学問空間

「『増鏡』を読む会」、第9回は2月22日(土)、テーマは「上西門院とその周辺」です。

箕作麟祥と磯部四郎

2016-08-18 | 天皇生前退位


投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 8月18日(木)11時45分49秒

瀧井一博氏の『明治国家をつくった人びと』、まだ途中ですが、玉虫左太夫や村垣範正など、それほどメジャーでもない人々の見聞録にけっこう面白い記述が多いですね。
それと、箕作麟祥に関する部分に磯部四郎が登場してきたので、あらら、と思いました。(p112以下)

------
 旧民法の廃棄と明治民法の成立は、ボワソナードの悲劇としてしばしば語られる(大久保泰甫『ボワソナアド─日本近代法の父』岩波新書、一九七七年を参照)。だが、それはまた、箕作の悲劇でもある。旧民法から明治民法への転換は、箕作のような翻訳を主とする幕末型洋学知識人から、実際に西欧の地で研鑽を積んだ明治の専門アカデミシャンへの知の覇権の移動であったともいえるからである。かつて明治一二年(一八七九)に司法省内の民法会議でボワソナードの草案を審議した際、起草掛として箕作とともに任に就いていた磯部四郎(一八五一~一九二三)の次の弁は、その内幕を伝えている。磯部は、箕作や穂積、富井、梅とともに、法典調査会のメンバーであった。

私など、斯うやつて、座に列んで居ると、同じ委員仲間の大学の腐れ教授などが、青二才のくせに、自分が、大学教授だとか、何だとか云ふので、生意気に、箕作先生の事を、同等の言葉を使つて、「箕作君」とか、何とか言つて居た。我々は、常に、それを聞いて、先輩を蔑視する奴だと思つた。我々は、箕作先生と、福澤先生は、学問上の先輩として、尊敬すべき方であつて、殊に法律家として、箕作先生を先輩とし、又、之を先生と称して、少しも差支ない御方であると云ふ考へは、始終、念頭を離れなかつた。(前掲『箕作麟祥君伝』、一一五頁)

 磯部の憤懣を裏書きするのが、同じ『箕作麟祥君伝』に収められた梅謙次郎の談である。箕作を指して、梅は例えば次のように語っている。

私と箕作<君>との関係は、明治二十三年が始めてで、時代が違つて居りまして、丁度、箕作君の弟子<ども>が、私の先生に当るのでありました。(同書、一三五頁。傍点瀧井)

 箕作と自分とでは、「時代が違」うというのである。さらに言えば、梅は、幕末洋学者と明治の大学教授とは違うということを言いたかったのではなかろうか。
-------

原文では磯部四郎と梅謙次郎の引用部分は、段落全体が二字分下げてあります。
また、傍点は< >に換えました。
さて、何で私が磯部四郎に注目したかというと、この人は富山出身で、富山藩における廃仏毀釈の中心となった林太仲の弟ですね。
富山藩を追われた後の林太仲がどのような人生を送ったのか、ちょっと気になっているのですが、磯部四郎あたりを追って行くのが近道かもしれません。
ま、余裕がなくて、なかなか手が出せないのですが。

林太中(はやし・たちゅう)について
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/36056d537d7dfc3eb75e41fa285e8514
『林忠正─浮世絵を越えて日本美術のすべてを』
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/7cb5a6bc3b196bf9d8ec0c9e0dcbaa13
「養父林太仲」
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/485f410f37c822d0389440b4c26ba690

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「憑き物」と憲法学者

2016-08-18 | 天皇生前退位

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 8月18日(木)10時42分44秒

数年来の「立憲主義」騒動でやたらと派手に動き回り、最後には参院選挙に出馬してあっさり落選した慶応大学名誉教授の小林節氏は、もう政治には興味がなくなったそうですね。

-----
「憑き物」が落ちたように政治に興味がなくなった

【前略】しかし、わが国の憲法学界には「政治と関わってはならない」という暗黙のルールがあり、私は異端視されてきた。私に言わせれば、政治を避ける憲法学者などは実戦経験のない「切れない」刀を自慢している自称「剣客」のようなものである。
 こうした暗黙のルールのせいで、わが国の憲法論議はまともな憲法学者が不参加のまま、法学の基本的な常識に欠ける評論家などが主導して今日に至っている。
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/187860

小林氏は<わが国の憲法学界には「政治と関わってはならない」という暗黙のルール>が存在していたと言われていますが、これは全く事実に反しており、南野森氏(九州大学准教授)の「一般的に世の中から憲法学者がどのように見られているかということで言いますと、おそらく政治運動をやっている人が多いと見られているでしょうし、憲法学者は法律学者とはかなり違うと見られているでしょう」という評価が適切ですね。
引用部分を含め、私は小林氏の文章に共感を抱く箇所が全然ないのですが、「憑き物」だけはなかなか的確な表現のように感じます。
小林氏以外にも「憑き物」にとりつかれていた憲法学者はけっこういたようですね。

「長谷部先生は、世の中の上澄みの部分を見ておられる」(by 南野森)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/8ce8b37462a3ca44ee103a929f86883d

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ピーター・パン憲法学

2016-08-17 | 天皇生前退位
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 8月17日(水)09時58分3秒

>キラーカーンさん
>「新進気鋭」の木村草太氏は樋口氏の弟子
昨年4月に「木村草太氏について」という投稿をしたら、ブログ「学問空間」にコメントをつけてきた事情通らしき人がいて、その人によれば木村氏の指導教官は高橋和之氏だそうですね。
ま、どうでもよいことですが。


どこで書いていたか忘れましたが、木村氏は長谷部恭男氏の『比較不能な価値の迷路―リベラル・デモクラシーの憲法理論』(東京大学出版会、2000)に感銘を受けて憲法学者になることを決めたそうですね。
また、東大社研教授だった奥平康弘氏(1929-2015)の影響も相当受けたとのことで、奥平氏とは共著も出していますね。
木村氏と『憲法学再入門』という共著を出している北海道大学准教授の西村裕一氏も奥平氏の影響を強く受けているそうで、「お気持ち」関係の朝日新聞記事にも、さもありなんという記述が見られます。

-------
「お気持ち」切り離し議論を 西村裕一さん

【前略】 生前退位の可否については、天皇の「能力」を前提とした議論とは別に、人権論の観点からも考えることができます。憲法学者の故・奥平康弘先生のいう「脱出の権利」としての「退位の自由」です。天皇は、職業選択の自由もなく、婚姻の自由や表現の自由も制約されている存在です。そのような重大な人権制約を正当化するためには「ふつうの人間」になる権利が認められなければならない、というのが奥平先生の主張です。
 もっとも、仮に天皇に退位の自由を認めるとしても、別の「誰か」の人権が制約されることに変わりはありません。天皇制は一人の人間に非人間的な生を要求するもので、「個人の尊厳」を核とする立憲主義とは原理的に矛盾します。生前退位の可否が論じられるということは、天皇制が抱えるこうした問題が国民につきつけられる、ということを意味します。
 80歳を超えて、退位を望んでも認められないのはお気の毒であると考える人も多いでしょう。しかし、天皇をそのような境遇に追い込んでいるのは誰なのか、国民は自覚すべきであると思います。


奥平康弘氏の著書を読むと、その文章は本当に若々しくて、永遠のピーター・パンという感じがします。
私などついついシニカルに眺めてしまいますが、木村・西村氏あたりの世代となると、ピーター・パン憲法学が新鮮に感じられるのでしょうね。

>筆綾丸さん
>『明治国家をつくった人びと』
私も入手してパラパラめくってみましたが、終りの方の「伊藤博文と井上毅」には特に興味を惹かれました。
全部読んでから少し感想を書きたいと思います。

※キラーカーンさんと筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

再びの駄レス 2016/08/16(火) 00:31:54(キラーカーンさん)
>>憲法学界の辺境にいる殆ど市民運動家的な存在

真淵勝京大名誉教授(政治学・行政学:現立命館大教授)が、京大教授になる前

憲法学の教授が、あれほどまでに自身のイデオロギーを前面に出した議論をするのには驚いた
政治学では、あんな議論はしない(もっと、学術的な議論に徹し、イデオロギー論争はしない)

という旨のことを言っていたのを思い出しました。
ただ、憲法学の授業(佐藤幸治の弟子で現在は在外)を受けた感想と似たり寄ったりでしたので
「やはり」という感想しかありませんでした。
そういう「先入観」があるので、小太郎さんの先の引用文も「さもありなん」といったところです。
ということで、樋口陽一氏が帝国憲法と無答責を絡めて述べている時点で

(樋口氏の思想傾向から)結論は見えている

としか言いようがありません。

「至高の経典」である日本国憲法の前では、帝国憲法は「永遠の悪役・引き立て役」

以外の役割を与えられることはありえないというのが

樋口氏も含めた現代日本の憲法学の常識
(「新進気鋭」の木村草太氏は樋口氏の弟子)

でしょうから、一般的な傾向として憲法学者が帝国憲法と絡めて論を進めている場合、そのような

(必要以上に帝国憲法を貶める)イデオロギー的偏向

を読み取って、その「偏向」を取り除く作業が必要となります。
で、「お言葉」に対する憲法学者の見解を新聞紙上で確認しましたが
(あと『世界』には横田耕一氏の見解が載っているのは目次で確認しましたが
 掲載誌が掲載誌なので、結論は見えていますので、本文は読んでいません)

憲法上規定のない「象徴としての公務」を前提とする「お言葉」は、
(象徴)天皇制の強化につながるので認めたくない
(できれば、そのような「非人道的な扱い」をする天皇制そのものを
 今回の「お言葉」を機会に廃止への議論を提起したい)

という「天皇制に対する懐疑・敵意」というものが垣間見えるという意味で
先の投稿の見解を返るようなものではありませんでした。

>>統帥権独立

統帥権の独立自体は、恐らく、「当時の慣行」を「(正当な)既得権」として追認したというのが
実際のところだと思います。

それでも、統帥権の輔弼者は参謀総長と軍令部(総)長というのが「憲法習律」として
確立していましたから、その点でも、「君主無答責」の原理は貫徹していたといえると思います。
もちろん、輔弼者(機関)相互間の調整機能について、帝国憲法は天皇以外の「機関」を
定めていなかったのは、制度設計上の「ミス」であり(強いて言うなら、枢密院は
その機能を果たせる可能性があった。山縣死後、枢密院に元老の後継機能を負わせるという議論もあった)、
その「ミス」を埋めたのが「元老」と言われる「特別な政治家」であったのですが。
(帝国憲法制定時、彼らは全員閣僚・枢密院議長だったので、その「ミス」に気づかなかった
 というのが、実際のところであったと推測します。で、強引に元老と話を結びつける)

