学問空間

「『増鏡』を読む会」、第9回は2月22日(土)、テーマは「上西門院とその周辺」です。

一橋大学名誉教授・中村政則の「カラクリ」第二部

2018-11-30 | 松沢裕作『生きづらい明治社会』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2018年11月30日(金)13時56分10秒

11月27日の投稿、「設問:一橋大学名誉教授・中村政則の「カラクリ」について」においては、

中村の「カラクリ」の内容と、中村がこのような「カラクリ」を「考案」した理由について考察せよ。
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/3e8ee2cf121a12cc91b07e4be9bb165e

と書きましたが、そこに引用した文章だけでは、後者はちょっと分からないですね。
そこで、改めて前回投稿で紹介した部分の続きを引用してみます。(p99以下)
p99には「女工の賃金用途」というタイトルの一覧表があって、「平均額は受給者の平均額。笠原組「工女試験勘定帳」より作成」との説明があります。
この表を全て紹介するのは煩瑣に過ぎるので省略しますが、明治24(1891)、明治41(1908)、明治42(1909)、大正5(1916)、大正8(1919)の各年次と出身地別に「手付金」「前貸金」「内渡」「年内内渡」「盆」「その他」「残額」「賃金総額」が計上されていて、「賃金総額」から「1人平均額」(円)だけを抜き出すと、

明治24(1891) 各県 17.70
明治41(1908) 山梨 50.28
明治42(1909) 各県 43.59
大正5(1916)  岡谷 61.66
        山梨 81.19
大正8(1919) 岡谷 156.65
        山梨 129.44

となっています。
本文でも言及されているように、1919年の数字は突出していますね。
では、本文を紹介します。

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賃金と小作料

 では、このような苛酷な賃金制度のもとで、女工は一年間にどの程度の賃金を得、そのうち、女工自身が使える金額はどれほどであっただろうか。笠原製糸場を例にとった上の表では、用途をこまかく七項目にわけてあるが、大別すれば、

(1)手付金・前貸金・内渡〔うちわたし〕・年内内渡─ほとんどは親の手にわたる。
(2)盆・その他─女工の小づかい。
(3)残額─翌年度に支払われるもの。

の三グループに、まとめることができる。(1)の「内渡」は、年の途中で自宅に送金したり、父兄などが出向いたときに支払われるものであり、そのほとんどが、父兄に直接手わたされるものと考えてよい。「手付金」は女工との契約時に手わたすものであり、また「前貸金」あるいは「別貸金」は、貸金というかたちをとっているが、女工獲得の手段に利用された。両方とも賃金の前払いともいうべきもので、これも直接に父兄の手へわたるものである。また、(2)に「盆」とあるのは、女工がお盆のときに使った小づかいであり、「その他」には、牛乳代・薬代・日用品代・観劇料などがふくまれている。いずれにせよ、これも小づかいである。そして、(3)の「残額」は、工場主が製糸賃金の一部をわざと未払いとして翌年度にのこしておく分である。これは俗に「足どめ金」といわれたもので、女工が他工場に移ることを防ぐ手段として利用された。したがって、女工がもし翌年度に就業を継続しないばあいには、その残額を支払わない工場もあった。
 さて、以上(1)・(2)・(3)の比率を計算してみると(1)が圧倒的比重をしめていて、明治二四年の七五・二パーセントを最低に、大正八年の岡谷出身女工分の九一・七パーセントを最高にして、ほぼ八〇~九〇パーセントをしめる。いうまでもなく、これが家計補充分にあたる。(2)の女工の小づかいは、大正五年の岡谷の二パーセントを最低とし、明治二四年の一四・六パーセントを最高としているが、これからみて、女工が自分のためには金銭をほとんど使っていないことがわかる。(3)の「残額」は、明治二四年の一〇・二パーセントを最高に以後しだいに低下し、大正八年の山梨県出身女工分はわずか〇・七パーセントにまで低下している。大正八年は生糸ブームで糸価が高騰し、平均賃金が一〇〇円をこえ、「百円工女、百円工女」といって農家をおどろかせた年でもあった。これらの検討から問題にしたいのは、つぎの点である。
 いまでは古典的地位にある『日本資本主義分析』を著わした山田盛太郎は、戦前日本資本主義の構造的特質は資本主義と半封建的地主制との強固なむすびつきにあるとし、その両者の関係はとりわけ低賃金と高率小作料との相互規定関係としてあらわれると指摘した。「賃銀の補充によって高き小作料が可能とせられ、又逆に補充の意味で賃銀が低められるような関係の成立」という山田の有名な文章は、そのことを簡潔にしめしたものである。この意味するところは、女工の得る賃金によって、はじめて小作農家は地主にたいして高い小作料を払うことができ、また、逆に女工賃金は一家を養うだけの高さを必要とせず、家計の補充になれば足りるということから低賃金でもすむ、ということである。そして、このような内容をもつ高率小作料と低賃金の相互規定=相互制約の関係が、まさに戦前日本資本主義の基礎をささえ、かつ、それの急速な発展を可能にしたと主張されたのである。
 この山田説は、その後、学界の通説となっている。それでは同氏はそのことを具体的に論証したかというと、かならずしもそうとはいえない。というのは、女工の得る賃金が低賃金であること、たとえば紡績女工の賃金がインド以下的水準にあることは証明されたが(一六八ページ以下参照)、それが家計補充的であったことについては、なんの論証もしていないからである。ところが、これまで考察したことからもあきらかなように、製糸女工の基本的出身階層はたしかに小作貧農であり、しかも、その賃金の圧倒的部分は家計補充部分として一家の家計を補充していることが判明した。高率小作料と低賃金の関係は、まぎれもなく存在しており、その意味からしても、製糸女工は戦前日本資本主義の特質を一身に体現する象徴的存在であったのである。
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私には中村が、自身の言うような「証明」「論証」をできたとはとうてい思えないのですが、その評価は次の投稿で行ないます。
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「師の永原慶二」と不肖の弟子

