第265回配信です。
一、前回配信の補足
上西門院が二条天皇によって「出家に追い込まれたのだろう」(p191)とする桃崎氏には、女性、それも女院のような高貴な女性に主体性を全く認めない点で、発想がマッチョに過ぎるのではないか。
ただ、西行・文覚・頼朝等、上西門院の周辺の人々に関する史料は豊富でも、上西門院そのものについての史料は乏しく、分かりにくい女性。
特に分かりにくいのは立后の事情。
准母立后とされながら、後白河天皇の践祚は久寿二年(1155)七月二十四日、即位式が同年十月二十六日であるのに対し、統子内親王の立后は保元三年(1158)二月三日。
二年以上のタイムラグの原因は何か。
上西門院が二条天皇によって「出家に追い込まれたのだろう」(p191)とする桃崎氏には、女性、それも女院のような高貴な女性に主体性を全く認めない点で、発想がマッチョに過ぎるのではないか。
ただ、西行・文覚・頼朝等、上西門院の周辺の人々に関する史料は豊富でも、上西門院そのものについての史料は乏しく、分かりにくい女性。
特に分かりにくいのは立后の事情。
准母立后とされながら、後白河天皇の践祚は久寿二年(1155)七月二十四日、即位式が同年十月二十六日であるのに対し、統子内親王の立后は保元三年(1158)二月三日。
二年以上のタイムラグの原因は何か。
二、中世前期の后位
資料:伴瀬明美氏「中世前期の後宮─后位における逸脱を中心に」〔2025-02-16〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/a3f94f1d4d67b38a29ba7c6d1e8dc654
0258 桃崎説を超えて。(その23)─「二代后」についての河内祥輔氏の解釈〔2025-02-01〕
坂口太郎氏「両統の融和と遊義門院」(その1)(その2)〔2022-07-04〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/a27f1e4680cdec1379fe579abc28de04
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/cd7067087d8851371b5f7e6fa963f23a
遊義門院再考〔2019-04-26〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/89f6135364af467d393614e15fd75662
「『盗み出した』ということの真偽も含めて、実際のところ事の真相は不明なのである」(by 伴瀬明美氏)〔2019-04-26〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/1fadd72cad3a95e02f94b4c3226bc95c
「女房姿に身をやつし、わずかな供人のみを連れて詣でた社前で、彼女は何を祈ったのだろう」(by 伴瀬明美氏)〔2019-04-26〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/23a4bec8713917f5e8f008bee409f16c
三、「後白河の三年間という短い在位期間の最後の年に統子が立后された理由」
「後白河自身の皇統の明示という説」
→栗山圭子氏「准母立后制にみる中世前期の王家」(『中世王家の成立と院政』所収、初出2001)
「統子の皇后宮司の補任を利用した後白河の権力基盤の形成という説」
→植村優恵氏「上西門院統子論」(『総合女性史研究』38、2021)
後白河が主体的に決断したのではなく、むしろ「皇后を必要とする人々」から立后、そして院号宣下が求められたと考えられないか。
→植村優恵氏「上西門院統子論」(『総合女性史研究』38、2021)
後白河が主体的に決断したのではなく、むしろ「皇后を必要とする人々」から立后、そして院号宣下が求められたと考えられないか。
0261 桃崎説を超えて。(その26)─やる気のない帝王・後白河〔2025-02-07〕
(1158) 8.11 後白河譲位 二条践祚
(1159) 2.13 統子、女院号宣下
(1161)12.16 暲子、女院号宣下(八条院、内親王から女院への初例)
統子の准母立后は二条践祚のためであったのか。後白河の准母として皇后になることが、なぜ二条践祚に必要なのか、わからないが。あるいは、一年後の女院号宣下のための前提であったのか。
統子も内親王から女院になれる資格があったのではないか。美福門院の娘と待賢門院の娘では、政治経済的な事情が違うが。
統子内親王の准母立后は待賢門院領の利害関係者からの要請、つまり基本的には経済的理由、というのが私見です。
また、皇后統子の院号宣下(上西門院)は明らかに八日後、二月二十一日に姝子内親王が中宮になるための準備ですね。
中宮・皇后・皇太后・太皇太后の四つのポストが全て埋まってしまったので、誰かを外さないと姝子内親王が入ってこれない、という状況です。
ここから、統子立后により上西門院・後白河と美福門院の関係も別に悪くなっていないことが伺えると思います。
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/50bf14efda18d12f2a7095bf4d89c1e1