で、確かに、「君主無答責」は不敬罪と(大臣)責任政治との混合物でしょうから、

>>「立憲的無答責原則」説も帝国憲法の全てを綺麗に説明できた訳ではなく

というのは、事実の一面を示していると思います。
その「あいまいさ」が現代において立憲君主制が比較的安定している政体である一因だと思います
(政治体制論では大統領制の方が議院内閣制よりクーデター等で民主主義が倒れるリスクが高い
 という命題の当否が論点となっています。
 それは、最近のわが国でも「改革派首長」と議会との対立による政治の停滞リスクという形で
 表面化しています)

法の内なるポエジー 2016/08/16(火) 12:39:37(筆綾丸さん)
小太郎さん
保阪氏が、皇后陛下の「私は何一つ母を越えることができなかったんですよ」という印象深い言葉を紹介していますが、これなどは珍しい告白になるのでしょうね。

ご紹介の瀧井一博氏の著作の内、『明治国家をつくった人びと』を読みはじめました。
福沢諭吉とシュタインの関係を通じて constitution の意味内容を論じた第一章も面白いのですが、サヴィニーの高弟ヤーコプ・グリムの「法の内なるポエジー」に触れた箇所が興味深いですね。
-----------------
 法と詩歌(ポエジー)が一体のものだった原初の時代の民族精神を細分化せずにそのままのかたちで汲み取ること。それがグリムがサヴィニーより継承した歴史法学というものだった。「法の内なるポエジー」という珠玉の論稿のなかでは、法のシンボル的研究というかたちでそれが実践されている。そこでグリムは、法と詩歌の一体性を慣習法上の諸々の行為がはらんでいるシンボル性に着目して究明しているのである。グリムを先蹤とする法のシンボル学は、今日の法制史のなかでも重要な方法として認知されている。
 グリムが指摘するように、法はシンボルの宝庫といってよい。ことに西洋法制史を学んでみると、形式的合理性を旨とする欧米法が、今日なおきわめてシンボル的なイメージや作用に満ち満ちた世界であることに気づく。(101頁)
-----------------
憲法第1条「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」と旧憲法第3条「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」は、全く別の衣裳を纏っているようにみえるけれども、余分な衣裳を脱がせてしまえば、古代の記紀の世界と同工異曲であって、両者とも「法の内なるポエジー」の変奏曲にすぎんのではないか、という反時代的な気がしないでもありません。

キラーカーンさん
『明治国家をつくった人びと』に、佐藤幸治氏への言及がありますね。
-------------
明治期に constitution の訳語として「憲法」が定着した結果、「『憲法』というとまず憲法典が思い浮かべられ、constitution が本来もっていた微妙な味わいが失われることにな」ったとし・・・(41頁)
-------------
constitution の訳語としては、司馬遼太郎のいう「国のかたち」がふさわしい、と氏は述べている。
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立憲的無答責原則と神権的無答責原則(その2)

2016-08-15 | 天皇生前退位

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 8月15日(月)10時31分10秒

昨日、若干長めに引用した樋口陽一氏の「君主無答責原則と天皇」(『ジュリスト』933号、1989)ですが、【中略】【後略】とした部分、特に佐々木惣一の見解は少し調べる必要がありそうなので、備忘のため、メモしておきます。
参照の便宜上、既に引用済みの部分との重複を厭わず、正確に引用します。(p98以下)

------
 ところで、最近よくいわれる議論として、<帝国憲法下の天皇は立憲君主だったから無答責>という主張がある。このいい方は、misleading 以上に、tricky というべきであろう。少なくとも、三点をあげておかなければならない。
 第一に、ここでいう神権的無答責原則の主張者も、帝国憲法を「立憲政体」を定めたもの、としていたからである。立憲的無答責原則を説く美濃部にとって、「立憲政治は責任政治」であり、大臣責任制は、まさしく「国民殊にその代表者としての議会が政治を論評して大臣の責任を問ひ得ることを意味する」がゆえに、立憲政治の核心とされた(前掲二一-二二頁)。それに対し、穂積のいう立憲主義は、「英国輓近ノ所謂議院政治ノ如キ其ノ実ヲ以テスレハ専制ノ政体ニ近シ」(前掲一二二頁)「之ヲ立憲政体ト称スト雖モ、実ハ其ノ変態タリ」(一二六頁)というようなものであった。つまり、同じ「立憲」の名のもとに、一方は大臣の対議会責任を主張し、他方はまさしくそれを否定していたのである。戦前・戦中の日本について「立憲君主」という用語を使おうとする論者は、どちらの意味で使うのかを明確にしながらそうする必要があるだろう(ヨーロッパ語でも、Konstitutionalismus を議会中心主義 Parlamentarismus に対抗的な意味で使う文脈と、それとは正反対に、一七八九年人権宣言一六条のいう の定義に沿った近代立憲主義を基準として考える見地とがある。後者を基準とすると、前者が Konstitutionalismus と呼ぶものは、逆に Scheinkonstitutionalismus として位置づけられることとなる)。
 第二に、立憲的無答責論者自身、重要な一点で、立憲政治=責任政治の原則がおこなわれないことを承認していた、という点がある。統帥権独立にかかる問題がそれであり、旧一一条の解釈として、美濃部は、天皇の統帥大権を国務大臣の輔弼外におき、「軍機軍令」に関するいわゆる帷幄上奏の制度を定めた官制を、みとめていたからである(その際、憲法以前の慣習と官制を斟酌してそういうのであり、「将来之を改めて軍の統制に付いても等しく内閣の責任に属せしめ〔るの〕も、敢て憲法の改正を必要とするものでな」い(前掲二五五頁)とした。こうして、「兵力を強からしめん」とするために、「国政の統一と責任政治の原則とに多少の犠牲を拂」(二五六頁)う制度が承認されたのであり、その限度で、君主無答責が大臣責任から切り離され、「天皇ノ国務上ノ行為ノ結果ニ付テ国民ハ責任ヲ問フヲ得ザルに至ラン。是レ明ニ立憲政治ノ根本要求ニ反ス」(佐々木惣一『日本国憲法要論』三八七頁。─なお、佐々木は、帝国憲法の解釈として統帥権の独立を認める説を、「是レ一ノ独断タルノミ、何等法上ノ根拠アルナシ」とし、「今日我国ニ於テハ慣習法上」この制度があるだけだ、ということを強調している(三八四頁))という事態があったのである。
 第三に、国務大臣輔弼事項について立憲的・君主無答責原則があてはまるような憲法運用がおこなわれた時期があったにしても、そのような運用自体が、一九三五年の天皇機関説事件の経過のなかで、ほかならぬ、天皇を輔弼する任にある政府によって否定されたことを、どうとらえるのか、という問題がある。ここで天皇機関説事件のてんまつをあらためて辿ることはしないが、一連の経過の幕引きをすることとなった「国体明徴に関する政府声明(第二次)」(一九三五・一〇・一五閣議決定)は、「漫リニ外国ノ事例学説ヲ援イテ我国体ニ擬シ統治権ノ主体ハ 天皇ニ在サズシテ国家ナリトシ 天皇ハ国家ノ機関ナリトナスガ如キ所謂天皇機関説ハ神聖ナル我国体ニ悖リ其本義ヲ慫ルノ甚シキモノニシテ、厳ニ之ヲ芟除セザルベカラズ」としたのであった。
 このようにして、立憲的・君主無答責原則そのものを否定する憲法運用が、無答責の地位にある天皇の名において正統化されることとなる。そのような事態は、神権的・君主無答責論者の立場からいえば、本来あるべきすがたへの復帰にほかならない。それに対し、立憲的・君主無答責論者の立場からすれば、事態のとらえ方はどうなるのであろうか。
 立憲的・君主無答責原則の妥当する前提そのものを否定する憲法運用に裁可を与えることも、立憲君主のなすべき法的義務なのであり、したがって、そう行動したことにも、立憲的・君主無答責原則は適用されるのかどうか。
------

検討はまだ続くのですが、さすがに長くなりすぎたので省略します。
第一の点、数年前からの「立憲主義」騒動においても、「立憲主義」の言葉で何を意味しているのかが論者によって千差万別で、中には御成敗式目が日本における立憲主義の始まりだ、みたいな訳の分からないことを叫んでいた歴史研究者もいました。
また、市民運動家は自分の気に入らない対象を非難するスローガンとして「立憲主義に違反する」みたいな言葉を投げつけていましたが、学問的な世界においても「立憲」「立憲主義」概念は混乱が目立ち、特にドイツの議論は分かりにくいですね。
『法学教室』428号(2016年5月号)では赤坂正浩氏が「ドイツにおける『立憲主義』」を論じられていますが、これを最初に読んだ時は用語だけでちょっと混乱してしまいました。

『法学教室』428号
http://www.yuhikaku.co.jp/hougaku/detail/019574

第二の点、後で少し検討したいと思います。
数か月後になるかもしれませんが。
第三の点については、樋口氏が答えを書いてしまっているので、興味のある方は見て下さい。

立憲的無答責原則と神権的無答責原則
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/a7aad3ef56d6a4147feb549309cb045f

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「人間の良し悪しを口にすることは絶対にない」

2016-08-14 | 天皇生前退位

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 8月14日(日)13時38分1秒

『元老―近代日本の真の指導者たち』は未読で、筆綾丸さんとキラーカーンさんの話題について行けないのですが、伊藤博文に関しては瀧井一博氏の『伊藤博文─知の政治家』(中公新書、2010)を読んで、少しずつ勉強しているところです。
瀧井氏によれば、伊藤博文の「再評価を精力的に牽引してきた」のが伊藤之雄氏の『立憲国家の確立と伊藤博文』(吉川弘文館、1999)、『立憲国家と日露戦争』(木鐸社、2000)、『伊藤博文─近代日本を創った男』(講談社、2009)といった一連の業績で、瀧井氏自身は「伊藤(之雄)氏の研究によって示唆されている伊藤の立憲国家の理念に密着し、その思想内在的解明を試みたいと考えている」そうですが(p353)、『伊藤博文─知の政治家』は確かに瀧井氏が「伊藤の思想性を問うべき地点」(同)の最先端にいることを感じさせますね。

