣責任制(旧五五条)の積極的な位置づけをすることによって、君主について、「権能なきところ責任なし」という考え方を適用することを意味した。美濃部達吉は、五五条の解釈として、「国務大臣の進言を嘉納せらるるや否やは聖断に存するのであるが……」と断りながらであるが、「君命と雖も若しそれが憲法法律に違反し若くは国家の為に不利益であると信ずるならば、国務大臣は之に従ふことを得ないもので、之を諌止することが輔弼者としての当然の義務である」(五一三頁)とし、しかも、その国務大臣は「議会に対して責に任ずる者」(五四五頁)としていたのであった。旧三条の理解として、天皇に「政治上の責任なきこと」を『憲法義解』の文言を援用しつつ「指斥言議ノ外ニ在ル」として述べる(一一七頁)ときも、大臣の対議会責任と表裏一体のものとして説かれることとなる。『憲法講話』では、きわめて平明に、「君主の無責任といふことゝ国務大臣の責任といふことゝは相関連した原則であって、君主は国務大臣の輔弼に依らなければ大権を行はせらるゝことが無い為めに君主は無責任であるのであります……」(初版九六頁)と説明されている。こうして、「詔勅を非難することは即ち国務大臣の責任を論議する所以であって、毫も天皇に対する不敬を意味しない。……天皇の大権の行使に付き、詔勅に付き、批評し論議することは、立憲政治においては国民の当然の自由に属する(『精義』一一六頁)こととされたのであった。
 それに対し、神権的無答責原則は、「天皇ノ身位ハ即チ天祖の霊位ナリ、統治ノ主権ハ即チ天祖ノ威稜ナリ、天縦惟神、萬世相承ケ一系易ラス、至神至聖、仰クヘク侵スヘカラス……国体ノ尊厳正ニ此ニ存ス、蓋憲法第三条ハ此ノ固有ノ大義ヲ掲ケ之ヲ永遠ニ昭カニスル者ナリ」とする穂積八束(『憲法提要』五版二〇四頁)の所説である。大臣責任制を前提とする立憲的無答責の主張に対して、穂積は、「我カ国体ニ於テハ……憲法法律ハ君主ヲ責問スルノ力ナキ固ヨリ言ヲ待タス……理ニ於テ何人モ之ヲ責問スルノ権ナク、何人モ君主ニ代リテ責問ヲ受クルノ要ナカルヘシ……此ノ類ノ説、概子欧州学説ノ付会ニ属ス、援テ我ニ擬スル者アルハ遺憾ノ事ナリ」(二〇六-二〇七頁)と論駁するのである。
------

私も不勉強で、まだ『憲法義解』すら確認していないのですが、おそらく伊藤博文等の憲法起草者は「立憲的無答責原則」説に拠っているものの、憲法の文言が極めて古めかしいものであったこともあって「神権的無答責原則」説も根強く残り、天皇機関説事件後は「立憲的無答責原則説」は一掃されてしまった、ということですかね。
現代人から見れば「神権的無答責原則」説は全く馬鹿馬鹿しい感じがしますが、「立憲的無答責原則」説も帝国憲法の全てを綺麗に説明できた訳ではなく、統帥権独立の問題が残りますね。
樋口陽一氏は上記引用部分に続けて、

-----
 ところで、最近よくいわれる議論として、<帝国憲法下の天皇は立憲君主だったから無答責>という主張がある。このいい方は、misleading 以上に、tricky というべきであろう。少なくとも、三点をあげておかなければならない。【中略】
 第二に、立憲的無答責論者自身、重要な一点で、立憲政治=責任政治の原則がおこなわれないことを承認していた、という点がある。統帥権独立にかかる問題がそれであり、旧一一条の解釈として、美濃部は、天皇の統帥大権を国務大臣の輔弼外におき、「軍機軍令」に関するいわゆる帷幄上層の制度を定めた官制を、みとめていたからである。【後略】
-----

としています。
【後略】部分に美濃部説の詳細と、それに批判的な佐々木惣一説が紹介されていて、いずれも興味深いのですが、長くなりすぎるので省略します。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

老中 2016/08/05(金) 15:16:27
キラーカーンさん
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E8%80%81
ウィキには、伊藤氏が否定している桂太郎が入っていて、さらには「元老受命年月日」という奇妙なものまであるのですね。
外国語の説明をみると、
(英)The institution of genrō originated with the traditional council of elders (Rōjū) common in the Edo period.
(独)Die Institution des Genrō hat ihren Ursprung in dem Rojū (Shōgunats-Rat) der Edo-Zeit.
(仏)L'institution des Genrō a commencé avec le conseil traditionnel des anciens (Rōjū) de l'époque Edo.
(西)La institución del genrō se originó con el consejo tradicional de mayores (Rōjū) establecido en el Shogunato Tokugawa (1603-1868).
元老の起源は徳川幕府の老中である、という驚天動地の記述(伊語と中国語にはない)があります。この伝でいけば、西園寺が一人元老であった時期は、井伊直弼に倣って「大老」と言えそうですね。残念ながら、西欧では、日本の元老はこの程度にしか理解されていないのですね。
余計なことですが、元老西園寺がよくわからないのは、近場の葉山や鎌倉で済むのに、なぜ東京から遠い駿河の興津に別荘(座漁荘)を建てたのか、ということです。宮中からの物理的距離のわからなさ。
  こと問へよ思ひおきつの浜千鳥なくなく出でしあとの月影   定家
を踏まえつつ、駿府の老人(徳川慶喜)にでも思いを馳せたのか。
伊藤氏の『元老西園寺公望』には、もちろん、何の言及もありませんが、氏に聞いてみたいところです。

小太郎さん
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%82%B9%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%AF%E6%86%B2%E6%B3%95
美濃部が「恐くは外国の憲法の影響に基くなり」と言うとき、ビスマルク憲法あたりを想定していたのでしょうね。
(イ)の「刑法に依り始めて之を禁止したるに非ずして、憲法に依り既に禁止せらるるものと認むべく」というのはなかなか凄い論理ですが、これも一種の罪刑法定主義と呼ぶべきなんでしょうね。
(二)の「法律命令が天皇に適用せられざることの原則に対して例外を為すものは財産法なり」ですが、神聖不可侵の至尊至貴の存在には似つかわしくない例外ですね。
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