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入試 東大2012 第2問

2014-11-11 | Weblog


 人類の歴史のなかで、遊牧は農耕とならぶ重要な生活様式のひとつであった。遊牧民、とりわけ軍事力や機動力にすぐれた遊牧民の集団は、広域にわたる遊牧国家の建設や周辺の農耕・定住地域への侵入、大規模な移動などによって大きな役割をはたした。これをふまえて、以下の設問に答えなさい。解答は、解答欄を用い、設問ごとに行を改め、冒頭に(1)~(3)の番号を付して記しなさい。

問(1) 中央ユーラシアの草原地帯に出現した遊牧民のなかでも、4世紀になるとフン族が西進し、それとともにユーラシア西部に大変動がおこっている。やがて、5世紀後半には遊牧民エフタルが台頭し、周辺の大国をおびやかした。以下の(a)・(b)の問いに、冒頭に(a)・(b)を付して答えなさい。

(a) 5世紀におけるフン族の最盛期とその後について2行以内で説明しなさい。
(b) エフタルに苦しめられた西アジアの大国を中心とした6世紀半ばの情勢について、2行以内で説明しなさい。

問(2) 中央ユーラシアを横断する大草原に住む遊牧トルコ人は、イスラーム世界の拡大とともにこれとさまざまな関係をもつようになり、その一部はやがて西アジアに進出して政権を樹立しアラブ人やイラン人とならんで重要な役割をはたすことになった。以下の問いに冒頭に(a)・(b)を付して答えなさい。

(a) 9世紀ごろになると、アッバース朝カリフの周辺にはトルコ人の姿が目立つようになった。彼らはアラビア語で何とよばれカリフは彼らをどのように用いたのか、2行以内で説明しなさい。

(b) 中央ユーラシアから西アジアに進出したトルコ人が建てた最初の王朝の名(1)と、この王朝が支持した宗派の名(2)を、冒頭に(1)・(2)を付して記しなさい。

問(3) 匈奴以来、モンゴル高原にはしばしば強力な遊牧国家が誕生し、中国の脅威となった。あるものは長城を境にして中国と対峙し、あるものは長城を越えて支配を及ぼすなど、遊牧民族の動静は、中国の歴史に大きな影響を与えつづけた。以下の(a)・(b)の問いに、冒頭に(a)・(b)を付して答えなさい。

(a) 漢の武帝の対匈奴政策と西域政策とのかかわりについて、2行以内で説明しなさい。
(b) 15世紀なかごろにはモンゴルのある部族が明の皇帝を捕虜とする事件がおこった。この部族の名(1)と事件の名(2)を、冒頭に(1)・(2)を付して記しなさい。

 

[解答]

第2問
問1
a ハンガリー盆地に根拠地を置いた頃が最盛期。かれらの移動がゲルマン大移動を起したが、カタラウヌムの戦いに敗れ衰退した。

b ササン朝は突厥と組んでエフタルを破ったが、西方では東ローマ帝国のユスティニアヌス帝との泥沼の戦いが展開していた。


問2
a マムルークと呼ばれる軍人奴隷であり、騎兵の親衛隊、軍団長、総督、官僚として使った。
b  1)セルジューク朝、 2)スンナ(スンニー)派

問3
a 張騫を派遣して大月氏との挟撃を策し、衛青・霍去病を派兵して西域に4郡を設置した。重農抑商政策で費用を捻出した。
b 1)オイラ(ー)ト 2)土木(堡)の変

[解説]、問2 b1.セルジューク朝はシル川の下流で1038年に建国して、1055年にバグダードに入城している王朝。

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