>筆綾丸さん
ご紹介の半藤一利・保阪正康氏の対談「我らが見た人間天皇」を読んでみましたが、保阪氏が二十数年前、秩父宮妃へインタビューをした際、

-----
「昭和十六年十二月八日、大平洋戦争が始まった時、秩父宮さまは日英協会の総裁でしたけど、お気持ちはどのようなものだったのでしょうか」
 と質問したんです。すると妃殿下は、
「あの年の秋はよく雨が降りました。殿下とは作物が例年どおり採れるのか心配ですね、という話をしておりました」
 とだけ、答えて下さった。
-----

という禅問答のようなやり取りがあったことを紹介した後で、半藤氏が、

-----
陛下もまったく同じですね。我々の歴史の話には真剣に耳を傾けてくださいます。しかし、特別に納得したようなお顔はなさらないし、解釈が生じるような相槌もうたないことがほとんどです。ただ身をのりだすようにお聞きになってくださいました。私は、そのお姿に誠実さを感じました。それと印象に残ったのは、人間の良し悪しを口にすることは絶対にないことでした。
-----

と言っている点は興味深いですね。
半藤氏以外にも皇族に接した多くの人が類似の感想を述べていますが、皇室を政治的に利用しようとする人々への警戒が習慣化され、殆ど芸術的にまで洗練された人格態度になっているようですね。
とすると、筆綾丸さんの「下司の勘繰りにすぎませんが、今上陛下は現在の首相がお嫌いのようで……」も、永遠に謎となりそうですね。
ま、私は、少なくとも鳩山由紀夫や菅直人よりは安倍さんへの評価が高いのではないかと思っていますが、これも希望的観測ないし下司の勘繰りですね。

>キラーカーンさん
ご紹介のtogetter の纏めを読んでみましたが、憲法学者が南野森氏だけではさすがにちょっと物足りないですね。
南野氏は憲法学界の辺境にいる殆ど市民運動家的な存在、と私は思っています。

井上毅の評価
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/dd8c67a5d6e06b6243d6e78ec1eef1a1


※キラーカーンさんと筆綾丸さんの下記九つの投稿へのレスです。

わが国の元老と他国との類似例 2016/08/07(日) 22:55:34(キラーカーンさん)
>>西欧では、日本の元老はこの程度にしか理解されていないのですね。

日本語の文献では『イギリス二大政党制への道―後継首相の決定と「長老政治家」』(君塚直隆 著)

があります。同書の最後で、この英国の「長老政治家」とわが国の「元老」との類似性と比較
がなされています。あるいは、特に、参議から大臣に「横滑りした(黒田と山田も含む)」7(8)人
については、単刀直入に「the Founding Fathers」として、説明したほうがよいかもしれません。

個人的には、欧州人には前者、発展途上国及び米国人については後者で説明するほうがわかりやすいと思います。

補論
個人的には、元老や「1900年体制」の「山縣閥」あるいは「非選出勢力(官僚、軍部)」
というものは、わが国では権威主義体制の象徴として、非常に評判が悪いですが、
独立・内戦・クーデターなど、「武力」によって打ち立てられた政体が「穏便に」民主化するためには
必要な存在であったと思っています。(山縣有朋「星一徹」説)

タイヤパキスタンのように、民政→クーデター(軍政)→民政移管→クーデター

という、「輪廻」を繰り返している国あるいはそのリスクがある国に対して、わが国の

明治維新から「憲政の常道」までの歩みで、非選出勢力の「中立性」が果たした功罪の「功」
をもっと宣伝してもよいのではないかと思います。
イタリアも、政治危機の際には、「超然内閣」で危機を乗り切るということを何度か行っている
という例もこの証左となるでしょう。

象徴の院政化 2016/08/10(水) 12:08:24(筆綾丸さん)
天皇のお言葉で驚いたのは「天皇の終焉」という表現で、このたびの表明は私の遺言だよ、という意味なんだろうな、と思いました。

キラーカーンさん
http://baike.baidu.com/view/3623825.htm?fromtitle=%E9%87%87%E8%8A%91&fromid=10842820&type=syn

http://baike.baidu.com/view/1197616.htm

伊藤氏『元老』に、元老は詩経に由来するとあり、いろいろググってみましたが、日本語には碌なものがなく、仕方なく中国語で読んでみました。
『詩経』小雅・采芑に、「方叔元老」とあり、元老とは年長功高的老臣の意で、方叔は南方の蛮族(愚蠢)を討った、とあり、「百度百科」には、方叔は周の宣王の賢臣で、方氏の始祖にして赫々たる武勲を挙げ、魏の曹植は方叔の如き臣を求めた、とあります。要するに、西周の英雄なんですね。
元老と老子、中国では、どちらのほうが偉いのでしょうね。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%A3%E7%8E%8B_(%E5%91%A8)
しかし、西周は宣王の子の幽王で滅びるから、明治天皇を宣王に、病弱の大正天皇を幽王に擬えて、元老などとは縁起でもない、とひそかに憤慨していた漢学者がいたかもしれないですね。

日経朝刊(8月9日37面)に、次の記述があり、ちょっと驚きました。
---------------
天皇に政治的権力のない現憲法下では院政のような弊害は考えられないが、新天皇よりも国民から長年敬愛されてきた前天皇に親しみが集まる「象徴の院政化」もありえる。
---------------
le gouvernement retiré(院政)に倣っていえば、象徴の院政化は le symbolisme retiré(引退した象徴性)とでもなりますか。

小太郎さん
日経朝刊(8月10日38面)に、皇室典範の起草者井上毅は譲位容認の根拠としてブルンチュリの説を引用した、とあり、あのハイデルベルクの墓地を思い浮かべました。

http://www.lemonde.fr/asie-pacifique/article/2016/08/07/l-empereur-du-japon-va-s-adresser-au-peuple-pour-evoquer-son-avenir_4979555_3216.html
ル・モンドはかなり詳しく報じていますが、L’empereur du Japon ouvre la voie à son abdication(日本の天皇、譲位の道を拓く)という表題は、勇み足ですね。また、院政が政治の不安定化をもたらすとして、Ce fut le cas lors de la rébellion Hogen entre 1156 et 1159.と保元の乱に触れていますが、これでは、「叛乱」が1156~59年の3年間も続いたように読めてしまいます。平治の乱は別物で、保元の「叛乱」は1156年7月の数日で終息しているから、entre 1156 et 1159 ではなく en 1156 と書くべきです。もっとも、フランス人にはどうでもいいような内乱ですが。と書くと、崇徳院に叱られるだろうな。

http://www.bbc.com/news/world-asia-37007106
BBCは、表題は Japan's Emperor Akihito hints at wish to abdicate とし、本文冒頭では Japan's Emperor Akihito has strongly indicated he wants to step down とするなど、日本の建前と本音を綺麗に書き分けて見事だなあ、と感心しました。
https://en.wikipedia.org/wiki/Exyrias_akihito
BBC が Ten things you may not know の 10. He has a fish named after him で触れている Exyrias Akihito のウィキには、不思議なことに、というか、いかにも日本的ですが、日本語の説明がないのですね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%AF%E3%83%88%E3%82%A5%E3%82%B9
また、Japanese Journal of Ichthyology の Ichth-(魚)は神(キリスト)の象徴だから、4. He is not a god に but a symbol を付加すれば、味わい深くなりますね。

当座の感想 2016/08/11(木) 01:31:18(キラーカーンさん)
陛下の「お言葉」を見ましたが、「平成の玉音放送」ではなくて「平成の『四方の海』」という
印象を受けました。で、感想としては、どこかのツイッターにあったのですが

「陛下のお気持ちを汲んで制度を変更する」ことはNGなので 、
「別にあんたのためにやったんじゃないから、勘違いしないでねっ!!」
というツンデレ的な対応が政府に求められるという展開になりました。

憲法学的には

 天皇の行為について、国事行為、公的行為(象徴としての行為)、私的行為の3分類説で
 事実上の決着がついた

というのが、最大の成果で、その結果として

 憲法上、国事行為以外の「象徴」としての行為については、何ら規定がない
 (今上陛下の行動が「憲法習律」となった)

というところでしょうか。その点を受けて、現代史学者の古川隆久氏は

憲法に規定のない公務を理由に退位を論じるのは踏み込み過ぎの感がある

との見解を述べたようです(毎日新聞)。
また、陛下は「上皇としての活動」を予定していないようです
(一皇族としての活動までは否定していない)

いずれにしても、「お言葉」では憲法上規定のない「象徴としての行為」への言及が大部を占めた以上
「3分類説」に従って、「象徴行為」を憲法上位置づける必要が生じたのではないでしょうか
(それが、憲法改正を伴わないものとしても、理論的整理は必要)

狂瀾は既倒に廻らせず 2016/08/11(木) 15:27:24(筆綾丸さん)
『我らが見た人間天皇』(文藝春秋9月号:半藤一利/保阪正康)によると、両氏は、6月14日19時頃、宮中に招かれて、両陛下と雑談されたそうですが、興味深い内容ですね。

陛下は摂政を否定されたので、皇室典範第16条を若干いじれば済む、というような事勿れ主義は封じられたと見るべきなんでしょうね。
下司の勘繰りにすぎませんが、今上陛下は現在の首相がお嫌いのようで、「など波風のたちさわぐらむ」を反転させて、少し波風をお立てになられた、という感じがしないでもありません。

憲法学をはじめ法学者は、どのような見解なのか、いろいろ聴いてみたいところです。
天皇のお言葉から制度変更まで、どのくらいの冷却期間を置けば、憲法第4条に違反しない、と法的には考えられるのか。数年か。

http://bookclub.kodansha.co.jp/product?isbn=9784062883788
関係ありませんが、大川慎太郎氏『不屈の棋士』を面白く読みました。

ツイッターランドでの憲法学者の呟き 2016/08/12(金) 01:16:00(キラーカーンさん)
>>憲法学をはじめ法学者は、どのような見解なのか、いろいろ聴いてみたい

ツイッターランドでのつぶやきは
天皇陛下「お気持ち」に関する社会学・法学系文化人論考集(大学教授を中心に)
http://togetter.com/li/1009986
にまとめられています

