学問空間

「『増鏡』を読む会」、第9回は2月22日(土)、テーマは「上西門院とその周辺」です。

解答編(その2)

2018-11-29 | 松沢裕作『生きづらい明治社会』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2018年11月29日(木)11時07分21秒

諏訪と他地域との賃金格差が具体的にどの程度あったのかを知るための手がかりは、近代製糸業について研究する者なら誰でも最初に手にする『生糸職工事情』(農商務省商工局工場調査掛、1903)にありますね。
同書p193には長野県の205の工場について、須坂・松代・上諏訪・下諏訪別の男女職工数とその賃金の分布(但し工場負担の食費分は含まれず)、p194には「その他諸県」の29工場の男女職工数とその賃金の分布を示した一覧表が出ていますが、中林真幸氏はこの史料から「各地方における近代製糸業女性労働者の1人1日当たり基礎賃金(1901年)」というタイトルの一覧表を作成しています。(『近代資本主義の組織』p41)
それによると、各地域の女性労働者数(人)は、

下諏訪 6,137
上諏訪 2,217
松代   874
須坂  3,291
長野県内計 12,519
その他諸県  2,909

となっており、平均賃金(銭)は、

下諏訪 20.13
上諏訪 21.55
松代  18.39
須坂  13.89
長野県内計 18.62
その他諸県 13.94

となっています。
ここから計算すると、平野村・川岸村を含む下諏訪(諏訪湖の西側)は松代より約9%、須坂より約45%、その他諸県より約44%高いですね。
また、上諏訪(諏訪湖の東側)は松代より約17%、須坂より約55%、その他諸県より約55%高くなっています。
下諏訪より上諏訪の方が若干高いのは意外で、また松代との差はあまりはっきり出ませんが、大雑把に言って下諏訪・上諏訪は須坂や他の諸県よりは約5割高いですね。
そしてこれは、時期的に少し先行しますが、牛山才治郎『日本之製糸業』(有隣堂、1893)に出ている「他府県の製糸家が十円の給料を与へたるものを彼等〔諏訪郡の製糸家〕は十五金尚ほ且つ惜むに足らず」という記述とも一致します。
この牛山才治郎の記述は面白いので、中林氏の「製糸業における労使関係の形成」(『史学雑誌』108編6号、1999)から孫引きすると、

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史料九

工場主にして工女を遇するに厚からざらんか、彼らは忽ち不平を鳴らし蹶然として辞し去らんとす、或は諏訪製糸工場に譜代恩顧の工女少なきを以て製糸家を咎むるもの之れなきにあらずと雖も、是れ実に皮想の見(中略)、工女は恰も野獣の如きものあり、工場主よし之を馴さんとするも彼れ遂に能く馴れざるべければなり(中略)、
伊那、須坂等に於て養成せられたる工女も一たび諏訪製糸家の眼光に触るれば忽ち尾を棹ふて服従せざる可らず、是何の故ぞ、他府県の製糸家が十円の給料を与へたるものを彼等は十五金尚ほ且つ惜むに足らずとなせばなり、彼等の工女傭入に黄金を惜まざること実に驚くべきものあり(中略)、
工女は自由労働者なり、毫も雇主の束縛を受くる者にあらず
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といった具合です。(p12)
給料が一・二割程度高いだけだったら、わざわざ故郷を離れて寄宿舎住まいをする人もそれほど出ないかもしれませんが、平均で五割高となれば話は違ってきます。
まして「等級賃金制」の下で優等工女・一等工女と評価されるような人であれば、故郷に製糸工場が仮にあるとして、そこで働くより数倍の給料を得ることができたはずですね。
なお、「工女は恰も野獣の如きものあり」「工女は自由労働者なり、毫も雇主の束縛を受くる者にあらず」はなかなか興味深い表現であり、『あゝ野麦峠』のようなしみじみとした、というかしみったれた物語には出て来ない民衆像がそこにありそうですね。
この点については、更に史料を紹介します。
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