●奈良時代(淳仁天皇)
764(天平宝字8)年 〈恵美の押勝の乱〉★★
Emi no Oshikatsu revolts against Dōkyō but is defeated.
なぜ無視(むし)するの 恵美のこと。
764年 南家 淳仁天皇 恵美押勝の乱 孝謙上皇 道鏡
淳仁天皇から恵美押勝の名を賜って専制的な政治を行った藤原仲麻呂も、孝謙上皇に信任された道鏡が台頭すると、これと対立。764年に兵を挙げたが捕らえられて斬罪に処せられた(恵美押勝の乱)。孝謙上皇は淳仁天皇を退位させた後淡路に流し、重祚によって称徳天皇となり、乱による死者の冥福を祈るため百万塔をつくった。
[ポイント]
1.孝謙上皇(→淳仁天皇を廃し重祚して→称徳天皇)は道鏡を寵愛、その彼は称徳天皇の死後失脚し、→光仁天皇が即位した。
[解説]
1.(孝徳=)称徳天皇は、僧道鏡を太政大臣禅師とし、さらに法王(法王の地位や内容は不明)とした。
2.さらに道鏡を皇位につけようとしたが、和気清麻呂らに阻止(そし)され(宇佐八幡宮神託事件)、同天皇の病死後失脚し、下野薬師寺別当に左遷された。
3.清麻呂に連座した姉の和気広虫(わけのひろむし)は、恵美押勝の乱後の孤児の養育活動でも知られる。
〈2015立命館・全学部
(f)下線部6皇位継承問題まで勃発するに至ったに関連して、このとき皇位をうかがったとされる道鏡が、天皇崩御ののちにある寺院に追放された。その寺院の所在地はどこか。旧国名で答えよ。(答:下野国)
〈2013青山学院・文教育経済法経営
問9.下線部d天平神護年間について、この時期の前後の出来事Ⅰ~Ⅲについて、古いものから年代順に並べた組合せとして正しいものを、下の1~6の中から一つ選べ。
Ⅰ.僧道鏡が太政大臣禅師に任じられた。
Ⅱ.皇位継承をめぐり、和気清麻呂が宇佐八幡宮に遣わされた。
Ⅲ.淳仁天皇が廃位された。
1.Ⅰ-Ⅱ-Ⅲ
2.Ⅰ-Ⅲ-Ⅱ
3.Ⅱ-Ⅰ-Ⅲ
4.Ⅱ-Ⅲ-Ⅰ
5.Ⅲ-Ⅰ-Ⅱ
6.Ⅲ-Ⅱ-I」
(答:5)〉