一読した感想では、「天皇(制)に対するそこはかとない『悪意』が滲み出ている」でした。
憲法学者のつぶやきあまりなされていないようですが、独断と偏見を含めて、
「憲法学会の空気」を想像すれば

憲法学上、天皇を貶めることは許容できても、現状維持すら許せない
憲法学会では「反天皇制」がデフォ。現在は、「憲法に規定がある」から、「仕方なく」認めている
(憲法第1章は『邪魔物』であって、本当は『削除』したいが、護憲論との関係上、その議論は
 提起できないので、天皇制については、何も語るつもりはない)

ということなので、件の「お言葉」は

「余計なことをしやがって」と苦虫を噛み潰していることでしょう。

上記のまとめにもありますが、「憲法学者」がつぶやかないというのは、
そういう「学会の空気」を反映しているものと推測しています

アナクロニズムと後水尾院 2016/08/12(金) 15:00:50(筆綾丸さん)
ツイッターランドには関心がないのですが、ちょっと読んでみました。
原武史氏の大袈裟なツイッター(8月5日)には、正直、魂消ました。もっとも、そう思いたければ、思えばいい、というだけの話なんですが。
-------------
展開がいよいよ1945年8月15日に似てきた。午後3時からの放送告知は正午に重大放送があることを告知した8月15日のラジオ放送に似ている。そして放送の後に首相がコメントを用意するのは、玉音放送の後に鈴木貫太郎首相の名で内閣告諭が発表されたのと似ている。全く信じがたい事態だ。
-------------

https://twitter.com/takehiroohya
大屋雄裕氏は名大から慶大に転じ、相変わらず、元気ですね。
----------------
天皇は世襲原理が憲法に規定されているが摂政はそうでないので別に非皇族でも(憲法上は)構わないのだが(歴史的にもそうですね)、よく考えたら憲法は天皇の人数を定めていないのではないだろうか。天皇がゼロで常に摂政が置かれている状態、逆に二人いて職務を分担している状態の憲法適合性如何。
----------------
ごく普通の言語感覚で憲法を読めば、天皇は一人だと思いますけどね。複数の天皇と読むのであれば、日本国・国会・内閣総理大臣・・・も仲良く複数にしなければ、整合性がなくなるような気がします。

http://www.bbc.com/news/science-environment-37047168
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%82%A4%E3%82%BA%E7%A2%BA%E7%8E%87
炭素14法とベイズ統計で年齢を推定して、もっともありそうなのは四百歳だそうですが、そうすると、生まれたのは後水尾天皇即位の頃になりますね。

駄レス 2016/08/12(金) 22:51:24(キラーカーンさん)
>>後水尾院
今上陛下の場合は、さすがに、「にわかの譲位」とはならなかったようですが。

>>仲良く複数
皇后・中宮並立制もありましたから・・・
アンドラ公国のように共同元首の国もありますが・・・

ただ、複数制の場合、各人の意見衝突の処理規定を置く必要がありますが、
それは「憲法事項」となるでしょう。
(国事行為や「統治行為」に「表見代理」の規定を流用するわけにも行かないでしょうから)

ナチスのコーヒー豆 2016/08/13(土) 12:54:25(筆綾丸さん)
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S22/S22HO004.html
http://www.kunaicho.go.jp/kunaicho/kunaicho/yosan.html
陛下は後水尾天皇の評伝を読まれたそうですが、それは久保貴子氏の『後水尾天皇』なんでしょうね。太っ腹な江戸幕府は修学院離宮を造営してあげたけれども(というか、東福門院和子の手前、出費せざるを得なかったでしょうが)、現行の皇室経済法上、離宮の造営は可能かどうか。第2条1号に拠れば可能かもしれないですね。

第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
の英訳は、
Article 1. The Emperor shall be the symbol of the State and of the unity of the people, deriving his position from the will of the people with whom resides sovereign power.
ですが、大屋氏の仮説に拠れば、誤訳の可能性があり、The Emperors としなければなりませんね。その場合、symbol と unity も併せて symbols と unities となり、憲法の複雑系化・カオス化が進み、常人には理解できなくなるでしょうね。

文藝春秋(9月号)の話で恐縮ながら、銀座の珈琲店主関口一郎氏と俳優の松重豊氏の対談で初めて知ったのですが、「群馬のコーヒー事件」なるものがあったのですね。
--------------
関口 群馬は昔から養蚕が盛んでしょう。昭和二十三年に繭関係の倉庫から大量のコーヒー生豆が出てきて、地元の役人たちが復興資金に充てようと売りさばいて問題となった。その豆は、もともとナチス・ドイツが持ち主だといわれています。
松重 ドイツのコーヒー豆がどうして群馬の繭倉庫に?
関口 第二次大戦前にドイツは、現在のインドネシアから良質のコーヒー豆を海上輸送していたんです。戦争が始まると、イギリスが支配するスエズ運河を通れなくなった。潜水艦で喜望峰をまわって運んだこともあるらしいけど、Uボートなんか狭くて大量に詰めないでしょ。それで三国同盟の日本に陸揚げして、シベリア鉄道でドイツまで陸送する準備を進めていたら、こんどは一九四一年に独ソ戦が始まって計画がストップした。日本では空襲が激しくなると各地に疎開させて、前橋あたりで空いていた乾繭倉庫に入れたんです。
松重 それが戦後になって、売りさばかれたと。数奇な運命をたどったコーヒー豆ですね。
関口 持ち主のナチスはもう消滅したし、戦後のどさくさですからね。ある商社が「古いコーヒー豆だけど買わないか」とうちに持ってきたんです。サンプルを見るとスマトラ産のマンデリンで、なかに半透明の鼈甲色になったものがありました。『ALL ABOUT COFFEE』に書いてあったオールドコーヒーの最高条件です。もう飛びつきましたよ。飲んだら極上の玉露みたいに、まったりとした甘みが口のなかで広がる。「生きててよかった」と思える味でした。いまだに、あの味を超える豆には出会えません。(206頁)
--------------
http://www.h6.dion.ne.jp/~lambre/
真偽のほどはわかりませんが、ヒトラーやゲッベルスたちは、こういうコーヒーを飲んでいたということか。
フランス語の店名にある ambre は、上記の「スマトラ産のマンデリンで、半透明の鼈甲色」に由来するのでしょうね。
こんど、銀座に出たら、立ち寄ってみます。

カルト的な使命感 2016/08/14(日) 12:04:10(筆綾丸さん)
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784480063809
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784620323756
大屋雄裕氏のツイッターは刺激的で面白いのですが、著書の『自由とは何か―監視社会と「個人」の消滅』はごく尋常な内容で退屈です。井上達夫氏の『憲法の涙』を併せ見ると、弟子より師匠のほうが面白いと思いました。
--------------
 ・・・日本の憲法学者は、人権保障とかの分野ではいい仕事をしている人も多いけど、九条問題になると、学問的な良心や知的廉直性とか一切忘れて、特定政治勢力へのイデオロギー的奉仕活動をやっている。自律性もなくなって、ただの政治的党派の広告塔か追随者になっている。もちろん例外もあるでしょうが。
ーなぜ、憲法学者たちがそこまでおかしくなるのか。理解しがたいですが。
 要するに、立憲主義と平和主義が予定調和の関係にあって、それを守るのがおれたちの使命だ、みたいな。べつに学問としての憲法学とは関係ない、ある種のカルト的な使命感をもっちゃったんでしょうね、日本の憲法学は。
 自分たちは九条を守ることで日本の平和に貢献してきた、という自己欺瞞。いや、今はもう、はっきり言って自分たちでもそれが嘘だ、日本の平和は九条違反の自衛隊と安保のおかげだと気づいていると思うから、ただの欺瞞だな。ただ立場上、旗を下ろせない、というね。(114-115頁)
--------------
尾高シューレ(学派)への言及がありますが(105頁)、師匠(碧海純一)の師匠は尾高朝雄なんですね。

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立憲的無答責原則と神権的無答責原則

2016-08-14 | 天皇生前退位
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 8月14日(日)12時46分12秒

>筆綾丸さん
子亀レスですが、帝国憲法下の無答責原則についての私の、そしてキラーカーンさんの説明はあくまで美濃部流の民主的・合理的解釈であって、もちろん別の解釈も存在していました。
樋口陽一氏の「君主無答責原則と天皇」(『ジュリスト』933号、1989)という論文にポイントが整理されていたので、少し長くなりますが、引用してみます。

------
 帝国憲法三条(「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」)の解釈として、天皇が法=政治責任を負わないという結論は同じでも、その根拠としては、正反対の二つの立場があった。神権的・君主無答責原則とでもいうべきものと、立憲的・君主無答責原則とよぶことのできるものが、対立していたのである。
 立憲的無答責原則とは、「立憲政治は責任政治である」(美濃部達吉『憲法精義』初版二一頁)ことを大前提としたうえで、大臣責任制(旧五五条)の積極的な位置づけをすることによって、君主について、「権能なきところ責任なし」という考え方を適用することを意味した。美濃部達吉は、五五条の解釈として、「国務大臣の進言を嘉納せらるるや否やは聖断に存するのであるが……」と断りながらであるが、「君命と雖も若しそれが憲法法律に違反し若くは国家の為に不利益であると信ずるならば、国務大臣は之に従ふことを得ないもので、之を諌止することが輔弼者としての当然の義務である」(五一三頁)とし、しかも、その国務大臣は「議会に対して責に任ずる者」(五四五頁)としていたのであった。旧三条の理解として、天皇に「政治上の責任なきこと」を『憲法義解』の文言を援用しつつ「指斥言議ノ外ニ在ル」として述べる(一一七頁)ときも、大臣の対議会責任と表裏一体のものとして説かれることとなる。『憲法講話』では、きわめて平明に、「君主の無責任といふことゝ国務大臣の責任といふことゝは相関連した原則であって、君主は国務大臣の輔弼に依らなければ大権を行はせらるゝことが無い為めに君主は無責任であるのであります……」(初版九六頁)と説明されている。こうして、「詔勅を非難することは即ち国務大臣の責任を論議する所以であって、毫も天皇に対する不敬を意味しない。……天皇の大権の行使に付き、詔勅に付き、批評し論議することは、立憲政治においては国民の当然の自由に属する(『精義』一一六頁)こととされたのであった。
 それに対し、神権的無答責原則は、「天皇ノ身位ハ即チ天祖の霊位ナリ、統治ノ主権ハ即チ天祖ノ威稜ナリ、天縦惟神、萬世相承ケ一系易ラス、至神至聖、仰クヘク侵スヘカラス……国体ノ尊厳正ニ此ニ存ス、蓋憲法第三条ハ此ノ固有ノ大義ヲ掲ケ之ヲ永遠ニ昭カニスル者ナリ」とする穂積八束(『憲法提要』五版二〇四頁)の所説である。大臣責任制を前提とする立憲的無答責の主張に対して、穂積は、「我カ国体ニ於テハ……憲法法律ハ君主ヲ責問スルノ力ナキ固ヨリ言ヲ待タス……理ニ於テ何人モ之ヲ責問スルノ権ナク、何人モ君主ニ代リテ責問ヲ受クルノ要ナカルヘシ……此ノ類ノ説、概子欧州学説ノ付会ニ属ス、援テ我ニ擬スル者アルハ遺憾ノ事ナリ」(二〇六-二〇七頁)と論駁するのである。
------

