投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2018年11月24日(土)10時34分15秒
私は世界遺産の富岡製糸場が置かれた群馬県西部に生まれ、農家ではなかったものの、子どもの頃は周囲に桑畑が広がっているような環境に育ったので、それなりに養蚕の知識もあり、製糸業に関する断片的な知識も持っていました。
その私にとって、かねてからの疑問は、少なくとも明治初期には養蚕と在来製糸業で全国のトップクラスに位置していた「蚕糸王国」の群馬県が、何故にあっさりとその地位を長野県に奪われ、更にあっという間に引き離されて行ったのか、という問題でした。
ま、私もそれほど郷土愛はないので、別に日夜この問題に頭を悩ませていた訳ではないのですが、松沢裕作氏の『生きづらい明治社会』を読んだ時点でも、なお釈然としないまま残っていたこの疑問を解決してくれたのが中林真幸氏の『近代資本主義の組織』ですね。
要するに近代資本主義の精神を体現した「組織」を構築できたのが長野県、というか諏訪の製糸業者であり、それができず、地元にそれなりの製糸業者も存在しながら、諏訪への原料繭の提供地と製糸工女の供給地になってしまったのが群馬県、という構図です。
それにしても、2003年に同書が出版されて既に15年も経ったのに、その認識が松沢氏のような明治時代を専門に研究している歴史学者にすら共有されず、『生きづらい明治社会』の如き頓珍漢な書物が流布されている状況は非常に悲しむべき事態ですね。
そこで、今まで同書が専門研究者の間でどのように評価されているかは紹介してきましたが、改めて中林氏自身の文章に即して、同書の内容を少し紹介しておきたいと思います。
同書のエッセンスは「はしがき」に凝縮されていますが、まず、その冒頭を紹介すると、
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資本主義とは何か, とりわけ, 近代において産業革命をもたらし, 人間社会の劇的な発展を可能にした, 近代資本主義とは何だったのか. それは長く, 経済学はもとより, 社会科学を学ぶ多くの人々に共有される関心事であった.
もちろん, 誰もが認める資本主義の定義が存在するわけではない. 人によっては, 宋帝国や, あるいはローマ帝国にさえ, 資本主義の萌芽を認めるであろう. しかしながら, 現代社会に生きる私たちにとって親しみ深い, あるいは切実な問題としての資本主義とは, 19世紀に日本を含む世界を覆い尽くした近代資本主義, もしくは産業資本主義のことである. もっとも, そのように対象を特定しても, 資本主義を定義することは, なお困難である. 私たちがよく馴染んできたはずのこの経済制度を知るためには, その形成過程を, なるべく説得的に, 機能的に記述するほかはない.
経済史学は, おそらく, その課題に最もふさわしい学問のひとつである. 言うまでもなく, 経済史家もまた, 一定の経済理論を認識の前提としている. たとえば, 多くの経済史家は新古典派の経済理論が想定する完全競争市場により近い市場を, 近代的な市場と考える. 仮説を立てる場合には, 経済理論家と同様に演繹的な推論も行うであろう. にもかかわらず, およそ経済史家である限り, 対象を分析し, 仮説を論証する場合には, 公理からの演繹ではなく, 事実からの帰納という説得の手続きをとる. 歴史的に存在した, ある経済制度から別の経済制度への進化を分析するとき, とりわけ, 近代資本主義という大きな制度の動的な形成を分析するときには, こうした手続きが望ましいように思われる. たとえ, 特定の経済理論に基づく体系によって, 資本主義を演繹的に定義することが可能であるとしても, その当否を判断することは難しいであろう. しかし, 誰もが検証しうる, 帰納的な論理によって構築された, 歴史学的な分析であれば, 細部の検証から分析の当否を推し量ることができるし, そのことを通じて, 誰もが資本主義の分析に加わることができる.