2018-11-30 | 松沢裕作『生きづらい明治社会』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2018年11月30日(金)12時15分19秒

>筆綾丸さん
> titolazione の中にある titolo が「糸目テトロ(繊度)で しめ殺す」のテトロで

1859年の開港から1880年代初頭まで、生糸の主要輸出先はフランスを中心とするヨーロッパ市場だったので、製糸関係の言葉はフランス語・イタリア語が多いですね。
テトロはちょっと気になっていたのですが、イタリア語ですか。
ご教示、ありがとうございます。


>一橋大学の「5」

中村政則氏は『日本の歴史第29巻 労働者と農民』(小学館、1976)の「月報29」で『あゝ野麦峠』の山本茂実、『サンダカン八番娼館』の山崎朋子と「底辺史研究への直言」という鼎談をしているのですが、山本茂実とはずいぶん気が合ったようで、一緒に野麦峠に旅行に行ったりしたそうですね。
その「略歴」には、

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一九三五年(昭和一〇年)東京は新宿の生まれ。一橋大学商学部卒業後、六六年(四一年)に同大学院経済学研究科博士課程を修了し、講師を経て、現在は同大学経済学部助教授。師の永原慶二らとの共著に『日本地主制の構成と段階』があるほか、研究論文に「日本資本主義確立期の国家権力」など。
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とありますが、「師の永原慶二」氏と比べると、論理的思考力の点で若干の問題がありますね。
先に「仮に中村政則氏が在職していた一橋大学経済学部の全教員を、その知的水準で五段階評価することができ、中村氏が「5」相当だったとして」と書きましたが、思想的な偏りは共通するとはいえ、知的水準では「師の永原慶二」氏が間違いなく「5」相当であるのに対し、論理の整合性に乏しく、文章が情緒的で直ぐに左翼版の勧善懲悪思想に流れてしまう中村氏は、せいぜい「2」か「3」のような感じがします。

「もっと官僚的に答弁しなさい」(by 永原慶二氏)
「学者は読むもので見るものではない」(by 「先人」&義江彰夫氏)
『永原慶二の歴史学』

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

となりのトトロとQMONOS 2018/11/29(木) 14:54:26
小太郎さん
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%AB
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絹などの生糸やレーヨン、ナイロンなど合成繊維の太さを表すのに用いられる。単位の名称は、フランス語の貨幣denier(ドゥニエ)に由来する。そもそもは、東洋の絹がローマのデナリウス銀貨の重さで取引されていたことに由来する。
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イタリア語の関連項目 titolazione の中にある titolo が「糸目テトロ(繊度)で しめ殺す」のテトロで、信州のテトロの方が隣の上州よりも優れていて、工女の賃金もずっと上であった、ということになるのですね。ちょうど、一橋大学の「5」よりも、シカゴ、ハーバード、ケンブリッジ、イェール大学等の「5」の方が格段に上であるように。
何の関係もありませんが、『男はつらいよ』の寅さんの台詞に、信州信濃の新蕎麦よりも、わたしゃあんたの側がいい、というのがあります。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%91%E3%82%A4%E3%83%90%E3%83%BC
https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/92_14545.html
極楽の蜘蛛の糸がスパイバーのQMONOSであったならば、カンダタ他数名の罪人が助かり、御釈迦様は吃驚仰天して腰を抜かしていたかもしれませんが、
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しかし極楽の蓮池の蓮は、少しもそんな事には頓着致しません。その玉のような白い花は、御釈迦様の御足のまわりに、ゆらゆら萼を動かして、そのまん中にある金色の蕊からは、何とも云えない好よい匂が、絶間なくあたりへ溢れて居ります。極楽ももう午に近くなったのでございましょう。
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コメント
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