私も不勉強で、まだ『憲法義解』すら確認していないのですが、おそらく伊藤博文等の憲法起草者は「立憲的無答責原則」説に拠っているものの、憲法の文言が極めて古めかしいものであったこともあって「神権的無答責原則」説も根強く残り、天皇機関説事件後は「立憲的無答責原則説」は一掃されてしまった、ということですかね。
現代人から見れば「神権的無答責原則」説は全く馬鹿馬鹿しい感じがしますが、「立憲的無答責原則」説も帝国憲法の全てを綺麗に説明できた訳ではなく、統帥権独立の問題が残りますね。
樋口陽一氏は上記引用部分に続けて、

-----
 ところで、最近よくいわれる議論として、<帝国憲法下の天皇は立憲君主だったから無答責>という主張がある。このいい方は、misleading 以上に、tricky というべきであろう。少なくとも、三点をあげておかなければならない。【中略】
 第二に、立憲的無答責論者自身、重要な一点で、立憲政治=責任政治の原則がおこなわれないことを承認していた、という点がある。統帥権独立にかかる問題がそれであり、旧一一条の解釈として、美濃部は、天皇の統帥大権を国務大臣の輔弼外におき、「軍機軍令」に関するいわゆる帷幄上層の制度を定めた官制を、みとめていたからである。【後略】
-----

としています。
【後略】部分に美濃部説の詳細と、それに批判的な佐々木惣一説が紹介されていて、いずれも興味深いのですが、長くなりすぎるので省略します。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

老中 2016/08/05(金) 15:16:27
キラーカーンさん
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E8%80%81
ウィキには、伊藤氏が否定している桂太郎が入っていて、さらには「元老受命年月日」という奇妙なものまであるのですね。
外国語の説明をみると、
(英)The institution of genrō originated with the traditional council of elders (Rōjū) common in the Edo period.
(独)Die Institution des Genrō hat ihren Ursprung in dem Rojū (Shōgunats-Rat) der Edo-Zeit.
(仏)L'institution des Genrō a commencé avec le conseil traditionnel des anciens (Rōjū) de l'époque Edo.
(西)La institución del genrō se originó con el consejo tradicional de mayores (Rōjū) establecido en el Shogunato Tokugawa (1603-1868).
元老の起源は徳川幕府の老中である、という驚天動地の記述(伊語と中国語にはない)があります。この伝でいけば、西園寺が一人元老であった時期は、井伊直弼に倣って「大老」と言えそうですね。残念ながら、西欧では、日本の元老はこの程度にしか理解されていないのですね。
余計なことですが、元老西園寺がよくわからないのは、近場の葉山や鎌倉で済むのに、なぜ東京から遠い駿河の興津に別荘(座漁荘)を建てたのか、ということです。宮中からの物理的距離のわからなさ。
  こと問へよ思ひおきつの浜千鳥なくなく出でしあとの月影   定家
を踏まえつつ、駿府の老人(徳川慶喜)にでも思いを馳せたのか。
伊藤氏の『元老西園寺公望』には、もちろん、何の言及もありませんが、氏に聞いてみたいところです。

小太郎さん
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%82%B9%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%AF%E6%86%B2%E6%B3%95
美濃部が「恐くは外国の憲法の影響に基くなり」と言うとき、ビスマルク憲法あたりを想定していたのでしょうね。
(イ)の「刑法に依り始めて之を禁止したるに非ずして、憲法に依り既に禁止せらるるものと認むべく」というのはなかなか凄い論理ですが、これも一種の罪刑法定主義と呼ぶべきなんでしょうね。
(二)の「法律命令が天皇に適用せられざることの原則に対して例外を為すものは財産法なり」ですが、神聖不可侵の至尊至貴の存在には似つかわしくない例外ですね。
コメント
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「ツルの寒ざらし」再び

2016-08-06 | 天皇生前退位

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 8月 6日(土)09時26分58秒

>林林太郎さん
こんにちは。
半年前の私の投稿、「ツルの寒ざらし」(その1)(その2)へのレスですね。

https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/81ad91fc84fa8ba75fd3ea2edefa1b86
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/659f002957310aee5dc16faa866de613

私も「ツルの寒ざらし」を含め、「浦上四番崩れ」に関する被害者側の証言とされるものには脚色が多いように感じています。
流刑された場所によっても待遇は千差万別で、中には鹿児島のように、殆ど旅行気分で過ごせた場所もあったようですね。
ただ、津和野の場合、死者の割合が平均より相当に高いので、厳しい待遇であったことは争えないのではないかと思います。
ご引用の二つの文献、山崎國紀『森鴎外―基層的論究』(八木書店、1989)、クラウス・クラハト、克美・タテノ=クラハト『鴎外の降誕祭―森家をめぐる年代記』(NTT出版、2012)はいずれも未読ですが、ご引用の部分を見る限り、「ツルの寒ざらし」を全面的に否定するには不十分で、両書の記述の基礎となった史料の包括的な検討が必要ではないかと思います。

>筆綾丸さん
>ビスマルク憲法あたりを想定していたのでしょうね。
これはちょっと調べてみたいと思います。

>なかなか凄い論理ですが、これも一種の罪刑法定主義と呼ぶべきなんでしょうね。

論理的には問題がありますが、このあたり、もしかすると自分の憲法理論を不敬だと攻撃するであろう勢力を想定しての政治的配慮があるのかもしれないですね。
不敬について、自分はこんなに厳格に考えているのだ、みたいな。

>キラーカーンさん
>憲法改正をしなくても、同様の結論を導く解釈は、憲法9条に比べると遥かに簡単そうに思えますので

第99条には「内閣総理大臣」すら明記せず、解釈で「国務大臣」に「内閣総理大臣」も含むものとされていますが、たしかにこれも「美しくない」解釈ですね。
わざわざここだけ直すのも変ですが、他の条項を改正するときに、ついでに整理しておくことは必要かなと思います。

※筆綾丸・林林太郎・キラーカーンさんの下記投稿へのレスです。

老中 2016/08/05(金) 15:16:27(筆綾丸さん)
キラーカーンさん
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E8%80%81
ウィキには、伊藤氏が否定している桂太郎が入っていて、さらには「元老受命年月日」という奇妙なものまであるのですね。
外国語の説明をみると、
(英)The institution of genrō originated with the traditional council of elders (Rōjū) common in the Edo period.
(独)Die Institution des Genrō hat ihren Ursprung in dem Rojū (Shōgunats-Rat) der Edo-Zeit.
(仏)L'institution des Genrō a commencé avec le conseil traditionnel des anciens (Rōjū) de l'époque Edo.
(西)La institución del genrō se originó con el consejo tradicional de mayores (Rōjū) establecido en el Shogunato Tokugawa (1603-1868).
元老の起源は徳川幕府の老中である、という驚天動地の記述(伊語と中国語にはない)があります。この伝でいけば、西園寺が一人元老であった時期は、井伊直弼に倣って「大老」と言えそうですね。残念ながら、西欧では、日本の元老はこの程度にしか理解されていないのですね。
余計なことですが、元老西園寺がよくわからないのは、近場の葉山や鎌倉で済むのに、なぜ東京から遠い駿河の興津に別荘(座漁荘)を建てたのか、ということです。宮中からの物理的距離のわからなさ。
  こと問へよ思ひおきつの浜千鳥なくなく出でしあとの月影   定家
を踏まえつつ、駿府の老人(徳川慶喜)にでも思いを馳せたのか。
伊藤氏の『元老西園寺公望』には、もちろん、何の言及もありませんが、氏に聞いてみたいところです。

小太郎さん
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%82%B9%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%AF%E6%86%B2%E6%B3%95
美濃部が「恐くは外国の憲法の影響に基くなり」と言うとき、ビスマルク憲法あたりを想定していたのでしょうね。
(イ)の「刑法に依り始めて之を禁止したるに非ずして、憲法に依り既に禁止せらるるものと認むべく」というのはなかなか凄い論理ですが、これも一種の罪刑法定主義と呼ぶべきなんでしょうね。
(二)の「法律命令が天皇に適用せられざることの原則に対して例外を為すものは財産法なり」ですが、神聖不可侵の至尊至貴の存在には似つかわしくない例外ですね。

福羽美静は取り調べをしていない 2016/08/05(金) 18:20:56(林林太郎さん)
<福羽美静(1831-1907)は神仏分離・廃仏毀釈の過程で特別な存在だった津和野藩の国学者ですが、自ら
<津和野に流されたキリシタンの取調べをやっていたんですね。

福羽美静は、取調べをしていません。以下の者が取調べをしていました。

御預異宗徒御用係
総括兼説得方 藩士 千葉常善
   説得方 同  森岡幸夫
   同   神官 佐伯 栞
   同   藩士 金森一峰

(森鴎外ー基層的論究)

なお、人数が少し違いますが、清四郎の話は以下のことを指していると思います。

彼は不改心者一二人に下駄と編み笠を与え、うち病気の二名を除く十人を収容所より藩の御殿の大広間に招待した。思いやりの深い言葉で、キリシタンの辛い状況に遺憾の意を示し、彼らと食事をし、酒を飲み、語り合った。宗教についても話した。というのも 「天皇様から、石州にゆくならば、津和野の預け人を見てこよ」と所望されたからである。この晩は司法的な取り調べもなく、改宗させようとする試みもなかった。「天皇様から、石州にゆくならば、津和野の預け人を見てこよ」と所望されたからである。福羽はただ彼らとともに陽気に過ごした。
??別れ際に、彼は御殿に出られなかった病人たちのために酒と肴をもたせ、また、東京に帰ったあとも金銭をたびたび彼らに授けた。」(鴎外の降誕祭)