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ということで(pⅰ)、その志は極めて格調高く、その方法は極めて堅実ですね。
では、従来の通説を次々に覆した中林氏は、具体的にどのような分析の方針を採ったのか。
中林真幸(東京大学社会科学研究所サイト内)
https://jww.iss.u-tokyo.ac.jp/mystaff/mn.html
私は世界遺産の富岡製糸場が置かれた群馬県西部に生まれ、農家ではなかったものの、子どもの頃は周囲に桑畑が広がっているような環境に育ったので、それなりに養蚕の知識もあり、製糸業に関する断片的な知識も持っていました。
その私にとって、かねてからの疑問は、少なくとも明治初期には養蚕と在来製糸業で全国のトップクラスに位置していた「蚕糸王国」の群馬県が、何故にあっさりとその地位を長野県に奪われ、更にあっという間に引き離されて行ったのか、という問題でした。
ま、私もそれほど郷土愛はないので、別に日夜この問題に頭を悩ませていた訳ではないのですが、松沢裕作氏の『生きづらい明治社会』を読んだ時点でも、なお釈然としないまま残っていたこの疑問を解決してくれたのが中林真幸氏の『近代資本主義の組織』ですね。
要するに近代資本主義の精神を体現した「組織」を構築できたのが長野県、というか諏訪の製糸業者であり、それができず、地元にそれなりの製糸業者も存在しながら、諏訪への原料繭の提供地と製糸工女の供給地になってしまったのが群馬県、という構図です。
それにしても、2003年に同書が出版されて既に15年も経ったのに、その認識が松沢氏のような明治時代を専門に研究している歴史学者にすら共有されず、『生きづらい明治社会』の如き頓珍漢な書物が流布されている状況は非常に悲しむべき事態ですね。
そこで、今まで同書が専門研究者の間でどのように評価されているかは紹介してきましたが、改めて中林氏自身の文章に即して、同書の内容を少し紹介しておきたいと思います。
同書のエッセンスは「はしがき」に凝縮されていますが、まず、その冒頭を紹介すると、
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資本主義とは何か, とりわけ, 近代において産業革命をもたらし, 人間社会の劇的な発展を可能にした, 近代資本主義とは何だったのか. それは長く, 経済学はもとより, 社会科学を学ぶ多くの人々に共有される関心事であった.
もちろん, 誰もが認める資本主義の定義が存在するわけではない. 人によっては, 宋帝国や, あるいはローマ帝国にさえ, 資本主義の萌芽を認めるであろう. しかしながら, 現代社会に生きる私たちにとって親しみ深い, あるいは切実な問題としての資本主義とは, 19世紀に日本を含む世界を覆い尽くした近代資本主義, もしくは産業資本主義のことである. もっとも, そのように対象を特定しても, 資本主義を定義することは, なお困難である. 私たちがよく馴染んできたはずのこの経済制度を知るためには, その形成過程を, なるべく説得的に, 機能的に記述するほかはない.
経済史学は, おそらく, その課題に最もふさわしい学問のひとつである. 言うまでもなく, 経済史家もまた, 一定の経済理論を認識の前提としている. たとえば, 多くの経済史家は新古典派の経済理論が想定する完全競争市場により近い市場を, 近代的な市場と考える. 仮説を立てる場合には, 経済理論家と同様に演繹的な推論も行うであろう. にもかかわらず, およそ経済史家である限り, 対象を分析し, 仮説を論証する場合には, 公理からの演繹ではなく, 事実からの帰納という説得の手続きをとる. 歴史的に存在した, ある経済制度から別の経済制度への進化を分析するとき, とりわけ, 近代資本主義という大きな制度の動的な形成を分析するときには, こうした手続きが望ましいように思われる. たとえ, 特定の経済理論に基づく体系によって, 資本主義を演繹的に定義することが可能であるとしても, その当否を判断することは難しいであろう. しかし, 誰もが検証しうる, 帰納的な論理によって構築された, 歴史学的な分析であれば, 細部の検証から分析の当否を推し量ることができるし, そのことを通じて, 誰もが資本主義の分析に加わることができる.
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ということで(pⅰ)、その志は極めて格調高く、その方法は極めて堅実ですね。
では、従来の通説を次々に覆した中林氏は、具体的にどのような分析の方針を採ったのか。
中林真幸(東京大学社会科学研究所サイト内)
https://jww.iss.u-tokyo.ac.jp/mystaff/mn.html