投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2018年11月25日(日)21時36分1秒
『近代資本主義の組織』の「はしがき」は起承転結の四つに綺麗に分かれますが、これでラストです。(pⅳ以下)
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近代的な経済発展の始まった100年ほど前の日本経済においては, 当然に, 生産性の低い農業と在来産業の構成比が大きく, 1880年代から1900年代までの間, マクロ・レベルにおける実質賃金の上昇は極めて緩慢であった. 石川啄木が,
はたらけど
はたらけど猶わが生活〔くらし〕楽にならざり
ぢつと手を見る 『一握の砂』
と詠んだとき, それは, 日本経済に暮らす多くの人の実感と一致していたはずである. 生産性と実質賃金が上昇しないということは, 努力してもしなくても, 昨日と変わらぬ今日の貧困が続くことにほかならない. さらに, 小農の家に暮らす女性はその家長に隷属していたであろうし, その小農は地域社会を名望家として支配する地主に従属していたであろう. 100年前の日本社会が, 平均的には, 貧しく, 権威主義的で, 停滞した社会であったことに疑いの余地はない. そして, そのなかで暮らした大多数の人々の暮らしを知ることもまた, 重要な営みであろう. しかし, それを観察しても, 資本主義的な経済発展の核心を究明することはできない. それゆえ, 本書は, 平均あるいは全体ではなく, あえて, そうした停滞的な伝統経済を破壊しつつあった, 近代製糸業の勃興に焦点をあててみようと思う.
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何度も比較して恐縮ですが、『近代資本主義の組織』に15年遅れて出版された『生きづらい明治社会』は、「平均的には, 貧しく, 権威主義的で, 停滞した社会」のなかで暮らした「大多数の人々の暮らしを知る」試みのひとつですね。
そして、もちろん「それを観察しても, 資本主義的な経済発展の核心を究明することはできない」でしょうし、松沢氏も別にそんなことは目指していないはずです。
そうかといって、では松沢氏は「停滞的な伝統経済」を観察して、いったい何を究明することができたのか。
おそらく松沢氏は人々が「通俗道徳」の「わな」に嵌ったメカニズムを解明できたと主張されるのでしょうが、果たして松沢氏の説明は、中林氏の言葉を借りれば、「誰もが検証しうる, 帰納的な論理によって構築された, 歴史学的な分析」と言えるレベルの論証なのか。
ま、あまり嫌味を言っても仕方ないので、引続き「はしがき」の最後の部分を紹介します。
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第二次世界大戦以前において, 生糸輸出額は日本の輸出総額の3割を占めていた. そして日本産生糸のアメリカ市場における占有率は, 1880年代末に5割, 1910年代に7割, 1920年代には8割を占めた. 近代製糸業の発展は, 特定の輸出産業が圧倒的な競争力を確保して経済発展を先導するという, 近代以降の日本が繰り返すことになる経験の最初のひとつであった. その発展の中心にあった長野県諏訪郡の近代製糸業においては, 画期的な品質管理の方法や賃金決定の仕組みからなる, 効率的な生産組織と労働組織が形成され, それに適した技術が導入された. その結果として, 他の地域とは隔絶した経営発展が見られ, また, 賃金水準にも顕著な上昇が見られた. そればかりではない. 競争的な組織の下に高賃金を得るようになった女性労働者たちは, 家に帰っても父親や夫を軽んじ, ささいな諍いにも離婚を要求するようになったと言われている. その一方, 農村社会にはありえなかった過労自殺も, 報告されるようになる. 資本主義が経済発展を促し, 人間に個人としての自由を与え, 同時に緊張を強いる近代的な世界が, そこには生まれていた.
近代製糸業の勃興が描く, 資本主義的な経済発展の原風景, そこには, 現代社会のように美しくはないが, 躍動的な世界があったはずである. そこに生じていることは, 現代人である私たちの倫理観には, ときに受け入れがたい. しかし, それは, 近代資本主義の歴史を生きた遠い記憶のなかに, たしかに存在する世界でもある.
近代的な資本主義経済を知ることは, 私たちの生きる現代社会の基層を知ることなのであり, そして, 現代社会を築いた先人たちが飼い慣らそうと苦闘した, 野性を知ることでもある. 本書がその手がかりになれば幸いに思う.
