●江戸時代(宝永5年)
1708年 〈貝原益軒、『大和本草』を編集〉★★
Kaibara Ekiken writes “Yamato Honzo”, in which he classified 1,300 kinds of medical herb from China nd Japan.
人なお山と 貝危険。
1708年 『大和本草』 貝原益軒 元禄文化
筑前黒田藩士で本草学者、儒学者でもあった貝原益軒は、1708年に本草の歴史や1362種の動・鉱・植物を独自に分類して解説した『大和本草』を著し、日本の本草学の基礎を築いた。独自の哲学をもち教育・経済・歴史の分野にも業績が多く、日本初の本格的教育書といわれ、教育法や道徳教育(女三従の教えなどが著名)などについて述べた『和俗童子訓(わぞくどうじくん)』(1710(宝永7:家宣代)年刊)『慎思録』『和俗童子訓』『養生訓』も著す。
●江戸時代(宝永5年)
1708年 〈貝原益軒、『大和本草』を編集〉★★
Kaibara Ekiken writes “Yamato Honzo”, in which he classified 1,300 kinds of medical herb from China nd Japan.
人なお山と 貝危険。
1708年 『大和本草』 貝原益軒 元禄文化
筑前黒田藩士で本草学者、儒学者でもあった貝原益軒は、1708年に本草の歴史や1362種の動・鉱・植物を独自に分類して解説した『大和本草』を著し、日本の本草学の基礎を築いた。独自の哲学をもち教育・経済・歴史の分野にも業績が多く、日本初の本格的教育書といわれ、教育法や道徳教育(女三従の教えなどが著名)などについて述べた『和俗童子訓(わぞくどうじくん)』(1710(宝永7:家宣代)年刊)『慎思録』『和俗童子訓』『養生訓』も著す。
(貝原益軒(かいばらえきけん))(1708年刊・和俗童子訓(わぞくどうじくん))(大和本草(やまとほんぞう)
[ポイント]
1.貝原益軒は、『大和本草』(1708年)、『和俗童子訓』を著した。
[解説]
1.貝原益軒(1630~1714)は、福岡藩の儒者・本草学者。実証的かつ平易に庶民への啓蒙に努めた。本草学は本来、薬のもとになる薬草を研究する学問。本草学の大著『大和本草』(25巻)は1708(宝永5:綱吉代)年刊。1362種の動植物・鉱物の名称、起源、形状、効用などを体系的に分類説明しており、博物学ともいうべき書物。
2.その他、日本初の本格的教育書といわれ、教育法や道徳教育(女三従の教えなどが著名)などについて述べた『和俗童子訓(わぞくどうじくん)』(1710(宝永7:家宣代)年刊)も著す。
〈2016立教大・文
江戸時代には『大和本草』の著者として知られる儒学者( 口 )が著した『和俗童子訓』をもとにして書かれたと推測される女訓書などで、舅姑や夫に従順な女性像が推奨されていた。しかし、さくの人生はそのような女性像とは必ずしも一致していない。」
(答:貝原益軒)〉
〈2014立大・法・経済(経済政策)・異文化コミュ
彼女の演説内容は、貝原益軒の著作をもとに執筆された女性の心得を説く書物として、江戸時代に広く用いられた『( チ )』を批判し、女性の学問の必要性や結婚における自主性を訴えるものであった。」
(答:女大学)