元老論・続々ほか 2016/08/06(土) 01:45:00(キラーカーンさん)
>>ウィキには、伊藤氏が否定している桂太郎が入っていて、さらには「元老受命年月日」という奇妙なものまであるのですね。

実はウィキの記述が、現代での「通説」です。
つまり、元老とは
当初は、伊藤、黒田、山縣、松方、井上、西郷、大山の7人
追加された元老が西園寺及び桂の2人
合計9人を元老とするというものです。

桂については、「元老」としての期間が短期間で、天皇から下問を受ける機会が生起する前に
死去してしまったため、伊藤氏は桂を元老の列から「外した」ということです。

伊藤氏が『元老』で打ち立てた説は、「新説」で、現在では「一人説」と思われます。
ただし、伊藤氏は元老研究の第一人者であるので、伊藤氏の説という時点で

「一人説」であっても「有力説」

になると思われます。
で、ウィキの「元老受命年月日」はいわゆる「元勲優遇の勅語」を賜った年月日で
一般に「元老として公認された年月日」とされています。
この勅語は
1 首相を退任したとき(伊藤、黒田、山縣、松方、西園寺)
2 日露戦争直前に元老も「総力戦」に臨むため(井上)
3 天皇代替わりの際の「契約更新」(山縣、松方、井上、大山、桂、西園寺)
 (桂については、「2」も兼ねる。西園寺の「3」は昭和天皇即位時)
の場合に授かるのですが、その前提として「1」と「2」の場合には「無役」であること
が前提条件となります。で、結果的に、この1~3までの条件のいずれか1つでも満たす機会が
なかった西郷については、結局勅語を賜ることがなかったということです。

ということで、本来「元老受命年月日」ではなく

元老の地位が公に公示された年月日

というのが実情に近いと思われます。
(西郷のみならず、井上や大山も勅語をもらう前から元老であったのは周知の事実でしたから
 西園寺については、大正政変の余波もあり、元老として活躍するのは大正5年ころからといわれています)

更に言えば、ウィキの

>>佐々木隆は、山田が早世(中略)のため(中略)事実上の元老であった可能性を指摘している。
なお佐々木は、(中略)桂・西園寺を除いた7名と山田を加えた8名をもって帝国憲法下における
「薩長元勲」と位置づけている

の記述は、私の先の投稿の

>>内閣制度に関わった七人に黒田を加えた計八人の薩長有力者(40頁)

と事実上同じ意味です。つまり、本来的な意味は、その8名が「特別な政治家」であることを
示す「集合名詞」として「元老」が用いられるはずが、「元老」という語が定着する頃には
山田は鬼籍に入っていたので、まず、残りの7名が「元老」とされたということだと思います。
(その意味で、伊藤氏が元老の定義として「下問の有無」にこだわるのは失当であるというの
 が、先の私の投稿の趣旨です)

>>老中

については、「老(年寄)」の字には、執政者を意味も含まれているので、外国語でのウィキの解説は
ともかく、日本語としては、「老中」からの連想で「元老」としたのは「当たらずといえども」
といったところでしょう。
(類例として家老、若年寄という語があります。相撲の「年寄株」もその延長線上にあります)

>>君主無答責

「不敬の禁止」については、日本国憲法でも「象徴」という文言から「天皇としての尊重義務」
(≒「不敬の禁止」)を導出できるかというのは、一応、論点としては存在します。

「廃立の不能」については、まさに、生前譲位の禁止を意味するので、その点からも、
今回の陛下の「お気持ち」は、「近代天皇制」への挑戦となり得る(なる)ものです。

「公務に関する無答責」については、だからこそ「輔弼」という概念(他国の憲法では
「副署した大臣の責任」)は必要となり、そこから、「内閣が一致して上奏したものについては
朕の意に沿わぬものでも裁可せざるを得ない」という「立憲君主」としての振る舞いが生じます
で、君主の意向に従いたくない場合には、輔弼者は副署の拒否や辞職で対抗することになります
(輔弼者の輔弼に従うからこそ、君主は無答責であり、輔弼者がその責めを負うことになります)
日本国憲法では、天皇は「国政に関する機能を有さない」ので、そもそも君主無答責であることが
問題とならないのは、小太郎さんの先の投稿の通りです。
(「助言と承認」=輔弼と捉える説があるという文は見たことはあります)

>>例外を為すものは財産法
天皇・皇室への寄進や、天皇・皇室からの下賜ということは十分ありえますから
その場合に、君主無答責だからやりたい放題というのは、天皇制の自殺行為となるでしょうから
財産法については。天皇といえども・・・となるでしょう。

>>憲法99条(憲法尊重擁護義務)に「上皇」を加えなければならない

譲位を認めるなら、この論点は論ずるに値しますし、個人的には憲法改正して上皇を加え、
更に、「摂政については、退任後も同様とする」を付け加えるべきだと思います。
上皇や元摂政の立場で

天皇在位中や摂政在任中の国事行為・公的行為について、実は・・・

というような「回顧録」や「内幕暴露」などされた場合、それはそれで問題となるので
国家公務員の守秘義務のように「退任後」も何らかの縛りをかけるほうがよいと思います
ただ、憲法改正をしなくても、同様の結論を導く解釈は、憲法9条に比べると
遥かに簡単そうに思えますので、改正しなくてもあまり気にはなりまませんが、
「美しくない」とは思います。

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「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」の意味

2016-08-05 | 天皇生前退位
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 8月 5日(金)13時12分41秒

>筆綾丸さん
>天皇は象徴であるがゆえに無答責であるというのは、帝国憲法第3条「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」と論理的に同値

この条文、普通に読むと、当時のそれなりに教養がある人々にとっても「君主無答責の原則」を述べたものとは理解しづらかったでしょうね。
ま、別に「君主無答責の原則」だけを述べたものでもなく、美濃部達吉は四つの原則に分けて説明しています。(『憲法撮要』改訂第五版、1932、p255以下)
ちょっと長いですが、古風な文体に味があるので、そのまま引用してみます。
(カタカナは読みづらいのでひらがなに変更。旧字体は適宜新字体に変更)

------
第三章 天皇 第三節 皇室
二 天皇の身位

(一)天皇の御一身は神聖にして侵すべからず(憲法三条)。天皇の神聖不可侵は天皇の御一身に属する権利にして、而して天皇及皇族の権利義務に関しては我が憲法は一般に皇室法を以て之を規定するの主義を取るものなるを以て、此の主義より謂へば此の規定も亦皇室典範の定に譲るを当然と為すべし。之を憲法中に規定したるは恐くは外国の憲法の影響に基くなり。
天皇の神聖不可侵とは天皇が至尊至貴惟『欽仰すべくして干犯すべからざること』(憲法義解)を意味す。更に之を四の原則に分つことを得べし。

(イ)不敬の禁止 何人も天皇に対し不敬の行為あることを得ず。天皇に対する不敬は刑法上の犯罪にして刑法は之に対する処罰を定むと雖も、刑法に依り始めて之を禁止したるに非ずして、憲法に依り既に禁止せらるるものと認むべく、刑法は惟之が罰則を定めたるに止まる。

(ロ)廃立の不能 天皇は如何なる故障あるも廃立せらるることなし。皇嗣及摂政に付ては皇室典範(九条、二五条)は其の廃立の場合あることを認むと雖も、天皇は国家最高の地位に在まし、固より他の干犯を許さず、天皇に如何なる事故あるも惟摂政を置くを得るのみ、廃位あるを得ず。

(ハ)公務に関する無答責 天皇の大権の行使は憲法其の他の国法、皇室法及国際法の拘束を受くるのみならず、又公益に適することを要す。大権を以て法律上に何等の拘束を受けざるものと為すの不当なることは言を俟たず。然れども大権の行使にして之に違反することあるも、之に付き責に任ずる者は其の輔弼の任に在る者にして、天皇は全く責に任ぜず。責に任ぜずとは何人も天皇を非議論難することを得ざるを謂ふ。大権の行使に付て其の是非を批評し論議することは固より自由なるも、其の非難の的と為るは輔弼者にして、天皇の御一身に付て非議するは許すべからざる不敬の罪なり。

(ニ)御一身に関する法律命令の不適用 天皇の御一身に関しては一般の法令は原則として之に適用せらるることなし。就中刑事法は全然天皇に適用なく、天皇に如何なる行為あるも刑法上の責任を生ずることなし。如何なる裁判所も天皇を裁判することを得ず、如何なる法律も天皇を責問する力を有することなし。
 法律命令が天皇に適用せられざることの原則に対して例外を為すものは財産法なり。財産権に関しては皇室の財産も民有財産も原則としては法律上同一の地位を有し、同一の法規に従ふことを当然とす。故に皇室財産令(四三年皇室令三三、三条)には民法第一編乃至第三編商法及附属法令の規定が原則として御料にも準用せらるることを規定せり。随て又御料に関しては民事裁判所の判決が有効に行はるることを得べし。蓋し民事裁判は惟財産権の限界を確認するに止まり、毫も天皇の神聖を害するものに非ざればなり。但し御料に関する法律行為又は訴訟行為に付ては天皇親ら当事者の地位に立つに非ず、宮内大臣又は其の代理者たる宮内官を以て其の当事者とす(皇室財産令二条)。
------

「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」の重厚な響きからは、「(イ)不敬の禁止」と「(ロ)廃立の不能」の二つは比較的理解しやすいはずですが、「統治権ヲ総攬」(第4条)するという壮大な権力を持つ地位にありながら、「(ハ)公務に関する無答責」、即ち全くの無責任というのはずいぶん妙なもので、美濃部の教科書を読んで、国家の中心部に全くの無責任な存在があることに驚き、なんじゃそれ、みたいな感想を持った法学部生も多かったかもしれないですね。
ま、それを口にするのは不敬になってしまいますが。
現憲法下では天皇は「国政に関する権能」を持たず(4条1項)、「天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要」としますから(3条前段)、無答責は全く当たり前ですね。
権限がないのに責任だけ取らされるのでは踏んだり蹴ったりです。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

