学問空間

「『増鏡』を読む会」、第9回は2月22日(土)、テーマは「上西門院とその周辺」です。

「家に帰っても父親や夫を軽んじ, ささいな諍いにも離婚を要求」(by 中林真幸氏)

2018-11-25 | 松沢裕作『生きづらい明治社会』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2018年11月25日(日)21時36分1秒

『近代資本主義の組織』の「はしがき」は起承転結の四つに綺麗に分かれますが、これでラストです。(pⅳ以下)

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 近代的な経済発展の始まった100年ほど前の日本経済においては, 当然に, 生産性の低い農業と在来産業の構成比が大きく, 1880年代から1900年代までの間, マクロ・レベルにおける実質賃金の上昇は極めて緩慢であった. 石川啄木が,

 はたらけど
 はたらけど猶わが生活〔くらし〕楽にならざり
 ぢつと手を見る               『一握の砂』

と詠んだとき, それは, 日本経済に暮らす多くの人の実感と一致していたはずである. 生産性と実質賃金が上昇しないということは, 努力してもしなくても, 昨日と変わらぬ今日の貧困が続くことにほかならない. さらに, 小農の家に暮らす女性はその家長に隷属していたであろうし, その小農は地域社会を名望家として支配する地主に従属していたであろう. 100年前の日本社会が, 平均的には, 貧しく, 権威主義的で, 停滞した社会であったことに疑いの余地はない. そして, そのなかで暮らした大多数の人々の暮らしを知ることもまた, 重要な営みであろう. しかし, それを観察しても, 資本主義的な経済発展の核心を究明することはできない. それゆえ, 本書は, 平均あるいは全体ではなく, あえて, そうした停滞的な伝統経済を破壊しつつあった, 近代製糸業の勃興に焦点をあててみようと思う.
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何度も比較して恐縮ですが、『近代資本主義の組織』に15年遅れて出版された『生きづらい明治社会』は、「平均的には, 貧しく, 権威主義的で, 停滞した社会」のなかで暮らした「大多数の人々の暮らしを知る」試みのひとつですね。
そして、もちろん「それを観察しても, 資本主義的な経済発展の核心を究明することはできない」でしょうし、松沢氏も別にそんなことは目指していないはずです。
そうかといって、では松沢氏は「停滞的な伝統経済」を観察して、いったい何を究明することができたのか。
おそらく松沢氏は人々が「通俗道徳」の「わな」に嵌ったメカニズムを解明できたと主張されるのでしょうが、果たして松沢氏の説明は、中林氏の言葉を借りれば、「誰もが検証しうる, 帰納的な論理によって構築された, 歴史学的な分析」と言えるレベルの論証なのか。
ま、あまり嫌味を言っても仕方ないので、引続き「はしがき」の最後の部分を紹介します。

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 第二次世界大戦以前において, 生糸輸出額は日本の輸出総額の3割を占めていた. そして日本産生糸のアメリカ市場における占有率は, 1880年代末に5割, 1910年代に7割, 1920年代には8割を占めた. 近代製糸業の発展は, 特定の輸出産業が圧倒的な競争力を確保して経済発展を先導するという, 近代以降の日本が繰り返すことになる経験の最初のひとつであった. その発展の中心にあった長野県諏訪郡の近代製糸業においては, 画期的な品質管理の方法や賃金決定の仕組みからなる, 効率的な生産組織と労働組織が形成され, それに適した技術が導入された. その結果として, 他の地域とは隔絶した経営発展が見られ, また, 賃金水準にも顕著な上昇が見られた. そればかりではない. 競争的な組織の下に高賃金を得るようになった女性労働者たちは, 家に帰っても父親や夫を軽んじ, ささいな諍いにも離婚を要求するようになったと言われている. その一方, 農村社会にはありえなかった過労自殺も, 報告されるようになる. 資本主義が経済発展を促し, 人間に個人としての自由を与え, 同時に緊張を強いる近代的な世界が, そこには生まれていた.
 近代製糸業の勃興が描く, 資本主義的な経済発展の原風景, そこには, 現代社会のように美しくはないが, 躍動的な世界があったはずである. そこに生じていることは, 現代人である私たちの倫理観には, ときに受け入れがたい. しかし, それは, 近代資本主義の歴史を生きた遠い記憶のなかに, たしかに存在する世界でもある.
 近代的な資本主義経済を知ることは, 私たちの生きる現代社会の基層を知ることなのであり, そして, 現代社会を築いた先人たちが飼い慣らそうと苦闘した, 野性を知ることでもある. 本書がその手がかりになれば幸いに思う.
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近代製糸業の研究史を辿っていて非常に不思議に感じるのは、諏訪において「賃金水準にも顕著な上昇が見られた」ことを素直に認める人が少ないことですね。
普通に史料を読んでいれば誰でも気づくことなのに、「講座派」系の陰気でビンボー臭い研究者たちはもちろん、あまり思想の匂いのしない研究者も、この明白な事実を、少なくとも積極的に強調はしません。
まして、『あゝ野麦峠』を観て感動するような一般人は、製糸工女が実は高賃金を得ていたという事実、諏訪で実際に展開されたのは「女工哀史」どころか「女工バブル史」だったという事実を知ったら驚愕するのではないですかね。
でもまあ、岐阜県内にだって製糸工場があるのに、飛騨の山奥の人々がわざわざ野麦峠を越えて諏訪に行ったのは給料が高いからに決まっています。
次の投稿からは、そのあたりの高賃金の実態をもう少し紹介したいと思います。
また、「家に帰っても父親や夫を軽んじ, ささいな諍いにも離婚を要求するようになった」という事実も、『あゝ野麦峠』のような通俗映画はもちろん、中村政則『日本の歴史第29巻 労働者と農民』や松沢裕作『生きづらい明治社会』のような通俗歴史書には全く登場しない話ですが、このような女性労働者の意識の変化についても少し検討する予定です。
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「近代日本経済史の先端を徹底的に追究する」(by 中林真幸氏)

