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古代の東北経営(柵・城7年代順)

2017-03-12 | 『新世界史頻出年代暗記』


いは出たがり秋田医師。

足柵(ぬたりのき)・舟柵(いわふねのき)・羽柵・多賀城・秋田城・沢城(いさわじょう)・波城(しわじょう))


[句意]今度の手術の縫合(ほうごう)を担当するのは、出たがり目立ちたがりの秋田県出身の医師だ、という句。


[ポイント]

1.古代の城柵は渟足柵磐舟柵出羽柵多賀城秋田城胆沢城志波城の順で設置された。

[解説]

1.渟足柵(647)と磐舟柵(648)は乙巳(いっし)の変(645)の直後、蝦夷(えみし)に対する日本海方面の最前線基地として、設置された。

2.出羽柵(708)は最上川流域に設けた柵で、ついで越後国と陸奥国の奥に出羽国を設置。


3.多賀城(724)には、大野(おおのの)東人(あずまのひと)によって設置されたと伝えられる。陸奥国国府鎮守府(蝦夷征討のため陸奥国に設置した役所)が置かれ、律令国家による東北経営の政庁および蝦夷経営の根拠地とされた。


4.1978年、多賀城祉から、陸奥国の計帳を記した、通称漆紙文書(うるしがみもんじょ)が発見された。古代国家の陸奥国に対する律令的支配体制を考えるうえで貴重な発見。


5.秋田城(733)の開城により日本海側の開拓が進展した。


6.胆沢城(802)は坂上田村麻呂が築き鎮守府を移転。以後多賀城は国府のみとなる。


7.胆沢城(802)は坂上田村麻呂が築き、多賀城から鎮守府を移転。


8.坂上田村麻呂は胆沢城のさらに北方に前衛として志波城(803)をつくった。


9.城柵(じょうさく)はおもに蝦夷に備えて設置された古代東北の城の総称。柵は棚板を横木で固定し周囲を囲んだ施設。それよりも整備され大規模化したものが城。


〈2013早大・法

8世紀の後半、日本列島を襲う地震はいったん終息期に入ったが、9世紀半ば、d清和天皇の時代になると、平安京は群発地震に見舞われるようになった。863年、飢饉や疫病も蔓延し、朝廷は[ C ]において御霊会を開催し、この時呼び集められた怨霊をなだめようと、楽人による歌舞演劇が行われ、僧侶による読経がなされた。しかし、864年には富士山が噴火し、山頂が火炎に包まれ、強い地震があり、溶岩が流れ出し、大規模な降灰があって、周辺の地形も大きく変化した。さらに、e869年には東北地方が地震と津波に襲われて、[ D ]などに大きな被害が発生した。」

問7.空欄Cには、雨乞や宴にも使用される平安京の庭園の名が入る。漢字3字で記述解答欄紙に記入しなさい。


問8.下線部e869年には東北地方が地震と津波に襲われて、について。この地震は六国史に詳細に記載されている。藤原時平・菅原道真らが編さんしたその書名は次のうちどれか。1つ選べ。


 あ『日本文徳天皇実録』
 い『日本三代実録』
 う『続日本後紀』

 え『続日本紀』
 お『日本後紀』

問9 空欄Dには、奈良時代に陸奥の国府と鎮守府が置かれていた城柵の名が入る。漢字3字で記述解答欄紙に記入しなさい。

(答:問7神泉苑、問8い、問9多賀城)


〈2012立教大・全学部

これ(秋田城)と同じように日本海沿いに設けられた城柵はどれか。
 a胆沢城 b徳丹城
 c渟足柵 d桃生城)」
(答:c)〉


〈2012明大・商学部:「

2011年3月11日、東北地方から関東地方の太平洋岸をM9、0の巨大な地震と津波が襲い、多くの尊い人命が失われた(東日本大震災)。この地震は、869年に同じく東北地方の太平洋岸で起きた
D【1延暦 2弘仁 3承和 4貞観 5元慶】地震とよばれる大地震と同規模であったと考えられており、『日本三代実録』には、そのときの様子が「城郭・倉庫・門・櫓・塀などが数知れず倒壊した。海は雷のような轟音を立てて湧き上がり城下に押し寄せ、みな海底になった」(意訳)と書かれている。この文中の「城」は
E【1胆沢城 2志波城 3桃生城 4伊治城 5多賀城】をさすと考えられているが、だとすれば、このときの津波の規模も今回の東日本大震災とほぼ同規模のものであったことになる。」
(答:D4、E5)〉

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関孝和『発微算法』

2017-03-12 | 『新世界史頻出年代暗記』

 

●江戸時代(逢宝2年)

 1674〈関孝和、『発微算法』を刊行〉

“Hatsubi Sampo” is written by Seki Takakazu.

疲労無し、関 ハッピーさ。

1674年 関孝和        『発微算法』

 

幼少時から吉田光由塵劫記を独学し、点竄術と呼ぶ縦書きの筆算式代数学を始めた関孝和は1674年に刊行した『発微算法』で筆算による代数計算の基礎を確立し、日本独自の数学である和算を大成した。


[ポイント]

1.関孝和は、1674年、数学書『発微算法』を発表した。

[解説]

1.関孝和(1640~1708)は、甲府藩士、勘定吟味役として会計や検地の仕事に携わる。藩主徳川綱豊が第5代将軍家宣となると、孝和も幕府直属の旗本になった。少年の頃、吉田光由の『塵劫記』を自習して数学に目覚め、中国の数学書を研究し、そこから自己の研究を深めていった。西洋数学とはまったく関係ないところで、代数式とその計算法、方程式の判別式、行列式の発見、円周率計算等々、同時代の西洋数学に匹敵する高度な研究をおこなった。ニュートンやライプニッツにも引けを取らなかったと言われ、世界的レベルの天才的数学者だった。最初の研究発表は、1674(延宝2)年の『発微算法』。その後も孝和およびその弟子によって次々と研究が発表されて和算を発展させた。

〈2013中大・法

問8 下線部7自然科学の分野でも多くの成果がみられたに関連する説明文(原問:正しいものにはイ、誤っているものにはロをマークしなさい)の正誤を判断せよ。

 a 安井算哲は平安時代から用いられていた暦に代わる貞享暦をつくった。

 b 貝原益軒が灰吹法を発明し、これにより銀の産出量の増加傾向に拍車がかかった。
 c 関孝和は代数学のほか円周率などの研究を進めた。」

(答:問8a〇、b×貝原益軒→神谷寿禎、c〇)〉


〈2012立大・文学部

 下線部1元禄文化に関する記述として正しいのはどれか。次のa~dから1つ選べ。

 a.尾形光琳は京都の町衆の画風を学び、『洛中洛外図巻』を描いた

 b.熊沢蕃山は孔子・孟子の古典に直接たちかえろうとする古学派を創始した
 c.契沖は『万葉集』を研究し、『万葉代匠記』を著した
 d.関孝和は和算を発達させ、『塵劫記』を著した

(答:c〇、※a×光琳作に『洛中洛外図』は知られていない、b×蕃山は中江藤樹門下の陽明学者、古学派は山鹿素行、伊藤仁斎・東涯父子ら、d×吉田光由の著作)〉

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