元老としての天皇 2016/08/03(水) 13:24:48
小太郎さん
立法趣旨がわかりました。なるほど、そういうことだったのですね。
天皇は象徴であるがゆえに無答責であるというのは、帝国憲法第3条「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」と論理的に同値であり、これを見れば、旧憲法の「神聖」が新憲法の「象徴」に横滑りしただけのことといえなくもないですね。
象徴であるがゆえ無答責であるならば、天皇が退位を表明して法改正に黙示的な言及をし、憲法第4条及び第99条に抵触するかの如くであっても、それはあくまで抵触するかの如くにすぎず、法論理的には何の問題もないことになるから、立法府は天皇の意思表示を無視して憲法第99条を遵守する・・・と考えるのは、唯の妄想なんでしょうね。

新旧の皇室典範を比べて相違が際立つのは第六条と第四条で、平安王朝の用語でいえば更衣腹ですが、第六条によって庶子はきっぱり排除されたわけですね。
第六条 嫡出の皇子及び嫡男系嫡出の皇孫は、男を親王、女を内親王とし、三世以下の嫡男系嫡出の子孫は、男を王、女を女王とする。
第四条 皇子孫ノ皇位ヲ繼承スルハ嫡出ヲ先ニス皇庶子孫ノ皇位ヲ継承スルハ皇嫡子孫皆在ラサルトキニ限ル

キラーカーンさん
http://www.diplo.jp/articles02/0210-4.html
これですか。悩ましくも面白い事象ですね。
----------------
さらに1990年3月30日には、国王ボードワン1世(在位1951-93年)が中絶合法化法への署名を拒否するという事件が起こった。キリスト教社会党のマルテンス首相は、国王の良心という問題に直面して次のような解決策を思いついた。法律の施行には国王による署名と発布が必須であるというのなら、新たな「統治不能状態」を認定し、その間の国王大権を内閣が担うこととすればよい。これが1990年4月4日にとられた措置であり、ボードワン1世は法律が内閣によって連署された後に復位することとなった。2日にわたりベルギーは理論的に言って、停止中の君主制国家という状態にあった。もし上下両院が1990年4月5日に統治不能状態の解除を拒否していたとしたら、どういうことになっていただろうか・・・。
----------------

http://www.chuko.co.jp/shinsho/2016/06/102379.html
伊藤之雄氏の『元老―近代日本の真の指導者たち』をざっと読んで面白かったのは、帝国憲法下において、天皇が「君主機関説的な憲法観」(299頁)に立脚する以上、「元老としての天皇」という謂わば倒錯的な衣装を必要としたという指摘です。元老なるものは憲法に規定のない無根拠の制度だ、ということを考え併せると、近代日本の歴史劇を天井桟敷から眺めているような趣もあります。前の方には頭でっかちの観客が大勢いて、舞台がよく見えないというもどかしさ。
--------------
天皇の成長ぶりを、後継首相推薦などを担う元老制度の観点から見ると、明治時代に明治天皇が元老制度を補完したように、今度は高齢化も加わり権威が衰えていく元老西園寺を、昭和天皇が補完する可能性が出てきたということである。(267頁)
これらの経過から、天皇が米内内閣の成立を望み、湯浅内大臣を使ってその実現を図っていることがわかる。天皇は自分が表に出ない形で、元老の果たしていた役割を行うようになったのである。(287頁)
--------------
コメント (1)
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園部逸夫『皇室法概論─皇室制度の法理と運用』

2016-08-05 | 天皇生前退位
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 8月 5日(金)12時29分22秒

ツイッターで、生前退位を認めるのであれば憲法を改正しなければならず、皇室典範改正ではダメ、違憲だ、みたいなことを言っている人を見かけたので、変な議論だなと思いましたが、園部逸夫氏(元筑波大学・成蹊大学教授、元最高裁判事)の『皇室法概論─皇室制度の法理と運用』(第一法規、2002)を見たら、そういうことを言っている学者もいることはいるのですね。
園部著p457・461によれば、田上穣治『新版日本国憲法原論』p60に、

------
 皇室典範を改正して皇嗣に譲位することは、憲法二条の即位に関する法定主義と矛盾するのみならず、天皇の自由意思による譲位か否かの認定は困難である。さらに天皇の自由意思によらない廃立は、象徴性・世襲制および政治的無答責の規定(憲法一条ないし三条)に反するから、皇室典範の改正によってこれを認めることは違憲である。
------

とあるそうです。
ただ、憲法2条(皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。)の「即位に関する法定主義と矛盾」というのは何を言っているのか理解しづらいですね。
ま、田上説は孤立した少数説、というか単独説で、政府見解も多数の学説も憲法改正は不要としていますね。
ちなみに園部説は、

------
 仮に退位を認めることとする場合であっても、憲法改正は要しないと考えるが、皇室典範第四条を改正し、退位を制度的に認めることとすべきか、退位が必要な具体的な状況が生じた場合、特別立法により退位を認めることとすべきかについては、両論あり得る。この点については、あらかじめ制度化しておくよりも特別立法とする方が、恣意的な退位や強制退位といった弊害が生ずる可能性は比較的小さいと考えられ、退位が必要と認めるべき事態が仮に生じたときは、その時に特別立法の方法を探るべきものと考える(前出の高尾『典範制定経過』も同様の趣旨を述べている)。
------

というものです。(p457)
なお、私がツイッターで見かけた憲法改正必要説は田上穣治説ではなくて、何でも憲法99条(憲法尊重擁護義務)に「上皇」を加えなければならないのだ、みたいな議論でしたが、ま、法律にあまり縁のなさそうな人のユニークな説だったみたいですね。

園部逸夫
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%92%E9%83%A8%E9%80%B8%E5%A4%AB
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天皇生前退位を認めない理由(法制局「皇室典範案に関する想定問答」より)

2016-08-02 | 天皇生前退位
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 8月 2日(火)22時30分53秒

芦部信喜・高見勝利編『日本立法資料全集1 皇室典範』(信山社、1990)はそれほど入手しやすい本でもないので、ついでに法制局の想定問答集の第四条(「天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する。」)に関係する部分も引用しておきませう。(p195)
旧字体は適宜新字体に直してあります。

------
(四)第四条関係

問 「天皇が崩じた」といふ敬語を特に使つた理由如何。

答 天皇に関係ある事項について、それに相当なる文字を以てすることは別段支障はない。典範案にを〔お〕いても既に象徴たる天皇及びその御近親の皇族に対し敬称の規定も設〔け〕てゐる。

問 「直ちに」の意味如何。

答 間髪を入れずの意である。国会の承認その他何等の特別の儀式を必要としない。つまり、時間的の意味の外、いはば無原因といふ意味もある。いはゆる「キングは死せず」の思想とも通ずる。

問 「即位」とは如何。

答 皇位を継承することである。践祚と同じ意味である。即位の礼とは別である。又「在位」といふ継続的状態とも異なる。

問 天皇生前退位を認めない理由如何。

答 退位を認めるとすれば歴史上に見るが如き上皇、法皇的存在の弊を醸す虞があるのみならず、必しも天皇の自由意思に基かぬ退位が強制されることも考へられる。又退位が、国会の承認を経ることにしても、天皇の地位にある方が、その立場の自覚を欠いて、軽々に退位を発意され得ることにすることも面白からぬことである。要するに天皇の地位を政争や(権勢の争や)恣意或は人気の如きものから超越したものとして純粋に安定させるためには退位の制を認めないことにするのがよいと考へる。天皇に重大な故障があるといふ場合には、摂政をおくことによつて凡て解決できる。なほ、天皇の地位が統治権の統〔総〕攬者から、象徴に移つたことも、退位の必要性を減ずるものである。(将来野心のある天皇が現はれて、退位して后〔後〕例へば内閣総理大臣となり政治上の実権を壟断することも予想できぬことでなく、かよ〔や〕うな例について考へれば、天皇の生前退位を認めることは、かへつて改正憲法第四条第一項后〔後〕段の趣旨を骨抜きにするおそれがある。

問 「天皇が崩じた」といふ場合に失踪宣告は入るか。

答 入ると解する。
------

「天皇の自由意思に基かぬ退位が強制される」とか「天皇の地位にある方が、その立場の自覚を欠いて、軽々に退位を発意」とか、はたまた「野心のある天皇」が退位後に「内閣総理大臣となり政治上の実権を壟断」するとか、更には「失踪宣告」を受けるとか、まあ、法制局もずいぶんと生々しいケースをいくつも想定していた訳ですね。
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皇室典範第21条の立法趣旨

2016-08-02 | 天皇生前退位
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 8月 2日(火)20時52分12秒

>筆綾丸さん
皇室典範の帝国議会における審議に先立って、法制局(内閣法制局の前身)が想定問答集を作成していますが、これを見ると、第21条(「摂政は、その在任中、訴追されない。但し、これがため、訴追の権利は、害されない。」)については、

------
問 本条の意味如何。

答 摂政の地位にある間は或程度の不可侵権を認めるものである。就任前の行為、在任中の行為について、在任中訴追を許さない。退位後の訴追を免れ得ない、又、公訴時効は在任中進行を停止するものと考へる。(改正憲法七五参照)

問 天皇無答責の規定がないから、不権衡ではないか。

答 天皇は象徴たる以上当然無答責であり、これを規定することが国民政〔性〕情にも合致しないから明文を置かないのだが、摂政にはさよ〔や〕うな事情がないから、規定を必要とする。しかもこの規定は、憲法七五と相俟つて、逆に天皇無答責を勿論解釈せしめる。
------

となっていますね。(『日本立法資料全集1 皇室典範』、信山社、1990、p207)
ちなみに憲法75条は「国務大臣は、その在任中、内閣総理大臣の同意がなければ、訴追されない。但し、これがため、訴追の権利は害されない。」というものです。
「訴追」ですので、これは刑事責任の話ですが、天皇・摂政以外の皇族については特別な規定はなく、一般人と同様に刑事責任を負うことになりますね。
また、民事責任については条文上の手掛りが全くありませんが、最高裁判所は天皇の象徴たる地位から、天皇には民事裁判権は及ばないものと判断しています。(最高裁判所第二小法廷、平成元年11月20日)

-------
天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であることにかんがみ、天皇には民事裁判権が及ばないものと解するのが相当である。したがって、訴状において天皇を被告とする訴えについては、その訴状を却下すべきものであるが、本件訴えを不適法として却下した第一審判決を維持した原判決は、これを違法として破棄するまでもない。