2018-11-25 | 松沢裕作『生きづらい明治社会』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2018年11月25日(日)12時49分6秒

『近代資本主義の組織』の「はしがき」の続きです。(pⅲ以下)

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 さいわいに, 経済制度の効率性をマイクロ・レベルにおいて考察しようとする近年の動向は, 資本主義の冷静な分析にとって理想的な雰囲気をつくりつつある. 本書もまた, その恩恵にあずかりつつ, 資本主義的な経済発展のあり方を, 日本経済において最初に成功した近代産業である, 近代製糸業を通じて分析しようと思う. 具体的な実証分析にあたっては, 分析の結果が時とともに色褪せることがないように, 手堅さを心掛けたつもりである. しかし, 資本主義を分析的に考えようとする問題意識は, とりわけ, 今という時代において, 多くの読者と共有できるように思われる.
 しかし, 同時に, 近代における制度と組織の効率性が分析されるにあたっては, 現代社会に生きる私たちには, 若干の違和感を与える基準がとられることを, 付け加えなければならない. 私たちの生きる現代社会は, 安定と平等を大切にする社会である. しかし, それを達成するために機能している法制度の多くは, それほど古い起源を持つものではなく, たとえば, それらのいくつかは, ニューディール期のアメリカにおいて形成された. そして, そこに至る道は, 決して平坦ではなかった. あふれかえる失業者を前に, 政府が安定と平等のためにとった政策は, 契約の自由と財産権の不可侵という, 近代的な市場制度の根幹に対する挑戦を含んでいたことから, 当初は, 連邦裁判所の違憲判決を受けたのである. 1937年にようやく, 市場への介入を認める方向に法廷の姿勢が改められ, ニューディール政策に正統性を与える歴史的な判決が下された. この転換を起点に, やがて, 精神的な自由と経済的な自由とを区別する「二重の基準」に基づいて, 政府による後者の制限を認める現代的な自由社会が形成される. それゆえ, この過程は, しばしば, 憲法革命とさえ呼ばれた. 日本においても事情は変わらない. 本書が分析の対象期とする産業革命期には, そもそも普通選挙が採用されておらず, 安定や平等は現実ではないばかりか, 政策上の課題ですらなかった. 好況期には銀行や企業が数多く設立され, そして景気後退が来れば簡単に破綻したのである. 何を正義と考えるかという, 倫理感覚の基本において, 既に, 私たち現代人は近代人と同一ではない. ルーズベルトを否定した判事たちが特に冷酷であったのではなく, 彼らの認識の方が, 19世紀的な資本主義経済における常識だったのである.
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私が『近代資本主義の組織』を読むきっかけとなったのは松沢裕作氏の『生きづらい明治社会』(岩波新書、2018)でしたが、このあたりの中林氏の基本的発想は松沢氏と対照的ですね。
松沢氏は日本国憲法第25条「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」を出発点として、「ぎりぎりのところでその権利を保障する」(p45)ための生活保護法の歴史を辿って1874年に制定された「恤救規則」という法令を見出し、「恤」は「あわれみ、めぐむこと」だから、「救恤規則」は「相当に上から目線」(p48)だと批判します。
そして「救恤規則は、家族や地域が困難に陥っている人を救うことを前提としており、どうしてもしかたのないときだけ国家がお情けで助けてやるという法律です。ここには「健康で文化的な最低限度の生活」をおくる権利といった発想はまったくありません」(p50)と悲憤慷慨されます。
私としては「そもそも普通選挙が採用されておらず, 安定や平等は現実ではないばかりか, 政策上の課題ですらなかった」時代に「生存権」の発想があるはずがないだろうと思いますが、何に悲憤慷慨するかは人それぞれですね。
ま、それはともかく、中林氏は次のように続けます。

