次の文章を読み、下記の問 1~10 に答えよ。問 1~7、9 については、それぞれ解答を選び、そ
の記号をマークせよ。問 8・10 については、それぞれの解答を記入せよ。
江戸幕府は、日米和親条約締結後、通商条約を議定したが、攘夷論が盛んで、(1)老中首座は朝廷の勅許を得ることができなかった。
新しく就任した大老は、独断で条約に調印するとともに将軍の継嗣も決定し、(2)反対者を多数処罰した。そのため間もなく失脚した。
(3)開国による経済界の混乱と物価騰貴は、尊王攘夷運動に拍車を加え、外国人殺傷事件も起こった。
老中は、公武合体策により幕府の威信の回復をはかったが、かえって尊王攘夷派の憤激をかい、襲われて失脚した。
この後、公武合体運動は、[ 1 ]を中心に進められた。
彼は、勅使とともに江戸へ下り、幕政改革を行なった。
この間、尊王攘夷運動は、諸藩の下級武士や公卿の手に移り、長州藩がその主導権を握った。
彼らは、急進派の公卿と結び、幕府に攘夷を布告させ、(4)外国艦船砲撃事件を起こし、その報復をうけた。
一方、公武合体派の諸藩は、「八月十八日の政変」を起こして尊王攘夷派の勢力を朝廷から一掃した。
(5)激昂した志士らは、各地で討幕の兵を挙げ、勢力挽回をはかった。
長州藩は、上京して幕府側の軍と戦い敗走した。
これを機に幕府は長州征伐を行ない降伏させた。
その後、(6)長州・薩摩両藩で討幕派が藩の実権を握り、土佐藩の斡旋で薩長連合が結ばれた。
幕府による再度の長州征伐も失敗に終った。
この頃から江戸・大坂で打ちこわしが、農村では[ 2 ]をとなえる百姓一揆が頻発した。
1866 年、公武合体論者の天皇が急逝した。
朝廷では、公武合体派の[ 3 ]が討幕派の公卿と和解し、諸国の志士と連絡をとり、武力による討幕の計画を進め、翌年10月14日討幕の密勅が下ったが、同日将軍は機先を制して大政奉還を上奏した。
王政復古のクーデターが行なわれると、旧幕府側は、徳川氏に対してとられた処置を不満とし、新政府軍との間に 1 年 5 ヵ月にわたる[ 4 ]が行なわれた。
問 1.下線部分(1)に該当する人物は誰か。
ア.島津斉彬 イ.堀田正睦 ウ.安藤信正 エ.水野忠邦 オ.阿部正弘
問 2.下線部分(2)で処罰した側の人物は誰か。
ア.高杉晋作 イ.松平慶永 ウ.梅田雲浜 エ.橋本左内 オ.間部詮勝
問 3.下線部分(3)について、誤っているものはどれか。
ア.開国による貿易はアメリカを主な取引国とし、貿易額の大部分を占めた。
イ.京都の西陣織物業は大きな打撃をうけた。
ウ.五品江戸廻送令は神奈川(横浜)での貿易の制限令である。
エ.北関東の桐生・足利の製糸業は異常的好況を迎え、マニュファクチュアが発展した。
オ.金貨の海外流出が激しくなったため、幕府は貨幣改鋳を行なったが、物価騰貴に拍車をかけた。
問 4.空欄[ 1 ]に該当する人物は誰か。
ア.大原重徳 イ.西郷隆盛 ウ.島津久光 エ.松平容保 オ.有馬新七
問 5.下線部分(4)に関係のない国はどれか。
ア.フランス イ.アメリカ ウ.オランダ エ.ロシア オ.イギリス
問 6.下線部分(5)に直接関係のないものをすべて挙げよ。
ア.生野の変 イ.天誅組の乱 ウ.生田万の乱 エ.天狗党の乱 オ.東禅寺事件
問 7 下線部分(6)に直接関係のない人物をすべて挙げよ。
ア. 小松帯刀 イ.吉田松陰 ウ.坂本龍馬 エ.久坂玄瑞 オ.勝海舟 カ.木戸孝允 キ西郷隆盛 ク.中岡慎太郎
問 8.空欄[ 2 ]に該当する語を書け。
問 9.空欄[ 3 ]に該当する中心的人物は誰か。
ア.岩倉具視 イ.大久保利通 ウ.三条実美 エ.有栖川宮熾仁親王 オ.西園寺公望
問 10 空欄[ 4 ]に該当する語を書け。
[解答]
問1 イ 問2 オ 問3 ア 問4 ウ 問5 エ 問6 ウ・オ 問7 イ・エ・オ 問8 世直し 問9 ア 問10 戊辰戦争
[解説]
問6.東禅寺事件(とうぜんじじけん)は、江戸時代末期に攘夷派志士が高輪東禅寺に置かれていたイギリス公使館を襲撃した事件。1861年と1862年の2回発生した。