天皇を除く皇族は「象徴」ではなく、特別な規定もないので、一般人と同様に民事責任を負うことになりますね。
現在の皇室典範の規定は、皇族について冷たいというか、けっこうサバサバした扱いになっていますね。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

摂政について 2016/08/02(火) 16:21:41
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S22/S22HO003.html

新旧の皇室典範を読み比べてみました。
旧皇室典範の「第十章 皇族訴訟及懲戒」に相当する条文のない現皇室典範の趣旨は、皇族にも国民と同じ民法(民事訴訟法)が適用される、ということなのでしょうが、奇異な印象を受けるのは、旧皇室典範にはなくて皇室典範だけにある第21条であって、なぜ、こんな条文があるのか、わかりません。皇室典範の概説書を繙けば済むのでしょうが、読めば読むほど変な規定で、この条文の立法趣旨は一体何なのだろう、と思いました。

第21条
「摂政は、その在任中、訴追されない。但し、これがため、訴追の権利は、害されない。」

私は、摂政就任は「皇統に属する男系の男子」以外不可、と漠然と考えていたのですが、新旧皇室典範とも、「成年に達した皇族」であれば、女性の摂政就任も可なのですね。
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「政治的美称」

2016-08-02 | 天皇生前退位
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 8月 2日(火)10時04分0秒

>キラーカーンさん
>「掲示板運営上、論者間の見解の相違を明らかにすることが必要である」ということであれば、

私も前世紀末から数々の掲示板でバトルを眺めたり、ちょこっと参加したりしてみたりした結果、ネットでの「論争」は大半が空しいものだと思っています。
私のこの掲示板での基本的なスタンスは、自分の勉強のために読んだ資料を備忘のために抜き書きし、併せて自分の考えを暫定的に纏めておく、というだけのことで、実際には読者のことはあまり意識していません。
ただ、今回はキラーカーンさんが随分古めかしい議論をしているように思えて、若干感じの悪い書き方をしてしまいましたが、補足のご説明を読んでみれば、キラーカーンさんが現在の憲法学の水準を充分押さえた上で議論されていることは理解しました。

>私は「形式的には憲法改正限界説、実質的に無限界説」

これは私も同じです。
「憲法改正限界説」は「政治的美称」かもしれないですね。

>小太郎さんのように歴史学が専攻であれば、

いえいえ。
私はけっこう歴史学の論文は読んでいますが、歴史学者ではなく、強いて言えば「歴史学者評論家」です。
あと数年勉強すれば「憲法学者評論家」にもなれそうですが、いずれも市場がないので職業としては成立しそうにありません。

>譲位を認めることは、この「天皇=皇室の長」という日本国憲法を日本国憲法たらしめている暗黙の前提を否定する「破壊力」を持つ可能性を秘めている

現在の皇室典範は明治憲法下の旧皇室典範とは形式的にも連続性がありませんが、生前譲位を認めない点については、旧皇室典範第10条の「天皇崩スルトキハ皇嗣即チ踐祚シ祖宗ノ神器ヲ承ク」を実質的に承継していますね。
生前譲位の問題は、近代天皇制への挑戦となる可能性はありそうですね。
取りあえずは8月8日頃の報道を待って、何か面白そうな論点が出てくれば、改めて論じたいと思います。

旧皇室典範

>筆綾丸さん
>高齢を加えて

公務のご負担が大変、ということであれば、それが一番シンプルで無理のない解決策ですが、どうもそれでは足りないと思っている人も多そうですね。

※キラーカーンさんと筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

補足 2016/07/31(日) 02:11:51(キラーカーンさん)
>>亀レスですが(以下略)

前世紀末から、掲示板での「泥沼の議論」とそれに伴う「掲示板の荒れ」を見てきた私にとって
別に、小太郎さんと真剣勝負(対決)をしたいというわけではありませんが、

「掲示板運営上、論者間の見解の相違を明らかにすることが必要である」

ということであれば、少々お付き合いします。
実際、小太郎さんのレスを見て、自分の投稿を読み返したら、
「尻切れトンボ」感がありましたので、補足の必要性を認めていたところなので。
(他の掲示板で、同趣旨の投稿をしたことがあるので、無意識のうちに端折った部分があります)

象徴天皇制の改正

私は「国民の総意」というのは「政治的美称」と捉えていますので、
そこに、実質的な意味を見出すべきではないという見解です。

さらにいえば、私は「形式的には憲法改正限界説、実質的に無限解説」という立場なので、
(国民投票で「主権者の意思」が明らかになれば、それに従うべきであり、その時点で、
 「憲法改正限界を超えているので無効」といっても、「是非に及ばず」という状況です
 ド・ゴール時代の仏国でもそのような「憲法違反の手続による改憲」がなされています)

私の「象徴天皇制と憲法改正限界」や「実質的憲法改正無限界説」は
芦部氏が著書の『憲法改正権力』で

保守的な改憲論を封じるために「憲法改正の限界」に関する議論を活用しなければならない

という我妻氏の所論を好意的に引用した芦部氏(ひいては憲法学会)への
「意趣返し」あるいは「反発」の影響があることは認めますが。

ということで、「天皇制廃止」が現行憲法改正手続で認められれば「追認」せざるを得ないですが・・

>>治天問題

私は、「治天」を「皇室の長」という意味で使用していますが、小太郎さんのように歴史学が
専攻であれば、しかも、院政が現実のものとして存在していた中世史であれば、「治天」という
語に、私の理解を超えた何らかの意味があるのかもしれませんので、その点で、小太郎さんを
混乱させたのであればお詫びします。

で、憲法上、「治天」を論ずる意味がないのは、小太郎さんのご指摘のとおりです。だとすれば

天皇≒治天(皇室の長)

とするのも現行憲法上問題ないということです。
(天皇と皇室の長との関係について、日本国憲法は何の言及もしていない)
さらに言えば

憲法上に規定のある「皇位」は女系継承も可
憲法上に規定のない「皇室の長」は男系継承に限る



皇位は皇太子殿下に譲る(以後、愛子内親王の子孫が皇位を継承し国事行為を行う)
皇室の長は秋篠宮に譲る(以後、悠仁親王の子孫が皇室の長を継承し宮中祭祀を行う)

ということも「憲法上」は許容されます。
昭和天皇の大喪の礼のときも、政府行事と皇室行事は区別して行われていました。
(つまり、そのような規定を皇室典範に盛り込んでも、憲法上何の問題も生じない
 もっと言えば、皇室の長の継承について皇室典範で規定せず、「皇室の内規」であっても
 憲法上問題はない。宮中祭祀や皇室行事としての「大喪の礼」について、憲法は関知しない)

といってはみたものの、果たして、本当にそうなのか、文言上はそうだとしても
憲法解釈上、そのようなことが「憲法習律」として許されるのか
あるいは、「国体」の議論として許されるのか
ということは、日本国憲法に規定する象徴天皇制の「(歴史的)正統性」へ波及し、ひいては

日本国憲法に対する正統性

にも影響を与えると考えているからです。」
さらに言えば、日本国憲法は

天皇=皇室の長

という等式を無意識のうちに前提としており、譲位を認めることは、この「天皇=皇室の長」
という日本国憲法を日本国憲法たらしめている暗黙の前提を否定する「破壊力」を持つ可能性を
秘めていると私は見ています。

この観点から、「皇室の長」と天皇の地位とを分離することの是非は
「憲法学上」論ずる意味はあると思っています。
おそらく、今回の「譲位」問題についても、

譲位に付随して皇室の長たる地位も譲られる

と判断している方が多いとは思いますが、そんなことは

憲法上何の保証もない(みんなが「そう思い込んでいるだけ」)

ということです。
当今と上皇が並立した場合、しかも、上皇が健在で当今の父である場合、どちらが、
真の「皇室の長」なのか、という「正統性の核」がぼやける可能性があるということです
そして、「一皇族」である上皇は、憲法上「憲法尊重義務」を科されません。

逆に譲位ではなく摂政設置であれば、その問題は発生しません。

これが「取り越し苦労」や単なる「思考実験で」終われば、それでよいのですが・・・

ターミノロジー 2016/07/31(日) 21:27:34(筆綾丸さん)
キラーカーンさん
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%BB%E5%A4%A9%E3%81%AE%E5%90%9B
治天は中世の歴史学におけるターミノロジーであり、アタヴィスムのように現代に蘇らせる必然はなくて、夙に滅び去った死語のひとつと考えるべきで、また、皇位と家督を分離する発想は日本の歴史の亡霊に囚われすぎているように思われます。

皇室典範第16条2項
「天皇が、精神若しくは身体の重患又は重大な事故により、国事に関する行為をみずからすることができないときは、皇室会議の議により、摂政を置く。」
に、高齢を加えて(「又は」の使い方がこれでいいのか、不明ですが)、
「天皇が、精神若しくは身体の重患により、又は重大な事故により、又は高齢により、国事に関する行為をみずからすることができないときは、皇室会議の議により、摂政を置く。 」
と改正するのが、浅知恵の弥縫策ながら、 いちばん現実的であるような気がします。
それはともかく、8月8日のご発言には注意したいですね。

http://www.chuko.co.jp/shinsho/2016/07/102384.html
--------------
 だがこれをもって「コンピュータが人間より頭がよくなった」と見なすのは、あまりに妙な話ではないか。ディープブルーにせよ、ボンクラーズにせよ、アルファ碁にせよ、人間のチームが膨大な棋譜をメモリーに記憶させ、難しいプログラムを研究開発してようやく作り上げた機械だ。コンピュータが自分でシステムを構築したわけではない。だから、勝ったのはシステム構築をおこなった秀才たちであり、彼らが集まって高性能機械を駆使し、天才棋士に勝ったというだけの話である。それに、コンピュータの処理速度や記憶容量はどんどん増していくから、ちょっと意地悪く言えば、年々強くなるのは当たり前だという見方もできる。むろん、システム構築においてはさまざまな凝った工夫がなされているだろうし、その努力の大きさには頭が下がるが、まあヒマ人の道楽にすぎない。(西垣通氏『ビッグデータと人工知能』50頁)
--------------
西垣氏はゲームソフトの開発者がお嫌いのようですが、チェスも将棋も囲碁も、約めて言えば、ヒマ人の道楽ではないか、という気がしないでもありません。もっと言ってしまえば、大半の学問もまた。
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