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 そうであればこそ, 近代における経済発展を分析するときには, 現代人の常識とは異なる視角をとってみることにも, 意味があると思われる. たとえば, 現代社会の政策論議においては, まず, マクロ・レベルの経済成果が重視されるが, 近代における経済発展の分析には, 全体ではなく先端が, すなわち, 生産性の目覚ましい上昇が見られた先進的な産業における, 効率的な生産組織こそが, 重視されてよい. それはいずれは広く普及するからである. 本書もまた, 近代日本経済史の先端を徹底的に追究することになる.
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ということで、「近代における経済発展の分析には, 全体ではなく先端が, すなわち, 生産性の目覚ましい上昇が見られた先進的な産業における, 効率的な生産組織こそが重視」されるべきだ、というのが『近代資本主義の組織』を貫く大方針ですね。
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「マクロ経済を概観するのではなく, 近代的な工場制の発展のみを, とりだして分析する」(by 中林真幸氏)

2018-11-25 | 松沢裕作『生きづらい明治社会』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2018年11月25日(日)10時50分40秒

『近代資本主義の組織』の「はしがき」の続きです。(pⅱ)

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 それゆえ, 近代資本主義の解明は, 当然に経済史学の主要な課題とされるべきであった.そして, たしかに, 1960年代頃まで, 資本主義的な経済発展の成果に関する研究は数多く蓄積され, 発展の結果についての知識は深まったように見えた. しかし, 資本主義的な経済発展そのものに対する理解は, 依然として不十分であると言わざるをえない. いつ, どのように, 資本主義的な経済発展は始まったのか. 資本主義的な生産や流通の組織は, どのように形成されたのか. それは, どの程度に, あるいは, なぜ, 効率的であったのか. こうした問いに, 経済史学が応えてきたとは言いがたい. その中心にある工場制の効率性さえも, 十分に論証されてはいないのである.
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工場制の効率性など自明ではないか、と思いがちですが、「スティーブン・マーグリンに代表されるラディカル派が, 分業制や工場制, 位階制の形成は必ずしも効率性を追求した結果ではなく, 労働者の管理を追求した結果に過ぎず, そして、そうした労働組織においては, 労働者の主体性が減退すると主張した」(p49)といった議論があるそうですね。

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 私たちの知る, 資本主義的, あるいは近代的な経済発展においては, 利潤最大化を目的とした生産が, 生産性の持続的な増大をもたらしてきた. そして, 生産性を高めるために, 多くの場合, 熱心に働く労働者が高度に組織されてきた. 彼らが組織された場所が工場であり, 事務所であった. 生産性の持続的な増大は, 実質賃金の持続的な増大をもたらし, したがって, やがては豊かな社会を出現させた. それが, 近代的な経済発展, あるいはより具体的には, 資本主義的な産業の発展がたどってきた道である.
 一方, 資本主義的な産業が発展し始めた時期には, その経済社会全体に大きな構成比を占める在来産業が残存し, しかも, なお拡大を続けていた. それゆえ, 資本主義的な経済発展を知るためには, 在来産業の混在していたがゆえに停滞的に見える, マクロ経済を概観するのではなく, 近代的な工場制の発展のみを, とりだして分析する必要がある.
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「在来産業の混在していたがゆえに停滞的に見える, マクロ経済を概観する」立場の代表例が石井寛治氏の『日本蚕糸業史分析』(1972)で、そこに見えてくるのは「低賃銀と低生産力」の世界ですね。

「日本製糸業の国際競争力のひとつの基礎が、農村からの出稼女工の極度の低賃銀」(by 石井寛治氏)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/3473f4fcb3459674b7c795448fd631a5

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 たとえば, ある伝統的な経済社会において, ある産業が, 初めて近代的な工場制工業として発展し, しかも, それが造りだす効率的な生産と流通の仕組みは, 在来産業とは異なる労働生産性と実質賃金の上昇をもたらし, そして, 自由な国際市場において強い競争力を獲得したとしよう. そのような産業発展の経験があるとすれば, 経済史家は迷わず, それを分析すべきであろう. 伝統的な社会に勃興した近代産業であるから, その産業が, 勃興した当初の社会全体を反映しているとは言えない. しかし, そこには, 近代的な経済社会を創りだす, 効率的な制度と組織が形成されていたはずである. 近代製糸業とは, そのような産業であった. 工場制工業としての効率性を生み出した生産組織と労働組織の形成, 製品市場や労働市場, 金融市場における効率的な制度の形成, そして, 農村社会に大きな影響を及ぼした産業組織の再編, その過程は, 資本主義的な経済発展のひとつのあり方を, 象徴的に表していたと思われる.
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「近代的な工場制の発展のみを, とりだして分析」した場合、そこに展開されているのは石井寛治氏の見解とは真逆の、「高賃銀と高生産力」の世界ですね。
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