次の文を読み、下記の設問 A・B に答えよ。
秀吉によって着手された貨幣統一の政策は、家康にうけつがれ、江戸幕府は、貨幣鋳造権を掌握し、貨幣鋳造所を設置した。
大判座では慶長大判、金座では慶長小判など、銀座では丁銀などを鋳造した。
さらに 1636 年から銭座を設け、( イ )という銭貨を大量に鋳造した。
こうして金銀銭の三貨は、統一貨幣として全国に流通するようになった。(1)金貨は金銀の合金で品位、量目がきめられており、銀貨は銀銅の合金で品位がきめられていたが量目は不定の( 口 )であった。
(2)慶長金銀は発行以来約 1 世紀におよんだが、綱吉の代になり、幕府の財政が急速に悪化したため、綱吉は1695 年に慶長小判よりも品位を落した元禄小判を大量に発行し、その差額を幕府の収入にした。
しかし、物価は騰貴し、経済を混乱させた。
綱吉時代の貨幣改鋳を批判していた新井白石は、家宣に仕えるようになり、 (3)1710 年に品位を慶長小判にもどした宝永小判を発行し、物価騰貴をおさえようとしたが失敗した。
彼は、また家継時代の1714 年に品位、量目を慶長小判にもどした( ハ )を発行したが、流通の実態にあわず、かえって経済の停滞、混乱をまねいた。
吉宗は、1716 年に慶長小判と同じ品位、量員の( ニ )を発行し、1718 年に新金通用令を出し、多くの混乱にもかかわらずその流通を強制したが、米価の低落、武士の困窮をすすめたのみでなく、一般に不景気をもたらした。
幕府は、1736 年「世上金銀不足」に対して品位、量目とも落した元文小判や銀貨を発行し、貨幣の数量を多くした。
はじめは、前代までの良貨と 1 対 1 の交換を強制したことから混乱がおきたが、まもなく廃止したので混乱はおさまり、元文金銀は 80 年以上も流通した。
1858 年の( ホ )調印以後、外国の貨幣と日本の貨幣との交換や輸出入が認められることになったが、(4)金銀比価が諸外国に比べて銀高であったため、大量の金貨が一時海外に流出した。
幕府は、1860 年に量目を落した( へ )を発行して金貨の流出をふせいだがかえって物価騰貴に拍車をかた。
(5)この貨幣改鋳は、江戸時代を通じて異例のものであった。
A 文中の空所( イ )~( へ )それぞれにあてはまる適当な語句をしるせ。
B 文中の下線部(1)~(5)にそれぞれ対応する次の問 1~5に答えよ。
1 金貨の(i)品位・()量目とは何か。それぞれしるせ。
2 慶長金銀が最初に発行された年は何年か。次の a~e から 1 つ選びその符号をマークせよ。
a 1600 年 b 1601 年 c 1602 年 d 1603 年 e 1604 年
3 宝永小判の発行で物価騰貴をおさえることができなかった理由を 15 字以内でしるせ。
4 当時の(i)国内での金銀比価()外国での金銀比価を次の a~e からそれぞれ 1 つずつ選び、そ
の符号をマークせよ。
a 1 対 3 b 1 対 5 c 1 対 7 d 1 対 10 e 1 対 15
5 この貨幣改鋳の目的は何であったか、15 字以内でしるせ。
[解答]
A
イ 寛永通宝 ロ秤量貨幣 ハ正徳小判 ニ.享保小判 ホ.日米修好通商条約〔安政の五ケ国条約〕 ヘ.万延小判
B
1 ()金の成分比率 ()重量 2-b 3 量目が従来の半分に減ったから。(15 字) 4 ()一 b ()一 e
5 金貨の流出防止と金銀比価の是正。(15 宇)
ヘ.万延小判」の「延」を「円」に見立てて1860年の0を。