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近代製糸業の研究史を辿っていて非常に不思議に感じるのは、諏訪において「賃金水準にも顕著な上昇が見られた」ことを素直に認める人が少ないことですね。
普通に史料を読んでいれば誰でも気づくことなのに、「講座派」系の陰気でビンボー臭い研究者たちはもちろん、あまり思想の匂いのしない研究者も、この明白な事実を、少なくとも積極的に強調はしません。
まして、『あゝ野麦峠』を観て感動するような一般人は、製糸工女が実は高賃金を得ていたという事実、諏訪で実際に展開されたのは「女工哀史」どころか「女工バブル史」だったという事実を知ったら驚愕するのではないですかね。
でもまあ、岐阜県内にだって製糸工場があるのに、飛騨の山奥の人々がわざわざ野麦峠を越えて諏訪に行ったのは給料が高いからに決まっています。
次の投稿からは、そのあたりの高賃金の実態をもう少し紹介したいと思います。
また、「家に帰っても父親や夫を軽んじ, ささいな諍いにも離婚を要求するようになった」という事実も、『あゝ野麦峠』のような通俗映画はもちろん、中村政則『日本の歴史第29巻 労働者と農民』や松沢裕作『生きづらい明治社会』のような通俗歴史書には全く登場しない話ですが、このような女性労働者の意識の変化についても少し検討する予定です。
『近代資本主義の組織』の「はしがき」は起承転結の四つに綺麗に分かれますが、これでラストです。(pⅳ以下)
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近代的な経済発展の始まった100年ほど前の日本経済においては, 当然に, 生産性の低い農業と在来産業の構成比が大きく, 1880年代から1900年代までの間, マクロ・レベルにおける実質賃金の上昇は極めて緩慢であった. 石川啄木が,
はたらけど
はたらけど猶わが生活〔くらし〕楽にならざり
ぢつと手を見る 『一握の砂』
と詠んだとき, それは, 日本経済に暮らす多くの人の実感と一致していたはずである. 生産性と実質賃金が上昇しないということは, 努力してもしなくても, 昨日と変わらぬ今日の貧困が続くことにほかならない. さらに, 小農の家に暮らす女性はその家長に隷属していたであろうし, その小農は地域社会を名望家として支配する地主に従属していたであろう. 100年前の日本社会が, 平均的には, 貧しく, 権威主義的で, 停滞した社会であったことに疑いの余地はない. そして, そのなかで暮らした大多数の人々の暮らしを知ることもまた, 重要な営みであろう. しかし, それを観察しても, 資本主義的な経済発展の核心を究明することはできない. それゆえ, 本書は, 平均あるいは全体ではなく, あえて, そうした停滞的な伝統経済を破壊しつつあった, 近代製糸業の勃興に焦点をあててみようと思う.
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何度も比較して恐縮ですが、『近代資本主義の組織』に15年遅れて出版された『生きづらい明治社会』は、「平均的には, 貧しく, 権威主義的で, 停滞した社会」のなかで暮らした「大多数の人々の暮らしを知る」試みのひとつですね。
そして、もちろん「それを観察しても, 資本主義的な経済発展の核心を究明することはできない」でしょうし、松沢氏も別にそんなことは目指していないはずです。
そうかといって、では松沢氏は「停滞的な伝統経済」を観察して、いったい何を究明することができたのか。
おそらく松沢氏は人々が「通俗道徳」の「わな」に嵌ったメカニズムを解明できたと主張されるのでしょうが、果たして松沢氏の説明は、中林氏の言葉を借りれば、「誰もが検証しうる, 帰納的な論理によって構築された, 歴史学的な分析」と言えるレベルの論証なのか。
ま、あまり嫌味を言っても仕方ないので、引続き「はしがき」の最後の部分を紹介します。
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第二次世界大戦以前において, 生糸輸出額は日本の輸出総額の3割を占めていた. そして日本産生糸のアメリカ市場における占有率は, 1880年代末に5割, 1910年代に7割, 1920年代には8割を占めた. 近代製糸業の発展は, 特定の輸出産業が圧倒的な競争力を確保して経済発展を先導するという, 近代以降の日本が繰り返すことになる経験の最初のひとつであった. その発展の中心にあった長野県諏訪郡の近代製糸業においては, 画期的な品質管理の方法や賃金決定の仕組みからなる, 効率的な生産組織と労働組織が形成され, それに適した技術が導入された. その結果として, 他の地域とは隔絶した経営発展が見られ, また, 賃金水準にも顕著な上昇が見られた. そればかりではない. 競争的な組織の下に高賃金を得るようになった女性労働者たちは, 家に帰っても父親や夫を軽んじ, ささいな諍いにも離婚を要求するようになったと言われている. その一方, 農村社会にはありえなかった過労自殺も, 報告されるようになる. 資本主義が経済発展を促し, 人間に個人としての自由を与え, 同時に緊張を強いる近代的な世界が, そこには生まれていた.
近代製糸業の勃興が描く, 資本主義的な経済発展の原風景, そこには, 現代社会のように美しくはないが, 躍動的な世界があったはずである. そこに生じていることは, 現代人である私たちの倫理観には, ときに受け入れがたい. しかし, それは, 近代資本主義の歴史を生きた遠い記憶のなかに, たしかに存在する世界でもある.
近代的な資本主義経済を知ることは, 私たちの生きる現代社会の基層を知ることなのであり, そして, 現代社会を築いた先人たちが飼い慣らそうと苦闘した, 野性を知ることでもある. 本書がその手がかりになれば幸いに思う.
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近代製糸業の研究史を辿っていて非常に不思議に感じるのは、諏訪において「賃金水準にも顕著な上昇が見られた」ことを素直に認める人が少ないことですね。
普通に史料を読んでいれば誰でも気づくことなのに、「講座派」系の陰気でビンボー臭い研究者たちはもちろん、あまり思想の匂いのしない研究者も、この明白な事実を、少なくとも積極的に強調はしません。
まして、『あゝ野麦峠』を観て感動するような一般人は、製糸工女が実は高賃金を得ていたという事実、諏訪で実際に展開されたのは「女工哀史」どころか「女工バブル史」だったという事実を知ったら驚愕するのではないですかね。
でもまあ、岐阜県内にだって製糸工場があるのに、飛騨の山奥の人々がわざわざ野麦峠を越えて諏訪に行ったのは給料が高いからに決まっています。
次の投稿からは、そのあたりの高賃金の実態をもう少し紹介したいと思います。
また、「家に帰っても父親や夫を軽んじ, ささいな諍いにも離婚を要求するようになった」という事実も、『あゝ野麦峠』のような通俗映画はもちろん、中村政則『日本の歴史第29巻 労働者と農民』や松沢裕作『生きづらい明治社会』のような通俗歴史書には全く登場しない話ですが、このような女性労働者の意識の変化についても少し検討する予定です。